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ハインリヒ・アントン・ミュラーの自然のメタモルフォーゼ(アウトサイダー・アート)

ハインリヒ・アントン・ミュラー(アンリ・アントワーヌ・ミュラー/Heinrich Anton Muller,1869-1930/フランス)
生命の循環系、そして、自然のメタモルフォーゼ(独: Metamorphose/生物の変容)を捉えている絵画だ。(アウトサイダー・アート

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(c)Heinrich Anton Muller

ハインリッヒ・アントン・ミュラーはヴェルサイユ(Versailles/フランス)で生まれた。
スイスの女性と結婚し、彼女の国のコルシエシュルヴェヴェイ(Corsier-sur-Vevey/ヴォー州)に定住しワイン生産者になり、そして、ぶどう刈り取り機械の開発も行っている。

それは、「接ぎ木する前にブドウの木を剪定するための機械」を開発したことだ。しかし、彼は発明が登録された連邦著作権局に年間特許税を支払うことを忘れ、他の人が、その特許の利用権を所得した。そして、ミュラーは、うつ病に陥ってしまう。
その後、益々彼の行動は悪化し、37歳のとき、彼はベルン近郊のミュンジングの精神病院(ドイツ)に入院し、そこで、人生の残りの日を過ごす事になった。
その後も病院内で、永久運動の概念のブドウの木を刈り取るための機械の構築を続けている、それはアブノーマルな世界だったと言われるが、当時の記録も少ない。そして、記述によると、それをミュラー自身が破壊してしまうのだ・・

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Heinrich Anton Muller

この病院で、1914年に、彼は最初はアッサンブラージュ(Assemblage/立体的なコラージュ)の形で、その3年後にはドローイングの形で芸術作品の作成を開始した。
また、病院の壁に、繋ぎ合わせた段ボールやクラフト紙に絵を描くことを行った。主に鉛筆やチョーク類を使用したと言われる、架空の動物寓話等々を描くことも、ミュラーにとっては不可欠な要素であるのだろう。そのコンテンツは、ミュラーの作品の全体的に神秘性を感じるのだが、作品を観て頂きたい。
1930年にベルンで没・・・いわゆるアウトサイダー・アートティスト(アール・ブリュット)だろう。
繰り返すが、生命の循環系、そして、自然のメタモルフォーゼ(独: Metamorphose/生物の変容)を捉えている絵画だが、それに付け加えるなら、永久運動の概念を持ち合わせた、ブドウの木を刈り取る機械の対する執念は、ミュラー絵画には近似性を感じると言うことだ。

そして、ジャン・デュビュッフェ(画家、評論としてアール・ブリュット語源を作る)のアール・ブリュットのコレクションの形成において、初期に大きな役割を果たしたとも言えるだろう。ある意味、アール・ブリュットの先駆的な位置付けだろう。いずれにしても、その「作品」が語っている。

(ご挨拶まで)
2020年秋の美術・芸術!コンテストにご参加、また、ご覧いただきありがとうございました。この不安定なウィルス禍の時期に、多くのアートエッセイ、また、アート作品等(42点)が集まり感謝申し上げます。どの内容を取りましても、皆さまご自身の内面でのご健闘が感じられる感性豊かな作品であり、私共も感銘を受けております。

この後、コンテストの何点か、別枠にご紹介したい応募の記事を掲載させて頂きます。多くの応募とコンテスト記事のご拝読、ありがとうございました。


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