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民衆の中のリアル-クールベの絵画についての随想


【月曜日は絵画の日】

 
 
絵画において、リアルであることは、よく考えると不思議なことのように思えます。
 
というのも、古代の壁画から、仏教、キリスト教の宗教美術を含めた近代以前の絵画まで、現実のありのままの光景を描いたものが、実は結構少ない気がするのです。
 
キリストの磔だったり、古代の神話であったり。いや西洋に限らず、人類の視覚芸術は、「この現実にはない、現実以上の世界をいかに現出して体感させるか」に、長い間多くの賭け金が置かれていたように思えます。

肖像画ですら、見たままよりも、その人の理想的な姿を書く方が多かったと思っています(馬に乘ったナポレオンの有名な姿等)。
 
それが崩れ出すのは、近代以降。その先駆者となった優れた画家として、フランスの画家クールベを挙げられます。


『波』
国立西洋美術館蔵




ギュスターヴ・クールベは1819年生まれ。最初はパリに出てソルボンヌ大学法学部に入学しますが、これは親の意向。本人は、画塾やルーヴルに通い、20代半ばにようやく画家デビューすることとなります。

ギュスターヴ・クールベ


1855年の万国博覧会に『画家のアトリエ』、『オルナンの埋葬』を出品しようとするも落選。すると、会場のすぐ横で「クールベ展」を自分で開いたりする等、強烈なバイタリティの持ち主でもありました。

そして、自分の絵画は「レアリスム」(写実主義)だという文章も寄せています。




そこで書かれた「レアリスム」とは、要は、物事を理想化せずに、自分の生きている時代を描くという話です。
 
実際、クールベには、天使を描いてくれと言ってきた人に対し、「天使を見たことがないから描けない」と返したという有名なエピソードがあります。こうした態度は、その真骨頂と言えるでしょう。
 
しかし、だからといって彼の絵画が、必ずしも「現実みたまま」にならないところが、興味深いところです。




例えば代表作の一つ『画家のアトリエ』。これは、一見絵を描いている画家の元に集まった人々を写実的に描いているように見えます。しかし、この雑多な人々は、現実に集まったとは到底思えません。明らかに「演出」があります。


『画家のアトリエ』
オルセー美術館蔵


それは、クールベ自身も説明しています。即ち、画家の左側にいる人たちは、あらゆる階層の人々で、それらを中央の画家が描く。

そして右側は、パトロンやクールベの友人、思想家等、画家を支える人々がいる。個々の静物の寓意も説明されていますが、骸骨や十字架等、案外伝統的なものばかりです。
 
つまり、ここでの「写実」は、見たままを自然に描くということではありません。あくまで生きている「今」を感じられるようにするということのように思えます。
 
それは、誤解を恐れずに言えば、新しい現代の神話を創りあげるために、現実を利用する「レアリスム」だと思えるのです。




その新しい時代の神話とは何か。一言で言えば、「民衆」です。
 
『画家のアトリエ』の右側には、独特な社会主義や無政府主義で知られる、革命家で思想家のプルードンが描かれています。クールベは、プルードンに傾倒していました。
 
プルードンやサン・シモン、マルクスとエンゲルスから、バクーニンやゲルツェンに至るまで、19世紀の革命家の無政府主義・社会主義・共産主義の流れをここで説明するのは困難です。
 
最低限言えるとするなら、19世紀の近代化・資本主義の浸透した社会において、古代の王政でなく、近代の政府でもなく、民衆が自立した社会を創って生きることが、模索されていたということでしょう。


『こんにちは、クールベさん』
ファーブル美術館蔵
右の人物がクールベ、左側がパトロン達
両者を対等に描いている

 
そして、クールベは、言葉ではなく、絵画において、その理念を追求していたように思えます。古代の神話ではなく、今の時代に、大地に接している農民や働く民衆にとって、リアルに感じられるものを描くこと。
 
それが、共感を呼んで社会主義的な「民衆の共同体」というユートピアを想起させることを究極的には目指していたようにも思えます。ここら辺は、法学部出身の理論家という感じもしますし、ある種のパフォーマーとしての優秀さも感じさせます。
 
とはいえ、それはまた代償を払うものでもありました。1870年、民衆の蜂起による世界初の労働者による自治政府「パリ・コミューン」に参加するも、二か月で反乱は鎮圧されます。

多額の借金を背負い、スイスに亡命。失意のまま7年後、58歳で生涯を終えています。


『罠にかかった狐』
国立西洋美術館蔵




ここまで彼の演出と思想を書いてきましたが、彼の作品は、そうした部分に囚われない部分が、大きな魅力になっていると私は思っています。というのも、クールベは思想の上では革新的だけど、技法の上では古典主義者でもありました。
 
例えば『オルナンの埋葬』での、喪服の黒の質感は、驚くほど肉感的で、ベラスケス以来とでも言えるような生々しさを持っています。
 
現代の人々の生々しさを、神話絵の幻想以上に体感させる。そのための努力と試行錯誤が、見たままの現実とは違う、新たな美を産み出すことになったと思えるのです。

そして、クールベの作品が今でも人々を魅了するのは、その美が今でも通じる強固なものだからでしょう。


『オルナンの埋葬』
オルセー美術館蔵




思想や主義は古びても、真に優れた芸術は古びず、あらゆる時代のあらゆる人々に開かれている。そんな、私が芸術を愛する理由が顕れているのもまた、私にとって、クールベの作品が魅力的である理由です。
 
「レアリスム」という言葉に惑わされず、是非一度、その生々しく物質的な美しさを体験していただければ、と思っています。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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