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オーギュスタン・ルサージュ:スピリットガイドの作品か、ビジョナリー・アートなのか(アウトサイダーアート)

オーギュスタン・ルサージュ(オーガスティン・ルサージュ/Augustin Lesage,1876-1954/仏):アウトサイダーアート/アールブリュット
エジプトと東洋の建築形態を彷彿とさせる緻密なパターンとモノリシックな構造(monolithic/一体化)を描き、ユニークで対称性のある画風を構築している。そして、見事なまでに鮮やかな色彩だ。どこか、惹かれる絵画だ。オーギュスタン・ルサージュは、トランス (trance) 状態(普通とは異なる意識下)で絵を描いていると言われる。
それは、オーギュスタン・ルサージュのスピリットガイド(指導霊/守護霊)の作風か、ビジョナリー・アート(Visionary art/日本では幻想芸術)となるのか、いずれにしても、観る側の視点(極)を揺すぶられるアートだ。

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Augustin Lesage

略歴-オーガスティン・ルサージュ
1876年、フランスの炭鉱(鉱山)労働者の家族に生まれ、幼い頃から炭鉱で働いていた。
1911年、オーギュスタン・ルサージュが35歳の時、「いつかあなたは画家になる」鉱山の暗闇で声を聞いた。
オーギュスタン・ルサージュが、その人生で、それまでに芸術との唯一の接触は、彼の兵役中にリールにあるリール美術館(Artsde Lille/フランス)への訪問だった。その闇からの声とのコミュニケーションを取り、より多くの声から、指示を与えられたと言う。その声は、具体的に、彼に何を描くべきか、どんな画材を買うべきか、それらをどこで見つけるかを告げた。オーギュスタン・ルサージュに話しかける声は、3歳で亡くなった妹の精霊であるとオーギュスタン・ルサージュは信じていた。
そして、規模のある作風で描くのだが、自分が何を描きたいのか、まったくわからないと述べている。
「描画中のどの時点でも、全体の概要を把握することは出来ない。私のスピリットガイド(指導霊/守護霊)は教えてくれます。私は彼ら(精霊)の衝動に身を任せています」-Augustin Lesage
最初、ルサージュは、自身の絵画に署名したことはなく、その後「レオナルド・ダ・ヴィンチ」に署名し始めまた、その後は、晩年になって初めて、自身の名前を署名している。
そのオーギュスタン・ルサージュの絵画は、炭鉱労働者の真実の言葉であり、そこから、生まれた絵画であることは間違いないのだ。

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Augustin Lesage

話は戻るが、
1912年から、オーギュスタン・ルサージュは定期的に絵画を制作し始めた。
そして、第一次世界大戦で、オーギュスタン・ルサージュの芸術的追求を中断したが、1916年にルサージュは、また、仕事を再開している。1923年までに、ルサージュは、芸術への努力だけで、彼自身の生活を支えているのだ。それもあり、ルサージュは、多くの作品を残している。
オーギュスタン・ルサージュの作品は、当初は、芸術におけるスピリチュアリズム(Spiritualism)として分類されていた。

そして、
1948年に、ジャン・デュビュッフェは、オーギュスタン・ルサージュの作品をコレクションに加えた。
1964年にジャン・デュビュッフェの小冊子「アートブリュットアートブリュット3」に掲載されたアーティストとなる。
1975年以降、アール・ブリュット・コレクション(Collection de L'Art Brut Lausanne-ローザンヌ,スイス)に収蔵・展示されている。
現在は、リール・メトロポール近代美術館(Lille Métropole Museum of Modern, Contemporary and Outsider Art)にも収蔵・展示されている。

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