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Art dealerとして知られた女性画家ベティ・パーソンズ

才媛たるベティ・パーソンズ(Betty Parsons)の生涯
About the Arts: Betty Parsons and Cleve Gray


テレビ番組「About the Arts」(芸術について)1977年
「ディーラーのベティ・パーソンズは、アーティストのベティ・パーソンズを見せたことがありますか?」と尋ねた。 「いいえ、決して」とパーソンズは言いきっている。

ベティ・パーソンズ(Betty Bierne Pierson,1900-1982/US-芸術家、美術商、コレクター)
ベティ・パーソンズは、アーティストよりもアートディーラー(Art dealer/画商)としてよく知られている。
1946年の多くの抽象アーティストのキャリアを大幅に支援と促進するベティパーソンズ・ギャラリー(Betty Parsons Gallery)をマンハッタンにオープンした。
そのベティパーソンズ・ギャラリーは、抽象表現主義の初期の広報を成した画廊だ。
実際に当時の評論家からは、彼女は*ニューヨークスクールの「助産婦」と呼ばれていた。その抽象表現主義の核メンバーを育成したアートディーラーだ。

(註) *ニューヨークスクール:New York School / 1950-1960年代のNY前衛芸術集団。
そのメンバーには、アクションペインティングのジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912- 1956 US)や、マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903 -1970)、ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning,1904-1997/オランダ系アメリカ人- 抽象表現主義の画家)、リチャード・タトル(リチャード・ディーン・タトル/Richard Dean Tuttle,1941- /US-アーティスト)他・・・
彼らは、抽象表現主義の核を成していく。

そのベティ・パーソンズは、アーティストとしての教育とキャリアも充分な才能をもった女性なのだ。

1969年に彼女のスタジオでベティパーソンズ

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ロックリズム、1970年

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By Betty Pierson

略歴- Betty Pierson
1900年に、Betty Bierne Piersonは、ニューヨークの裕福な家庭に生まれている。
チャピンスクール(マンハッタン-女子校)で学んだ後、ガットスン・ボルグラム(John Gutzon de la Mothe Borglum ,1867-1941/US-彫刻家)のもとで、芸術を学んでいる。
1919年、Schuyler Livingston Parsons(ニューヨークの裕福な社交家)と結婚。(3年後にパリで離婚したが、夫の姓を続けた)
その後、パーソンズはパリに残り、アカデミー・ドゥ・ラ・グランデ・ショーミエール(Académie de la Grande Chaumière/モンパルナス)に入学した。その後、モンパルナスの家で、Adge Baker(1920-1980/英国-画家)と同居していた。
その間、1923-1933年、パリで彫刻を学んでおり、前衛芸術家のサークルに属していた。
そこには、ガートルード・スタイン(Gertrude Stein、1874-1946/US-著作家、詩人、コレクター)、アレクサンダー・カルダー(アレクサンダー・コールダー/Alexander Calder、1898 - 1976/US-彫刻家・現代美術家)、そして、マン・レイ(Man Ray/ Emmanuel Rudnitsky,1890-1976/US-写真家・画家・彫刻家)たちだ。
大恐慌の後半である、1936年、ベティ・パーソンズはニューヨークに戻り、ニューヨークのミッドタウン・ギャラリーで最初の個展を開催している。 その彼女の水彩画は、当時のレビューでは「楽しい」「興味深い構想」と好評だった。その後、ベティ・パーソンズのOne Woman Showを計画した・・・
ただ、そのアートワークより、ベティパーソンズ・ギャラリー(Betty Parsons Gallery)でのモダニストの画家の育成に視点を置いていたようだ。
その行動は、あまりに著名だ。
1982年、その最期まで、ベティパーソンズ・ギャラリのアート・ディーラーとして活躍・貢献していた。

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Betty Pierson

しかし、パーソンズは画家であり、そのスタジオは、ニューヨーク州ロング・アイランドの東端のノースフォークにあるウォーターフロントのロング・アイランド湾(Long Island Sound)を見下ろす崖の上にあった。
そこでは、パーソンズはギャラリーを離れて、自身のアートに取り組んでいる。
その絵画も、当初の風景や肖像画から、実に主観的な抽象に変化している。
その作品は、多くのミュージアムで展示・収蔵されている。
ホイットニー美術館、スミソニアン・アメリカ美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)・・・
ベティ・パーソンズの論文とベティパーソンズ・ギャラリーの論文は、アメリカ美術公文書館に、この業績は、ニューヨークのその時代のアートシーンを支えている。

芸術と学術的な才を持った女性であり、多くの交友関係と共に、モダニスト・・抽象表現主義の後進の育成、そして、最期まで夫の姓を変えなかった律儀な人なのだ。資産があるからといって、出来ることではないだろう・・

(追記)パリのモンパルナスで同棲していたAdge Baker(UKの画家)とは、20歳年下だ、愛があれば、歳の差なんて・・
いや、それは、下衆の勘繰りと言うものだろう、彼とは、別れた後も、生涯の交友関係があったのだから・・


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