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#2020年秋の美術・芸術!コンテスト- 美術館に飾られているのは人の想いだと気づいた

#2020年秋の美術・芸術 !コンテスト-中間のご報告として、基本は、ほぼ時系列に(多少の順不動お許しください)、応募いただいた作品を、1作品ごとに、ご紹介とコメントとしての評を入れさせていただき掲載させて頂きます。まずは、ご応募ありがとうございます。

・美術館に飾られているのは人の想いだと気づいた
たまごまるさま 応募ありがとうございます。

(評)筆者は、大原美術館に、想いを持って、足を運ぶ訳だが、そこで感じたものは、標記の「美術館に飾られているのは人の想いだと気づいた」と言う事だった・・・
そして、筆者の視点(極)は、作者の視点(極)をどう受け取るか、そのあたりまで、踏み込んで記載しているエッセイだ。
(註)大原美術館

筆者の流れに沿って、拝読すると
(1)意図が汲み取りにくい作品、にご興味があるとおっしゃる
「Attese(伊-アテッセ)」(期待):油彩/キャンヴァス/115.5×89cm/1961
ルチオ・フォンタナ(Lucio Fontana,1899-1968/イタリア/前衛芸術 -画家・彫刻家)
真紅のキャンパスに複数の切れ目がある作品だ。
類型の書籍は、こちらからも

筆者は、そこで・・
「そこにあるのは赤すぎる程の赤色。その赤色を切り裂く三本の傷痕。」
「僕はこれを見た時、この人は凄く現状に葛藤してたのかなって思いました。小手先の技術ばかりで、想いを伝える作品ってどこにいったんだ、技術よりもっと大切なものはあるだろ、常識なんて切り裂いてしまえ!」
「傷をつけることは、芸術という枠を超えていってほしいという「期待」が込められていたのです。」
「正解はあるんだけど、正解じゃなくても許されるから楽しいのだ。」と語る。
また、「現代社会はどうだろう。正解ばかり求めてないだろうか。白黒はっきりつけることが正義になっていないだろうか。」と語る。
アートについての一般論は、作者の視点(極)を、観る側の視点(極)がどう受け取るか?
このロジックでアートは成立する訳だ。
筆者のよう記述のように、学校では、正解はあるだろう。しかし、社会の問題に正解は皆無かも知れない?

(2)圧倒的に美しい作品に対する興味
・児島虎次郎の作品群(こじま とらじろう、1881-1929/洋画家-大原美術館のメイン)の作品
 カラフルな色彩とそのバランスと美人画の様相を呈する洋画とその周辺の形状
・モネの作品「睡蓮」
 淡い色彩と感性を揺さぶる・・・
「両者に共通して感じたのは、圧倒される程の色使いの上手さだ。」

(3)想い
「美術館に飾られているもの。それは作品を通して何かを伝えたいという『想い』なのだ。」
キュレーターの意図だけではなく、作者の極が、そこでは、出迎えてくれるのだろう。
そして、見る側の解釈(極)は、また、多様性を持っているだろう。
それが、アートであり、本来的言葉で言えば、表象文化なのだ。そして、その解釈の解答はないのだ。

筆者は、いわゆるファインアートから、コンテンポラリーアート(現代アート)まで、並列に語っている、まさにそれらは、現在も並列に並んでいる訳だ。

そして、筆者様には、ご自身のジャンルである、文字情報を使って、「想い」を読者様に、その極を伝えて頂きたいと存じております。ご健闘と益々のご活躍をお祈り致しております。
ご応募ありがとうございました。

(註)児島虎次郎の作品群は、大原美術館の基礎となり、大原美術館別館として「児島虎次郎記念館」1972-2017が開設されていた。2022年4月に(仮称)新児島館(旧中国銀行倉敷本町出張所建物)に開館の予定と言われる。楽しみだ。

(お知らせ)コンテストについて
締切日時は、2020年11/14(土曜日)24:00
結果発表は、2020年11/15(日曜日)18:00 です。
締切間際に応募された作品は、当然審査の対象内ですが、
作品評が、結果発表後になることもご了解ください。本日11/14(土)に、入稿予定の方は、私の記事(どの記事でも)のコメント欄に、ご一報いただけますと幸いです。


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