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女性アナ・メンディエタ-その最期は厳格なる死というパフォーマンスか?

アナ・メンディエタ(Ana Mendieta,1948-1985)
キューバ系アメリカ人のパフォーマンスを主とするアーティストだ。

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アナ・メンディエタ略歴:
1948年、政治家であった父親と母親(教師-化学)を両親のもとに、キューバのハバナに生まれた。そこから、推測できるが、いわば、上位中産階級の家庭で育ったのだろう。
アナ・メンディエタは12歳の時に2歳年上の姉と共に、キューバから追放され、アイオワ州の孤児院に送られた。
それは、彼女の父親は、カストロ将軍への忠実ではないがために、投獄されたからだ。
そして、そのアイオワの改革派の学校に引き渡された後、このアナ・メンディエタの姉妹たちは別の里親から、別の里親にと転向されて数年間過すことになる。
アナは家族に見捨てられ、祖国から孤立したと感じただろう。
アナは、1966-1979年まで、投獄された彼女の父親、彼女の母と兄弟に再び会うことはなかった。
そのアナの父は、姉妹がアメリカに到着した直後に、すでに、亡くなっていたのだ。
そして、アナ・メンディエタは、アイオワ大学 (University of Iowa) に進学し、教授のハンス・ブレダー(Hans Breder,1935-2017/美術家)のもとで美術を学んだ。教授のブリーダーは、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)、イヴ・クライン(Yves Klein)、ウィーンのアクション派(1960年代のウィーンにて、身体加傷を伴う過激なパフォーマンスを行なった一派だ)などを引用し、ハンス・ハーケ(Hans Haacke,1936- /コンセプチュアル・アーティスト)や、ヴィト ・アコンチ(Vito Acconci/1940 -2017/パフォーマンス、ビデオ、インスタレーション)などの現代の前衛芸術家による訪問を組織的に行なったり、学際的(他のエリヤからの知の共有)な実践の概念に彼女の注意を向けさせている。そして、アナ・メンディエタも、アイオワ大学で、自ら、キューバ等の原始美術・土着美術の研究を行うようになっていた。(1980年には、キューバをおとづれている。)

そして、ハンス・ブレダーの影響下で、アナ・メンディエタ在学中に美術の制作活動を開始した。
1978年、ニューヨーク州ニューヨーク市に移り住み、多く類型的な作家の影響を受ける。
ナンシー・スペロ(Nancy Spero/1926 - 2009/絵画・版画)、
メアリー・ベス・エデルソン(Mary Beth Edelson,1933- /第一世代のフェミニスト・アーティストで絵画・版画)、
キャロリー・シュニーマン(Carolee Schneemann,1939-2019/セクシュアリティ、ジェンダーに関するマルチメディアの作家)
たちと親交を持つ事になる。

一連のアナ・メンディエタの作品は、今、見ても過大なインパクトのある作品群(極)だ。
そして、
1985年、カール・アンドレ(Carl Andre,1935- /アメリカの詩人・ミニマリストの彫刻家)と結婚。

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1985年9月8日、ニューヨーク市のアパートメントの34階の窓から落下し死去した、36歳だった、その夭折は作品だったのか?
それとも、いわゆる自ら死を選んだのか、ただ、アナ・メンディエタは高所恐怖症だった事は知られている。
それでは、他殺か・・・
アンドレが緊急サービスと呼んだときに使用した言葉は、記録に残されている、34階のアパートメントの「どういうわけか窓から出て行った」が、それだ。

彼女の夫である芸術家のカール・アンドレは、その後、彼女の殺害罪から無罪となっている。
それは、アンドレは3回の起訴の後で、「酒に酔った勢いで、室内の彼女を空いた窓から、押し出した」ということを証明する証拠が、不十分である、ことが理由だ。
「その夜何が起こったのか、誰にもわからない」
当時、彼女の死をめぐってニューヨークのアート界には、多くのメンバーの分裂があったと言われる。
いずれにしても、落下した謎は、彼女が残した厳格な儀式的なパフォーマンスとしてのイメージとして響き渡っている・・・それは、今もだ。-The Guardian

その生涯でアナ・メンディエタが、手がけた作品は数多い、それらはも多くは、MoMA、グッゲンハイム他、著名な、ミュージアムに展示(収蔵)いる。
そして、比較的小さい作品は、画商が、今も取り巻いているのだが・・・

今日も、そのアナ・メンディエタ作品の一端をご覧いただきたい。

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(c)Ana Mendieta

Raquel Cecilia Mendieta on Ana Mendieta at Galerie Lelong

(追記)これらのある意味、欧米の意識からは解釈が難しいアナ・メンディエタの表象は、彼女の生まれたキューバと言う土壌にあるのか?と言うことも、観る側の視点(極)に入れた方が、分かりやすいのかも知れない。それは、キューバの土壌には、血、からだ、自然や土への回帰と言う視点の宗教観も、そこには存在するという事実もあること・・
昨日、このご助言を、出版関係の方にいただきました、ありがたい事です。アナ・メンディエタ関連の文献を読む進みますとアイオア大学でのその研究(原始美術・土着美術)も記述されています。参考文献:Guardianレポート/Covered in Time and History-The Films of Ana Mendieta...他

(註)これは「イメージと文化」の現代アートのコラムです。概念芸術の中に、自らの肉体(身体加傷・血液等)で表現をする現代アートとして避けれないエリア(ウィーン・アクションニズム他)があります。この作者-アナ・メンディエタ(Ana Mendieta)もそうです。そして、夭折な作家です。どうぞ、その視点でご覧いただきますようにお願い致します。

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