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Marcel Broodthaersとインスタレーションの原点。

マルセル・ブロータス(Marcel Broodthaers、1924-1976)
ベルギーの詩人、映像作家、美術家。そして、文才に優れ、機知に富んだ従来系とは異なる手法でのアート作品だ。

1924、ブロータスはベルギー・ブリュッセル近郊のサン=ジルで生まれ。そのブリュッセルで、1945年から「革命的シュルレアリスム・グループ」参加し、そしてジャーナリズム、映画、詩に至るキャリアだ。その後20年間を貧しい生活の中、詩に取り組んでいたが・・
そして、1963年には、アート作品を作り始める。
1964年、マルセル・ブロータスは、売れ残った自分の詩集「汚い思考 Pense-Bête」50冊を石膏に埋め込むという象徴的な作品を作った。
同年、初めての展覧会のカタログに、序文は以下だ。
  私は、何かが売れて、人生に成功できないか、散々思案した。長い間、私は何もうまくいかなかった。私は40歳になり、とうとう適当に何かをでっち上げるアイデアが浮かび、すぐにとりかかった。3ヵ月後、私は出来上がったものをサン・ローラン画廊のオーナー(フィリップ・エドゥアール・トゥサン)に見せた。
すると彼は「しかし、こいつは芸術だよ」、そして、「それなら、うちでこいつを全部展示しよう」と言った。「いいとも」私は返答した。-Marcel Broodthaers

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Fig. Pense-Bête(汚い思考)

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(c)Marcel Broodthaers

その後、ブロータスは1957年には映像をつくり、1967年から彼はドキュメンタリーや物語、実験的なスタイルの50本を超える短編映画を製作している。
そして、テキストを含んだレディ・メイドの寄せ集めや、コラージュを制作している。
「Visual Tower」(視覚の塔 -1966)、「Surface of mussels (with bag)」 (貝殻に覆われた面 -1966)は著名だ。
1968-1975年、マルセル・ブロータスは、従来型の美術館の概念を再構築するような大規模な作品を制作している。
それは、ブリュッセルの自宅で始まった、イーグルス現代美術館(Musée d'Art Moderne, Département des Aigles/マルセル・ブロータスの個人美術館)での*インスタレーション(Section Publicité/広告セクション)もそうだ。

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Fig.Section Publicité

そして、この作品は、その後、デュッセルドルフ市立美術館(1970)、第5回ドクメンタ(カッセル/1972)他、多くに展示された。
その後、1970年には、そのイーグルス現代美術館に財務課をつくり、破産のため、美術館を売却計画を建てた・・
ただ、買い手はおらず、資金調達のために、ワシがあしらわれた美術館の紋章を刻印した金塊を販売した。
その後、フランス国立近代美術館にても、” L’Angelus de Daumier”(ドーミエの鐘)などが、 展示されている。
マルセル・ブロータスは美術作品、作家、美術館との間の相互関係の制度への批判が込められている。
それは、20世紀後半には、世界中に広がったインスタレーション・アートと関連付けらるだろう。
そのブロータスはデュッセルドルフ、ベルリン、そして、ロンドンに拠点を置いた。
1976年1月28日(誕生日)に、ドイツのケルンにて死去(肝不全)した、52歳だった。
マルセル・ブロータスの作品は、テート・ギャラリー(London)、ドクメンタ10、7、5(1997年、1982年、1972年)他、数多く展示されている。

マルセル・ブロータスの作品は、
「世界を知覚することに於いて、言語の影響力、及び、美術館が美術の生産と消費に影響を与える方法について考察する」という意図があったと言われる。

(註)*インスタレーション(Installation art) とは、現代美術における表現手法で場所や空間全体を作品として体験させるアートだ。

ARTICLE 019: Marcel Broodthaers - MoMA Retrospective

(追記)マルセル・ブロータスが、貧困の中で、詩に取り組む姿勢は、なんと20年間もだ、、そして、その後に、現代アート作品を作り始める。
その時点では、その先も見えなかっただろう。ただ、いつも、自身の理念(極)は忘れなかった。現代アートでは、作者の行動は重心であり、要なところだ。いつの時代も、創始者の苦労は底知れぬ、と言うことだろう。

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