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ジャン・デュビュッフェ(仏)とアールブリュット、その語源とロジック

ジャン・デュビュッフェ(Jean Philippe Arthur Dubuffet, 1901-1985/仏)とアールブリュットの語源とロジックを考える。

ジャン・デュビュッフェは、フランスの画家/評論家であり、アンフォルメル(比較的激しい抽象表現/アクションペイント)の先駆者だ。
西洋美術の伝統的価値観を否定して、アール・ブリュット(生の芸術-幼児から精神障害者、原始世界に至る- 純粋な芸術的行為/アウトサイダーアート)を提唱した。
そして、そのジャン・デュビュッフェの作品は、激しく大胆な抽象表現とユーモアの感覚が強烈なる造形世界を形成している。

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(c)Jean Philippe Arthur Dubuffet

・そのジャン・デュビュッフェの略歴とアールブリュットの流れは
ジャン・デュビュッフェは、アンフォルメル(1950年頃の前衛美術運動)の先駆者として、ジャン・フォートリエ(Jean Fautrier, 1898- 1964/仏-画家、彫刻家)、ヴォルス(Wols, 1913- 1951/独-画家)等の共に、著名だ。
そのジャン・デュビュッフが、パリで画学生であるも、父親の家業から、画業に専念したのは、1942年、40歳を過ぎてからのことであった。
1960年、パリ装飾美術館(Musee des Arts Decoratifs)でデュビュッフェ回顧展が開催され、1981年にはパリ市立近代美術館(Musée d'art moderne de la Ville de Paris)でデュビュッフェ生誕80年記念展が開催された。
そして、欧州の精神病院を訪ねてコレクションした作品は、精神の衝動が生のままで表現されており、ルネッサンス以降の美しい芸術(Beaux-Arts)に対して反文化的と解釈している。
 このコレクションは、1967年、パリ装飾美術館(Musee des Arts Decoratifs)に展示され、この時点で公的に認知されたと言えるだろう。1976年に、永続的な管理をにアール・ブリュット・コレクション(スイス、ローザンヌ市長と契約された)が開設される運びとなる。アールブリュットが、広く浸透して認知される要だろう。

ジャン・デュビュッフェ、1960年、イタリアにて

Fig.Jean Philippe Arthur Dubuffet

(註)1972年、ロジャー・カーディナル(Roger Cardinal,1940-2019/UK-文学と視覚研究)が、アール・ブリュットからの流れを、アウトサイダーアート(outsider art)として、このアールブリュットの枠組みを広げている。

このベルンのアドルフ・ヴェルフリ財団には、アール・ブリュットの著名なアドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli,1864-1930/スイス)の作品の収蔵・管理されている。
アドルフ・ヴェルフリの主治医でもある精神科医ヴァルター・モルゲンターラーは、それらを出版した。それは「芸術家としての精神病患者」として、それは、まず知られることになる。そして、アール・ブリュット語源とロジックをまとめた、ジャン・デュビュッフェからは、「偉大なるヴェルフリ」と呼ばることになるのだ・・・そこには、「尊厳さがある」とジャン・デュビュッフェは後日、語っている。

(追記)
しかし、おかしな話だ・・・考えて見てもらいたい。
それは、問題は、作者の苦境の生い立ちなのか、また、作者の見事なまでの学歴や経歴でもないだろう。観るもの視点(極)は、ただ「作品」に置かれているのだ。それが、現在(2020-)のスタンダードな視点だろう。
現在のそのロジックは、今も、パラダイムシフトしていると言う事だ。


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