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画家ジョン・スローンとニューヨークの庶民

ジョン・フレンチ・スローン(John French Sloan,1871-1951/US- Painter and Etcher)
それは、都会の庶民を描いた風俗画だ。そして、*アシュカン・スクールの創始者の1人だ。
ニューヨークのスタジオの近隣の生活の本質を捉える能力で最もよく知られており、スタジオの窓からのシーンがリアルにして、身近な世界だ。今もあるように・・・

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by John French Sloan(cc)

*アシュカン・スクールでは、グレートなアーティストと言われる1人だ。
よく、ジョン・スローンは、政治とは切り離して描いている、しかし、社会主義的な原則を受け入れている写実主義の画家だ、と言われるが、そこは、どちらでもいいことのように、作品が伝えている・・

(註)*アシュカン・スクール(Ashcan School/ニューヨーク):20th初めの芸術運動で、都市と現代の日常生活についての特定の真実を伝えたいという願望で構成されていた。
組織化しされた芸術運動ではなく、そこには、政治的、非政治的な視点の画家が混在しているような状態だ。そこでは、ロバート・ヘンライ(1865–1929)、ジョン・スローン(1871–1951)が、いわゆる指導者的な役割だった。

16歳の時、父の病により、書店(文具・プリントショップ)働きに出るようになる。そこでは、自らエッチング作り販売まで行った。1890年、より高給のために、自分の文房具店を開店した。そして、エッチングに取り組みだ。
その同じ年に、彼はスプリング・ガーデンイン・スティテュート(Spring Garden College)で、夜間のドローイングクラスにも参加し、アート・トレーニング行っている。
1892年、彼はフィラデルフィア・インクワイアラー(The Philadelphia Inquirer/日刊紙)のアート部門でイラストレーターとして働き始めまた。同年の後半、スローンは現実主義のトーマス・アンシュッツの指導の下、ペンシルバニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of the Fine Arts)で夜間のクラスを受講する。同年、ロバート・ヘンライ(1865-1929)、いわゆる指導者人物と出会い、その後、数年間でアメリカの芸術の*アシュカン・スクールとして知られる、アメリカの新しい形のリアリズムを邁進させている。
その内容は、作品から、受け取っていただきたい。

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by John French Sloan(cc)

1895年、ジョン・スローンは、フィラデルフィア・プレス(The Philadelphia Press )の芸術部門で働くことなる。
ただ、1905年までに、画業は成り立たず、本のイラストを描くことでこの収入を補っていた。 (この時は、ドリーと結婚もしていたが、それは難儀だった様子だ・・)

(註)ドリーは、アルコール依存症の克服、そして、いわゆる風俗の世界で働いていた経緯から、その依存症と言われるが、深い愛情のある人物でパートナーだった。ただ、ドリーは、手はかかるが良い人なのだろう。

そして、1910年に社会主義(Socialism)加わった。その後、1913年には、アシュカン・スクールの物議を呼ぶ活動家メンバーと、パフォーマンス・アートも行っている、その演劇は、マディソン・スクエアガーデンで行われた。そこでも、John French Sloanは、「20世紀の最初の数十年間にニューヨーク市の無尽蔵のエネルギーと生活を描いたアシュカンスクールの最高の芸術家」と呼ばれている。
1914年、スローンはアート・スチューデント・リーグ(通称-リーグ/Art Students League of New York)他で教鞭を取っている。(リーグでは18年間)
1943年、妻のドリー・スローンは亡くなる。(冠状動脈性-心臓病)
翌年1944年には、ヘレン・ファー(40年前の後輩)と結婚した。
1951年9月7日、スローンはニューハンプシャー州ハノーバーで休暇中に亡く(ガン)なった、80歳だった。

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by John French Sloan(cc)

1952年1月、ホイットニー美術館は、ジョン・スローンを高評価で讃えている。

後の妻のヘレン・ファー・スローンは、ジョン・スローンの残った作品を、主要な美術館へ贈呈している。
プレス時代に、古典的な美術も詳細に仕事柄学び、そして、リーグ(Art Students League of New York)他で、アートの全域を後進に伝えている。そこには、理念の根底は、社会主義より、「イメージと文化」として、ニューヨークの身近な庶民の生活とのふれあいと人の情だろう。最初の妻、ドリー・スローンとの結婚そうかも知れない。
社会正義のある人物だったのだ。


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