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作家アドルフ・ヴェルフリのイレギュラーなる世界

アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli,1864-1930/スイス)
アール・ブリュットアウトサイダー・アート)の芸術家の中でも著名な作家だ。ただ、その表象は、生い立ちではなく、その「作品」で評価するべきだろう。

1864年、メンタール渓谷の村(スイス)で生まれる、1872年、母親と首都ベルン近郊に帰るが、そこで、母親は死別する、そして、孤児となってしまう。厳しい環境だ。
1880年頃からは、兵役の後、農場労働、墓堀り、セメント工、冬期は木こりなど職を転々とし、そして、学校もほとんど通っていないと言われる。その後、その思春期には失恋をする。社会から、逃避した生活だったようだ、そこでは、母性に優しさに郷愁を持ったいた。
その後、ベルンに職を求めて、働きに出るが、仕事を転々とする、そこでは、売春の女性と恋に陥るが、性病を移され、その婚約の破局を迎えたと言われる。
そして、問題の幼女に対する事件未遂を何度か起こす。(ここをどう見るかだ、精神異常者の行動だけなのか、、幼児体験から社会がそうさせた、と見るべきか?)
1895年、その後31歳の時にも女児への性的事件未遂で再び逮捕され、精神鑑定の結果、統合失調症と診断され、ベルンの精神病院に監禁される、それは、20年間もの独房生活だ。
その独房で新聞用紙に絵を描くようになり、やがて66年の生涯を終えるまでに、「揺りかごから墓場まで」「地理と代数の書」「葬送行進曲」といった45冊、25000頁にわたる作品を書いている。
1899年からは、資料では、絵に専念している様子だ。
現在は、ベルンのアドルフ・ヴェルフリ財団に、その作品の収蔵・管理されている。

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(c)Adolf Wölfli/ベルンのアドルフ・ヴェルフリ財団

その例として(担当精神科医ヴァルター・モルゲンターラー)
ヴェルフリの診察記録から、1899年頃から、ドローイング(短時間でのスケッチ)を描き始めた。
その病院内で書きはじめた25000ページの挿絵入りの物語が著名だ。
「文章・ドローイング・コラージュ・楽曲が不思議に絡み合う架空の自叙伝のような世界だ」
たった一人のユートピアだろう。(その膨大な世界は、図版を参照いただきたい、膨大な世界が広がる)
そこには、「尊厳さがある」とアール・ブリュット語源とロジックをまとめた、ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)は言う。

概略
第1章にあたる部分では、「初期のドローイング/楽譜」(1904-1907)
初期の作品は、新聞用紙に鉛筆で描かれた単色の作品をヴェルフリは「楽譜」と呼び、そこには「アドルフ・ヴェルフリ、シャングナウの作曲家」と署名してある。

ニュー=ヨークのホテル・ウィンザー》(1905年)ベルン美術館 アドルフ・ヴェルフリ財団蔵

Fig.「ニュー=ヨークのホテル・ウィンザー」(1905年)など、無秩序な空想の緻密な作品 

第2章にあたる部分では、「揺りかごから墓場まで」(1908-1912)は、ヴェルフリが最初に手がけた叙事詩で、全9冊、3000ページに及んでいる。自分の悲惨な過去の生い立ちが、家族共に壮大な旅行記に・・・ただ、予期せぬ災難もあるのだが、ハッピーエンドを迎える。

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第3章の「地理学と代数学の書」(1912-1916)は、甥に当てた遺言で「聖アドルフ巨大創造物」そして、アドルフ二世を名乗る。それは、願望成熟の装置だったのかも知れない。
もう少し詳細化すると「聖アドルフ資本財産」があれば、全宇宙を買い上げ、都市を形成し近代化を遂げ、その暁には「巨大透明輸送機」に乗って宇宙へと漕ぎ出していくという希有壮大な空想物語だ。

第3章の「地理と代数の書」

第4章は「歌と舞曲の書」(1917-1922)「歌と行進のアルバム」(1922-1928)

第4章 歌と行進のアルバム

第5章は、「葬送行進」1928年、全16冊、8000ページを超える、架空自伝だ。

第5章「葬送行進曲

第6章は「ブロートクンスト―日々の糧のための作品」(1916-1930)それは、自らに向けたレクイエム(安息)とも言われ、抽象的であり、音声詩の形式による音やリズムが、物語にとって代わっているのだ。

第6章は「ブロートクンスト―日々の糧のための作品」

(c)ベルンのアドルフ・ヴェルフリ財団(所蔵権)

ヴェルフリの創作の第5部にあたるこの書は未完に終わる。それは、1930年、その死で幕が降りると言うことだ。そして、この物語以外にも「一枚物のドローイング」等々、多くの作品がる。

アドルフ・ヴェルフリの主治医でもある精神科医ヴァルター・モルゲンターラーは、それらを出版した。
「芸術家としての精神病患者」として、それは、まず知られることになる。
そして、アール・ブリュット語源とロジックをまとめた、ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)からは、「偉大なるヴェルフリ」と呼ばることになるのだ・・・

(追記)このアドルフ・ヴェルフリの世界を、どう観るか? その生い立ちに、焦点を当てると、どんな状況下でも、人は生きて行かねばならないだろう。その苦難の流れは、それはそれとして、考慮しなければならないだろう。
ここで、問題は、アドルフ・ヴェルフリのアートシーンを、どう語るかと言う事だ。多様な視点はあろうが、終局は、やはり、その「作品」に尽きるだろう。「作品がグレートだから、アドルフ・ヴェルフリなのだ。」

(今後のお知らせ)
このコンテスト #2020年秋の美術・芸術 は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画をされている秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。         
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間は、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にシフト致します。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。(註) #2020年秋の美術・芸術 は全角ですので、よろしくお願い致します。


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