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ジャン・デュビュッフェの「アール・ブリュット」の前夜を考える


(#2)アール・ブリュットへの流れの初期(精神病者の芸術性)

4)アール・ブリュットを病理学的に分析する知識人たち
1864年、チェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso,1835-1909/イタリアの精神科医/犯罪生物学)
・犯罪者と精神病患者と天才の間に共通する欠落とを病理学的に分析しようとした。
「犯罪人論」(L'uomo delinquente-1876年)、「天才と狂気」(Genio e follia-1864年)」それらの書籍は、30年もの間、重版を重ねたと言われる。
1900年、「ジークムント・フロイド」の夢判断:狂気は、誰しもが持つ無意識の過程だ。

5)アール・ブリュットを芸術的な視点での評価
1905年、ヴィルジュイフ精神病院の医師オーギュスト・マリー(Auguste-Marie Taunay,1768-1824/仏)が患者の作品を集めて、院内に「狂気の美術館」を開設した。
1907年、医師のオーギュスト・マリーの知人であり、マルセル・レジャ(Marcel Réja,1873-1957/詩人・美術批評)が、「狂人の芸術」を刊行した。
これは、芸術的な視点でのはじめての試みだ。

1921年、「ヴァルダウ精神病院」(スイス)の院長である、ヴァルター・モルゲンターラー(Morgen thaler,1882–1965/医師・美術評論)は、
「芸術家としての精神病患者」を刊行した。
この内容は、アドルフ・ヴェルフリについての詳細なモノグラフ(monograph)だ。

1922年、ハイデルベルク大学付属精神病院において
医師のハンス・プリンツホルンの「精神病者の芸術性 - 精神病者はなにを創造したのか」をベルリンで刊行。(カラー図版も入る)
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その間、第一次世界大戦中、パウル・クレーたちは、ドイツの表現主義の画家は、精神病者の絵画に、目を向けているのだ。
戦争の惨状、西洋文明の懐疑、そして、そこには、ハンス・プリンツホルンの書籍「精神病者の芸術性」が大きく影響している。

6)書籍「精神病者の芸術性」は、マックス・エルンストンが、フランスに持ち込んだ。
そこから、表現主義者、ダダイスト、シュルレアリストに影響を与えた。
そして、*アンドレ・ブルトンの流れから、ジャン・デュビュッフェが、決定的なシーンの幕を開ける訳だ。
(註)アンドレ・ブルトン(André Breton, 189-966/はフランス-詩人、文学者、ダダイスム、シュルレアリスム)

そのフランスを中心に、1924年には、広範に言及される。
・「精神病者の芸術」
・「オートマティスム(自動記述-自動書記)」… それは、アンドレ・ブルトンのシュールレアリスムの流れと共に・・

1934年-1941年、ナチス主催「頽廃芸術展』(たいはいげいじゅつてん)」がドイツ、オーストリア等の13都市を巡回した。
それは、悪しき見本とも言われるのだが・・・・
(註)頽廃芸術展(たいはいげいじゅつてん)- 退廃芸術(独/Entartete Kunst):1937年、ナチズムの文化政策として国民啓蒙・宣伝省大臣ゲッベルスの主導により、退廃芸術とは、ナチス党が近代美術や前衛芸術を、道徳的・人種的に堕落したもので、ナチス・ドイツの社会や民族感情を害するものである、として禁止するために打ち出した芸術観だ。

その後、第2次世界大戦終結後には、
1945年、ジャン・デュビュッフェのアール・ブリュット
1948-1951年、アール・ブリュット協会の結成と解散がある。
そこには、アンドレ・ブルトンの「芸術は狂気」(溶ける魚・ナジャ..)
また、ジャン・デュビュッフェの、精神病患者の作品の評価と言う流れがあるのだ。

(追記)まさに概論、いや、概略のメモ程度だが、これが、「ART BRUT」までの流れと、今の時点では致したい。
後日、アール・ブリュットに対する反論も掲載したい、いつの時代も、反論には、一理はあるものだ。

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