闇をさまよう冒険 -傑作映画『バリー・リンドン』の魅力
【木曜日は映画の日】
私は、18世紀から19世紀にかけての、冒険小説的なものが自分のツボにはまるタイプだったりします。小説黄金期のスタンダール『パルムの僧院』しかり、トルストイ『戦争と平和』しかり、20世紀の作品ですが、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』や、ヘルマン・ヘッセの諸作も含めて。
物語の面白さと、冒険によって世界に触れる空気感のバランスが、私の中でその時代のものがぴったりはまるのです(勿論、どの時代のものが合うかは、個人差があるでしょう)。
『2001年宇宙の旅』の映画監督スタンリー・キューブリックが1975年に製作した映画、『バリー・リンドン』は、『虚栄の市』で名高い19世紀半ばのイギリスの小説家サッカレイ原作の冒険映画であり、私の偏愛する作品の一つです。
第1部のタイトルは、「どのような手段によって、レドモンド・バリーがバリー・リンドンの暮しと称号を得たのか」。
19世紀半ば、農家の青年、レドモンド・バリーは、女性を巡るいざこざから、村に居られなくなって出ていきます。
追剥にあい、一文無しになると、丁度募集をしていたイギリス軍に入り、戦争に行くことに。
紆余曲折あり、なぜか敵方に行ったりして、自分の身分や立場を偽ってあらゆる場所をうろつき、バリーはのし上がっていきます。
そんなバリーがどうなるかは、第2部のタイトルにある通りです。その行状は、是非ご覧になって確かめていただければと思います。
この映画が好きなのは、まずはその画面の雰囲気です。
風光明媚な自然と、野に降り注ぐ柔らかい光を捉えた昼の光景から、お屋敷でのロウソクだけの光で捉えた、妖しい夜のギャンブルのシーンまで。
後者のシーンでは、NASA特注のレンズも導入され、本当にほぼロウソクだけでの撮影したとのこと。更に、乱痴気騒ぎ後の朝の光が差し込む貴族の部屋には、イギリスの画家ホガースのような審美的な美しさもあり、キューブリックの映画の中でも、古典的な絵画に最も近づいた作品だと思っています。
そして語られる物語は、驚くほどスタンダードな、悪漢小説的な成り上がり者の栄光と失墜の物語であり、その良い意味で定型的な面白さが、画面の美しさと見事に同調しています。
バリーを演じるライアン・オニールは、甘いマスクに、軽薄さ、わがままさと繊細さが同居してのはまり役であり、終盤での涙を誘う演技も含めて、熱演しています。
『ある愛の詩』や『ペーパー・ムーン』、この『バリー・リンドン』等で人気を博すも、驕った態度やトラブルによって、スターダムに乗り切れなかったところも併せて、キューブリックは彼の資質を見抜いていたのでは、と思わせます。
そのスタンリー・キューブリックは1928年、ニューヨークのマンハッタン生まれ。カメラに興味を持ち、雑誌『ルック』の見習いカメラマンとして在籍しつつ、ドキュメンタリーを撮って、映画への道を目指します。
1953年に初の長篇『恐怖と欲望』を自主製作。本人的には忘れたい作品らしいですが、『非情の罠』、そして『現金に体を張れ』は初期の傑作になります。
ここまでの経歴通り、彼はハリウッドとは縁遠い東海岸の人であり、自分で製作も手掛ける新しいタイプの映画作家でした。
『突撃』、『スパルタカス』とハリウッドのトップ俳優カーク・ダグラスと仕事をするも本人的には納得がいかず、以降はイギリスに拠点を移し、製作・監督から宣伝に至るまで、自分の手で行うようになります。
『博士の異常な愛情』、『2001年宇宙の旅』、『時計じかけのオレンジ』と、全てイギリスとアメリカの合作であり、ハリウッドのトップスターは出ていなくても、ヒットと高評価が両立できることを証明した稀有な存在でした。
遺作『アイズ・ワイド・シャット』完成直後、心臓発作により、1999年70歳で亡くなっています。
キューブリックの映画の特徴は、主人公がある種の妄執によって彷徨うということです。
妻の性的な告白でニューヨークの真夜中を彷徨い、とんでもない裏世界まで到達する『アイズ・ワイド・シャット』、『現金に身体を張れ』の現金強奪計画。
あるいは『スパルタカス』のローマへの反乱、『フルメタルジャケット』のベトナム戦争や、『ロリータ』、『シャイニング』、『2001年宇宙の旅』に至るまで、主人公は皆妄想に取り憑かれ、暴力や寒々しい対立が支配する世界の中を、あてどなくふらふら彷徨います。勿論『バリー・リンドン』も例外ではありません。
そして彷徨の末に、そんな世界で彼らを悩ませていた、ある種の力の根源のような、恐ろしいものにぶつかります。
一番わかりやすいのは『フルメタルジャケット』で、兵士たちを恐怖と狂気に陥れていた「謎の狙撃手」の正体でしょう。
あるいは『シャイニング』の二人の姉妹の亡霊とあの写真、『2001年宇宙の旅』の黒いモノリスの「石板」、『現金に身体を張れ』の空に舞う札束、そして『アイズ・ワイド・シャット』で妻が言う、あの一言等。
大事なことは、それが分かったからといって、主人公は何か成長するわけでも、力を手に入れるわけでもない。ただ、妄執の根元が、そのようなもので出来ていたことと、紙のように薄い世界の有り様を、彼らの疲労と共に、私たちは実感するのです。
では『バリー・リンドン』では? おそらくは「エピローグ」が、その世界の「根源」にあたるのでしょう。
そこには言葉しかなく、そしてそれはまさに、この世界の真理を短く表した言葉であり、であるがゆえに、バリーや私たちを、死に抵抗するように冒険に駆り立ててやまない、この世界の根源でもあるのでしょう。私がこの作品を大好きなのは、そうした普遍的な真理に端的に触れた冒険映画でもあるからです。
その真理の言葉が何なのかも、美しい風景や、闇を照らすロウソクの光と共に、是非ご覧になっていただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。
楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。