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エレーヌ・スミスの火星の風景と火星人の言語(アウトサイダーアート)

エレーヌ・スミス(Hélène Smith,1861-1929/スイス):アウトサイダーアーティスト(アール・ブリュット/アウトサイダーアート
商業の従業員だったエレーヌ・スミスは、1891年、30歳頃、スピリチュアリズムに影響されている、それは、当時英語圏の国々で、概ね800万人以上の人々が信じられており、ピークに達していた時期でもあった。
それは、第一次世界大戦の前夜でもあり、不安定な西欧の時期にも重なる。

火星の風景 Smithのコピー

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スミスが交霊会で制作した「火星人」の自動書記 のコピー

Hélène Smith(public domain)

そのような時代背景のもとで、エレーヌ・スミスは、オートマティスム(Automatism)による自動書記(自動記述)で描く、それは、エレーヌ・スミスは、火星人とコミュニケーションを取ることができ、ヒンドゥー教の王女とマリー・アントワネットの生まれ変わりであると主張している。
いわゆるトランス状態(通常とは異なった意識状態)で描いているのだ。

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Hélène Smith

欧州の知識人の間では、当時、シュルレアリストの力の証拠、および超現実主義の知識のシンボルとして、エレーヌ・スミスが見られていた。
エレーヌ・スミスについては、アンドレ・ブルトン(André Breton,1896-1966/仏-作家・理論家であり、シュルレアリスム運動を展開)も、その著書等でも言及している。
また、1950年代には、オカルト系の心理学者に、空想癖やヒステリックな幻覚と揶揄されるが、ここで紹介したいことは、その作品だ。

アール・ブリュットは、1945年頃から、ジャン・デュビュッフェにより、造られた造語だが、それ以前の表象だ。ここで、スピリチュアリズムの枠から、アンドレ・ブルトン(シュルレアリスムの展開)らが、エレーヌ・スミスに着目していることが、この後のアール・ブリュットの発生につながるのだ。

(追記)エレーヌ・スミスは、この後、「イメージと文化」、また、「アール・ブリュット」以前のアウトサイダーアートを考える、アウトサイダーアートの周辺等の項目で、アンドレ・ブルトンと共に登場致しますので。


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