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アイロニーは世界を広げる -名盤『セイル・アウェイ』の面白さ【エッセイ#55】

アイロニー、皮肉というものは、非常に使い方が難しいものです。ちくちくと悪意を込めつつ、裏の意図も、相手に読み取らせないといけない。そして、世の中冗談が分かる人ばかりではないので、誤解ならまだしも、怒りを招く場合だってある。現在なら尚更、扱いを間違うと大変なことになります。
 
しかし、それは決してなくなっていいものでもない。私たちに知性と、幅広い見方を与えてくれます。


 
シンガー・ソングライターのランディ=ニューマンはそうしたアイロニーの使い手としてはロック界ではトップクラスの作り手です。驚異的なまでのどす黒い悪意、一体どこから思いつくのか分からない突飛な着想の歌を、美しいオーケストラとピアノで飾り立て、投げやりなダミ声で歌う男。
 
彼の楽曲や、1972年の最高傑作アルバム『セイル・アウェイ』を例に、アイロニーがどういうものかを聞いてみましょう。

 
アルバム一曲目、『セイル・アウェイ』は、美しい管楽器から、だみ声の男が、アメリカでは食べ物には事欠かないと歌い出します。ジャングルを駆ける必要もない、ライオンや虎もいない、アメリカは素晴らしいと語り掛けるように続け、サビで歌いあげます。

漕ぎ出そう
漕ぎ出そう
大いなる海をこえて、チャールストン湾へ

 悠揚たるストリングスを添えた、どこか希望に満ちた美しいメロディ。しかし、どこかおかしいです。ジャングルとは? チャールストン湾とは? 
 
そう、この歌は端的に言って、奴隷商人の歌です。

18世紀アメリカの奴隷商人が、アフリカで、男たちを勧誘して、奴隷船に詰め込んで、米南部のサウスカロライナ州(厳しい奴隷制によるプランテーションで栄えていました)チャールストン湾に向けて送り出そうとする。そんな説明は一切してくれません。ただ、ランディは、自分が奴隷商人になりきって、歌っているのです。



シンガー・ソングライターは、自分自身を歌うというのが定石です。ジェイムズ=テイラー、ジョニ=ミッチェル、キャロル=キングからテイラー=スウィフトに至るまで、等身大の自分を伝える歌詞を書くのが普通です。
 
しかし、ランディは、決して誰もがなりたがらない人物にしばしばなりきって、歌い上げます。
 
2曲目の『ロンリー・アット・ザ・トップ』は、金を稼ぎまくるスター歌手なのに孤独を抱える男の独白です。このアルバム以外なら、レクサスを乗りまわし、若い愛人が会いに来ないことをねちねち愚痴って怒る老人(『シェイム』)、ワイルドなパーティーに来て困惑するマザコン男(『ママ・トールド・ミー』)、死ぬほど暇な、夜のガソリンスタンド店員(『イフ・ユー・ニード・オイル』)。

 
これらはまだましな方で、黒人差別主義者の貧しい白人男(『レッドネック』)、電話ボックス(覚えていますか?)の落書きからストーカーする男(『スザンヌ』)、知的障碍者の幼馴染をサーカスの見世物にして生活する男の口上(『デブのディヴィ』)、ナチス台頭前夜のドイツの幼女誘拐殺人犯の呟き(『嵐の前のドイツにて』)といった、もはやコンプライアンスを超えたなりきりも披露します。


 
いったいなぜ、こんな人物たちの歌を作って、しかも自分がなりきるのか。本人のインタビュー等を読んでも、面白いからという意味以上のことは言いません(こんな人ですが、口調は皮肉っぽくても、いつもかなり誠実に答えています)。
 
しかし、彼が題材にする人物には、多様でも、ある種の共通点があります。それは、自分の狭い見方や偏見、妄執に囚われて、苦しみ、自滅する人々です。

世の中には決して善良な美男美女ばかりだけではない。様々な事情を抱えた人が生活している。それを見せるために、悪意をもって、彼らを描写すること。そう心掛けているようです。それがつまり、アイロニーというものです。


 そして、そのアイロニーは、世の中に対するもっと深い視野を与えます。
 
『セイル・アウェイ』の中でも最も痛烈な曲が『ポリティカル・サイエンス』です。俺たちは金を落としてやったのに、誰も感謝しない、一発でかいの(爆弾)を見舞ってやりたい、この世を全てアメリカの街にしてやりたい、という男の独白。まさに、ポリティカルな、アメリカの新自由主義者を予言したような背筋も凍る歌詞。
 
ちなみに、インタビューでは、「明らかにバカ者、バカすぎて笑える男だけど、最近ライブで歌うと『そうだ、それも悪くないな』とか言う奴がいるんだけど」と嘯いています。

なお、私が以前持っていたベスト・アルバムのライナーの自作解説では、短く「Unfortunately, Never out of date」(残念ながら時代遅れの歌ではない)と書いていました。


 
そして、『セイル・アウェイ』と対になるのが、これから27年後の1999年に書かれた『グレート・ネーションズ・ヨーロッパ』です。


ここでは、16世紀の大航海時代にヨーロッパから、持ち込まれた伝染病によって滅亡したカナリア諸島やアメリカの先住民たちを歌います。サビは「妻や娘、食料品を隠せ、偉大なヨーロッパがやってくる」と、まさに『セイル・アウェイ』と対になっています。
 
そして、最後には、いつの日か、今度は別の病気が、今の欧米がわが物にしている世界に、昔の「偉大なるヨーロッパ」みたいに、襲い掛かってくるかもしれないぞ、と歌います。この歌から20年後に何があったかを説明する必要はないでしょう。

これこそが、アイロニーの効用です。つまり、アイロニーは、知性であり、歴史を観察して学び、自分の世界を広げるのです。



実のところ、彼はもう、こうした歌をあまり作っていません。実は、ランディが最も有名なのは、映画音楽です。しかも子供向けの。
 
『トイ・ストーリー』の主題歌『きみは友だち』は、彼が自作して歌った作品であり、『モンスターズ・インク』では、アカデミー主題歌賞もとっています。本人も、自分はすごろくで言うところの、「あがり」で、もう昔のような歌は作れないと言っています。
 
しかし、これは決して皮肉ではなく、彼の中には、世の中のはぐれ者に対する優しさも、またあるように思えます。それゆえに、子供向けの歌も、彼の一つの側面といえます。


 
アルバム『セイル・アウェイ』で、私が一番好きなのは、『息子への手紙』という歌です。ここでのなりきりは、小さな子供に対して、どのようにあやして話しかけていいかも分からず、不器用に強がりながら、でもいつでも愛しているよと伝える父親です。

自身の父親をモデルにしたというこの歌のように、彼の歌にはいつも、どこか不器用なユーモアが、隠されています。


そのユーモアゆえに、アイロニーもまた、引き立ち、行き過ぎを戒めてくれる。激辛料理に、ひとさじの砂糖を入れることで、豊かな風味が増すように。そうしたアイロニーのうま味が、ランディ=ニューマンの歌であり、名盤『セイル・アウェイ』なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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