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羽ばたく幻想 -ウッチェロの魅力

  【月曜日は絵画の日】 

 
絵画史の中には、奇想の系譜というのが確実にあります。例えばゴヤや、サルバトール・ダリのように、へんてこな発想の持ち主でも、生前に評価されていれば、それはそれでよいものです。

しかし、生前どころか、後世もなかなか評価されず、それでも忘れ去られずに、独自の作風が受け入れられるようになった場合もあります。

ルネサンスの画家、ウッチェロは、長いこと巨匠といわれていたにもかかわらず、微妙に評価されず、ようやく20世紀になって再評価されるようになった、不思議な巨匠です。




パオロ・ウッチェロは、1397年、当時のフィレンツェ共和国生まれ。以前書いたフィリッポ・リッピやフラ・アンジェリコよりも少し年上ですから、ルネサンスの中では、かなり初期の人になります。


後年描かれたウッチェロの肖像


彫刻家ギベルティの工房に出入りし、ヴェネツィアでモザイク画の仕事を手掛けた後、フィレンツェで教会のフレスコ画等を手がけました。

動物をこよなく愛し、特に鳥を愛したため、「鳥(ウッチェロ)のパオロ」と呼ばれていたといいます。 後年は遠近法の研究に勤しみ、『サン・ロマーノの戦い』等の名作を残すものの、貧乏暮らし続き。

親友だったドナテッロに比べると、不遇ではありました。長生きをして、1475年、78歳で亡くなっています。




ウッチェロの絵画でよく言われるのが遠近法です。

例えば初期の『ジョン・ホークウッドの騎馬像』は、彫像をフレスコ画で描く、という不思議な試みで、上部の騎馬像と下部の台座の部分で消失点を変えることで、立体感を出そうとしています。 


『ジョン・ホークウッドの騎馬像』
フィレンツェ ドゥオーモ所蔵


そうした立体的な効果が花開いたのが、名作『サン・ロマーノの戦い』でしょう。  
 
フィレンツェの古の合戦を描いたこの祭壇画では、前景と後景、重なる人物や馬の描き分けが非常にヴィヴィッドで、異様な迫力と熱気を感じさせます。


『サン・ロマーノの戦い』
ウフィツィ美術館蔵


しかし、この遠近法は何とも違和感があります。本人が熱心に研究した割には、あまり現実的に見えないのです。

後世から見てもそうですし、当時からかなりの批判がありました。

ルネサンスの芸術家列伝を残したヴァザーリは、遠近法を研究する時間をデッサンや色彩の修練にあてていたら、もっと巨匠になれただろう、という意味のことを言っています。それはそれで言い過ぎな感もありますが。

そして、その色彩感覚も批判の的でした。『聖ゲオルギウスと竜』は、強烈な竜の緑に赤の女性の服が、妙な映え方をしています。


『聖ゲオルギウスと竜』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵


今だったら、なかなか味のある色彩ですが、中世的でも、ラファエロ以降の柔和な色彩感覚でもなく、その妙な遠近法と共に、「巨匠なんだけど・・・」という感想を長いこと抱かせていました。




なぜこんなことになってしまうのか。

それは、遠近法を使う意識が、何かズレてしまっているからのように思えます。

つまり、遠近法というのは、手前が大きく、後方が小さく見えるという、人間のナチュラルな視覚を、二次元に再現するはずのものです。

しかし、ウッチェロの場合、消失点と人物の配置にこだわるあまり、人間の視覚から少しずれてしまうように見えます。

人間の視覚はもう少し曖昧なものであって、ある種、頭で意識して整頓されるものでもある。近代以降の画家、いや、遠近法を通過した人類の頭脳は、それを自然にできます。

まだ遠近法という技法自体が試行錯誤時期だったことも大きいでしょう。『サン・ロマーノの戦い』や『聖ゲオルギウス』には、中世的な遠方のパノラマもあります。


『サン・ロマーノの戦い』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵
三連作の一つ




もしかすると、そこには、彼が愛した鳥への憧れが心のどこかにあったのかもしれない。

鳥は人と違って空を羽ばたいて、空から俯瞰して、前景と後景という鮮やかな世界を見ているはずだ。

この遠近法を使えば、そんな鳥の世界をも再現できる。自分の望みの世界を、この平面に再現できるんだ。

そんな風に考えていたのでは、と妄想をしてしまうほど、彼の世界は、独自の技法によって、幻想的な世界になっているのです。




しかし、色々と問題点を指摘されるにもかかわらず、ウッチェロの作品は、決して忘却の彼方に沈むことはありませんでした。

そのパワフルな色彩と、全てを描きこむ迫力は、多少の瑕疵など吹き飛ばす威力を持っているということでしょう。

そして、最晩年の大傑作『森の中の狩猟』は、そんな彼の特徴が全て美点となって表れています。


『森の中の狩猟』
ウフィツィ美術館蔵


夜の森の中で、規則的な木々が、遠近法で効果的に奥行きを創っています。 夜の闇でその奥は曖昧になり、白い狩猟犬や、狩人たちも奥に向かって小さくなり、舞うように躍動する。

そして、赤い上着や、馬具、靴下が絶妙なアクセントとなって、深い緑の夜の森と草叢に映える。 ここでは、長年培った独自の遠近法が、自然さとも折り合いをつけて、見ることの快楽に繋がっているのです。




ウッチェロの絵画は、ルネサンスを通り越して、20世紀のアンリ・ルソーやヘンリー・ダーガーのような「アウトサイダー・アート」の先駆けのような感触も抱かせます。


アンリ・ルソー『戦争』
オルセー美術館蔵


この三者の共通点は、執拗な描き込みと、遠近法が強烈に歪んでいること。

それゆえに、異様な、この世と思えない幻想世界が広がる。

それは通常の眼から見れば、技術的には稚拙だし、おかしな世界です。

しかし、おそらくは、遠近法という一般的な常識の尺度を捨て、自分の中の世界を信じて描いたからこそ、そうした幻想は立ち上ってくるのでしょう。

それは、色鮮やかな幻の中を飛ぶ、鳥(ウッチェロ)の眼差しと言えるかもしれません。是非、その奇妙な味の美の世界を味わっていただければと思います。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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