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カルロ・ツィネリと「4」と言う数字(アウトサイダー・アート)

カルロ・ツィネリ(Carlo Zinelli,1916-1974 /伊)
統合失調症に苦しみの中で描き続けた、アウトサイダー・アーティストだ。
1916年、カルロ・ツィネリは、ヴェローナ近郊の村(イタリア)で生まれた。
父親は指物師で7人の子供が居た。その中で、カルロ・ツィネリは農家の下働きに出された。そして。そこでの友達は犬だけったと言われる。ほぼ、人との会話がなかった訳だ。それは、どんなにか、辛い事だっただろう・・
後に、それを、絵画で語っているのだ。

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(c)Carlo Zinelli

そして、
1936年、スペイン内戦のため、徴兵されるが、入隊後の検査で統合失調症が明らかになり、その後、ヴェローナの精神病院に入院し、ほぼ完全に孤立状態で10年間過す、1947年からは、サン・ジャコモ精神病院に収容された。
1957年からの概ね14年間は、他の患者と院内の*アトリエで描いた。その数は、何と小さい作品も含めると3000点を超えるとも言われる。この*更生施設でのルーチンは、他の患者たちにも、病状に良い結果をもたらせたと言われている。それは、描くことが救いにもなっていたのだろう。
そして、カルロ・ツィネリの作品は、ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet,1901-1985,仏/画家・評論)とアール・ブリュットの美術史家の着目された。
1969年、病院は、マルザナ(イタリア)に移動した、それ以降、カルロは、1974年に亡くなるまで、絵を描く頻度はごく少なくなった。

(註)院内のアトリエ:当時の彫刻家たちや、そして精神科医によって、更生施設として開設された。

カルロ・ツィネリの画材は、主にテンペラ絵の具と色鉛筆だ。
「4」と言う数字が、キーワードだ。それは、人物、記号は、4回繰り返す・・
そして、カルロ・ツィネリは純粋な色で、子供の頃の田舎での物語を伝える絵画を作成し、ホラー・ヴァキュイ(Horror Vacui/アートやデザインで空白を残さない様式-ファッションでも多用される)的なスタイルで背景を構成した、そこに4の数字の数だけ、繰り返してる。

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(c)Carlo Zinelli

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Carlo Zinelli

(追記)幾つになっても、自分の幼児体験は忘れたくとも、つき纏う・・・人との会話がなかった。そして、会話は犬だけだったとは、それは辛さの限界を超えるだろう・・(今日の一言)レジ袋はいらないです、は、ある意味類型かも知れない。カルロ・ツィネリは、アートへの表現に依存して生きてきたのかも知れない。だから、このアート世界が成立しているのだろうし、今後の時間軸や地域性を感性の同一性は得られるだろう、それは、「作品」が語っている。

このところコラムにさせていただいております。アウトサイダー・アートは、その作家の生い立ちより、「作品」は、人に見せるために描いている訳ではない、と言うところに、表象の本質があると存じて続けております。しかしながら、文脈から、作家の精神的な病に触れる部分がございまして、その作家の辛さは、察しても、察しきれない事と存じております。

(今後のお知らせ)
このコンテスト #2020年秋の美術・芸術 は、コンテストの形式として、3名の入選はございますが、ある意味、ドクメンタ(カッセル/ドイツ-一人のディレクターによるキュレーション)の展示会ように賞はございません。そして、主催者は、多くの企画をされている秋氏のデレクションと、私(artoday)のコメント(評)で構成されております。         
それは、「そもそも美術エッセイは発表の場すらない」という視点や、小生(artoday)の、もっと、身近に気軽に、美術、芸術の裾野の広がりを願っての事でもございます。この間は、私のアート系コラムをランダムに、連載致しますが、入稿があり次第、応募作品にシフト致します。
どうぞ、気軽に日常のことで、思いつかれた事を応募なさって下さいませ。(註) #2020年秋の美術・芸術 は全角ですので、よろしくお願い致します。


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