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マッジ・ギルとスピリットガイドとその絵画(アウトサイダー・アート)

マッジ・ギル(Madge Gill、1882-1961/UK):アウトサイダー・アーティストアール・ブリュット)。
マッジ・ギルは、典型的なアウトサイダー・アーティストと言われる。
ある意味、風変わりな英国の女性であり、生涯にわたって何千もの、絵画、イラストレーションを残している。
それは、ペンとインクの絵を描いている。
そのベースにあるものは・・
ビジョナリー・アート(Visionary art/日本では幻想芸術)と呼ばれるものかも知れない・・
マッジ自身が 、スピリットガイド(指導霊/守護霊)である、Myrninerest(My Inner Rest:私の内にあるやすらぎ) という想像の霊に導かれていると考えており、この霊の名が作品の中に、時々、サインもされているのだ。且つ、絵はすべてMyrninerestのものであり、したがって販売できなかったと主張していた。いわゆる霊媒主義的と言われる作品だろう。(霊界からの意思を伝えるための物理的な媒介物が絵画と考えていた)
それらの作品は、スイスのローザンヌのアール・ブリュット美術館のコレクションとなっている。 

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(c)Madge Gill 

略歴
1882年、イースト・ハム(East Ham/ロンドン東部ニューアム・ロンドン特別区)で、私生児として生まれた。
そして、幼児期の多くは、人と会わせないために、母と叔母と共に、人里離れた場所で過ごすことになる。その後、9歳の時に孤児院にいる事になる。
5年間を孤児院で過ごした後、孤児院が計画した大規模なイギリス政府のホームチャイルド計画にそって、数百人の子どもたちと共に、カナダに強制移住させられた。まだ、10代のマッジは、オンタリオ州の農場でベビーシッターになった。当時はマッジのような若い移民は、虐待されることが多かったとも言われる、辛い話だ。

その後に、18歳になって、英国に戻り、ロンドンの叔母(霊能者)のところで生活する。そこでは、病院で看護婦として働く、そして、この叔母がマッジに心霊主義と占星術を教えたのだ。
25歳になると、トーマス・エドウィン・ギル(株式ブローカー)と結婚し、三人の子供をもうけるが、そのうちの一人をスペイン風邪で亡くす。その翌年、死産を経験し、マッジ自身も危篤状態に陥入り、片目を失明し義眼をつける、そして、数ヶ月寝たきり生活を送った。
何とも苦難が続く・・
ただ、これからだ、それは、「作品」が問題だからだ。
1920年、マッジは、病気の間から、38歳でドローイングに熱情を傾け、その後40年にわたり、主に黒のインクを用いて多くの作品を制作する。作品は、はがき大のものから、30フィート(9.1m/1feet=0.3048m)のものまであるのだ。それは、霊媒主義的な作品と言われるのだが・・
ただ、上記したが、"Myrninerest"霊の怒りをかうことのなきよう、作品を販売しなかった。マッジの長男ボブが、1958年に死亡してからは、現実との繋がりや生活の問題もあり、晩年に深刻なアルコール依存症となり、絵を描くこともなくなったと言われる。

 マッジ・ギル

Madge Gill

(註)ヘッダー:ウィリアムモリス・ギャラリーのマッジ・ギル

(追記)その「作品」から、何とも不思議な世界を表象だ。そして、マッジ・ギルの英国的なインテリジェンスのある表情と作品が、確かに、マッチングしているのだ。それは、当たり前のことだが・・・自身の内面の重心が、明らかに作品に出ているのだろう。
「作品」が問いかけるのだ・・・

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