女性画家Eunice Pinneyのフォークアート
ユーニス・ピネー(Eunice Pinney,1770‒1849/US)、アメリカ初期の水彩画家の1人だ。
ユーニス・ピニーは、アメリカのフォークアーティストで、コネチカット州で活動した、初期のアメリカの素朴な、ある意味、原始絵画的(Primitivism/原始的、野性的、未開)な水彩画家だ。
美術史家のジーン・リップマン(Jean Herzberg Lipman,1909 -1998/アメリカの民俗絵画の専門家)よると、ユーニス・ピニー(Eunice Pinney)とメアリー・アン・ウィルソン(Mary Ann Willson)は、水彩画のメディアでのワークでは、最も初期のアメリカの画家の2人という見解だ。今、現在の認識では、エリザベス・グレイザー(Elizabeth Glaser)も加わる3人が、アメリカ合衆国での初期の水彩画の画家だろう。
そして、ユーニス・ピニーの水彩画は、力強くバランスの取れた構図と力強い色で際立っている。
そのユーニス・ピニーの記録された54作品のうち、大部分は1809年から1826年の間に描かれている。
ユーニス・ピニーは、美術の専門教育を受けていない以外、アウトサイダーアートとは言えないだろう。その仕分けは、どうでもよい訳で、問題は作品だ、そして、その作品には惹かれるものがある。
Eunice Pinney (public domain)
略歴- Eunice Pinney
1770年、コネチカット州シムズベリー(Simsbury)の裕福な家庭に生まれた。そして、良家の子女とての教育を受けた彼女は、その絵の中の人々のポーズ、ジェスチャー、顔の表情にはドラマがあるように見えるのだ。
19世紀のアメリカの女性の間では、果物や花の静物、風景、歴史の風景を描くことは、人気の趣味の世界だった。
美術指導書などが普及するずっと以前に、独学で学んだユーニス・ピニーは、自由に自分のスタイルを探求した。このような主題での、多様性のある画家は、当時は珍しかった。
ユーニス・ピニーは、記念碑、文学のあるシーン、肖像画、そして、風景を描いた。
文学のあるシーンで言えば、18世紀のバート・バーンズ(Robert Burns、1759 - 1796/スコットランドの詩人の詩(Cotter's Saturday Night 他)は、彼女の作品のいくつかに影響を与えていると言われる。
また、絵画「Lolotte et Werther」は、ゲーテの非常に人気のあるロマンチックな小説「The Sorrows of Young Werther-若きウェルテルの悩み」(1774)の主人公の人生のエピソードだ。
ユーニス・ピニーは、1809年頃に39歳のときに絵を描き始めた。学識者達は、彼女の人生の成熟が、彼女の仕事に大きな自信を持っていると指摘している。
彼女の絵のほとんどは、コネチカット州のシムズベリー(Simsbury)、また、ウィンザー(Windsor, Winsor)で制作されており、1797年に定住し、最初の夫(オリバー・ホルコム/Oliver Holcombe )が亡くなった(溺死)後、しかし、その前にDVにより離婚していたと言われる。その後、バトラー・ピニー(Butler Pinney)と結婚し、シムズベリーに戻った。
1849年、ユーニス・ピニーは、シムズベリーで亡くなった、79歳だった。
Eunice Pinney
・最後に少し加えると、ユーニス・ピニーの子供達は、芸術家や、絵画教育に携わっていたと言われている・・・
(追記)後日、アメリカ合衆国の初期のフォークアートの水彩画家である、エリザベス・グレイザー(Elizabeth Glaser/US)の水彩画もご紹介致します。
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