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時を超えたモダンなジュエリー -魅惑のカルティエ


東京国立博物館で開催中の『カルティエと日本 半世紀のあゆみ 「結 MUSUBI」展 ― 美と芸術をめぐる対話』展に行ってきました(7月28日まで)。
 


カルティエジャパンの50周年を記念して開催されたこちらの展覧会。

カルティエの財団が代々収集した日本美術とそのインスパイアジュエリーの展示や、現代のアーティストとのコラボレーション等、大変興味深いものでした。
 
改めて観ていると、カルティエが、ジュエリー・時計ブランドの中でちょっと不思議な立ち位置にあるのを、再確認できました。




カルティエは1847年、フランス人の宝石商ルイ・フランソワ・カルティエによって創業されました。
 
皇帝ナポレオン三世の従妹、マチルド皇女が顧客になったことで、上流階級に評判が広まることに。そして、ルイ・フランソワの孫、三代目のルイ・カルティエの経営時代に飛躍します。
 

ルイ・カルティエ



ルイは1904年に『サントス』、1917年に『タンク』といった、革新的な腕時計を開発。
 
1902年、ルイの弟、ピエールがロンドン支店をオープンし、イギリスのエドワード7世の戴冠式にも携わり、王室ご用達に。エドワード7世から「王の宝石商にして宝石商の王」という称号が与えられました。
 
その後、ジャンヌ・トゥーサンが、クリエイティブ・ディレクターに就任し、『パンテール』といった独創的なジュエリーの制作にあたります。カルティエ一家の家族経営とトゥーサンのクリエイティブな制作の両輪体制は1960年代まで続きます。
 
その後も、現代にいたるまで、ラグジュアリー・ブランドの一角として、確かな存在感を持っています。現在はピアジェや、ヴァンクリーフ&アーペル、ランゲ&ゾーネ等と同じ、リシュモングループの傘下です。




カルティエの興味深いところは、アール・ヌーヴォーとアール・デコの両立にあるように思えます。
 
アール・ヌーヴォー様式は、まさにジュエリーの数々。
 

『パンテール』
ウィンザー公爵夫人が購入した、1949年制作のブローチ。
VINCENT WULVERYCK, COLLECTION CARTIER © CARTIER


先の『MUSUBI』展でも、日本の屏風絵をモチーフにしたジュエリーとルイのコレクションが並べてありました。

ルイはパリの「日本美術友の会」の会員で、印象派台頭期に少年時代を過ごしているというのを考えれば、その嗜好は頷けます。
 
ただ、1900年代初頭から、既に抽象的な模様のジュエリーもまた手掛けており、かなり先鋭的な感覚を持っていたのも分かります。


カルティエHPより。
1900年代に既に制作されていた
アールデコ風のジュエリー
© CARTIER



 
アール・デコ様式は、『サントス』や、『タンク』という、現在でもブランドの中核をなす傑作腕時計にあります。
 

初代『サントス』
© CARTIER


四角いケースに、ラウンド上に広がるローマ字。ほんのりとしたシュールさと、すっきりした清潔感でまとまったデザインに、意外な視認性の良さ。優美さと共に、日常使いもできるシンプルさも備えた機械的なデザイン。
 
『サントス』が、ルイの友人で飛行士のアルベルト・サントスから「飛行中でも腕に着けて見られる時計が欲しい」という要請で創られたことは象徴的です。
 
また、『タンク』は、第一次世界大戦中の、戦車のキャタピラーをモチーフにしてデザインされたと言っています。どちらも、20世紀的な戦争の影があることは興味深い。

 

現在のタンク ルイ カルティエ
ルイ・カルティエ本人が
最も愛用したこの作品も
現在もほぼデザインを変えずに
販売されている
© CARTIER


20世紀の機械文明的なモダンデザインを、腕時計のデザインに結晶させる見事なセンス。

『サントス』以前にも、腕時計というのは存在したのですが、量産化に成功し、ベストセラーとして大衆に行き渡るようになったのは、この『サントス』や『タンク』が嚆矢でした。
 
懐中時計にほぼ専念していた他の時計ブランドではなく、最新流行に染まったジュエリーブランドが、現代生活と大衆の嗜好に合わせた製品を創り出せたという面白い現象です。




また指輪でも、トリニティは、フランスの三色旗を連想させる3つの装飾をシルバー・イエローゴールド・ピンクゴールドに置き換える発想の良さ、ごてごてしないデザイン感は、やはりアール・デコ的です。
 

現在の『トリニティ』
© CARTIER


「アール・ヌーヴォー様式」と「アール・デコ様式」。富裕層向けの一点ものジュエリーと、一般大衆向けのすっきりしたハイ・ブランド的ラグジュアリーといった両極端な文化が、無理なく同居しています。




そうした二面性を思うと、彼らの創業年が、1847年だというのは、とても象徴的に感じられます。
 
創業の翌年の1848年は、フランス二月革命や、オーストリアでの蜂起といった『諸国民の春』とよばれる、ヨーロッパの民衆蜂起が一斉に起きた年です。
 
結果としては、マルクスが『ルイ・ナポレオンのブリュメール18日』で描いたように、ナポレオン三世によるフランス第二帝政を招く等、全体的に反動的な体制が多くなったものの、ナショナリズムと新しい民衆の台頭は、抑えられるものではなくなったことが、露わになった年でもあります。
 
そんな中で「王の宝石商」という立場でいるためには、まさに第二帝政のように、王の権力と働く大衆の間の接点を持ち続ける必要があったのではないでしょうか。
 
そこに、ルイの時代を読むセンスと、当時の粋を集めた美的な感覚により、真に大衆のための腕時計が生まれ、「宝石商の王」としての地位も確立したのでしょう。




彼らは例えば、高級時計ブランドの「ブレゲ」とは違います。このブランドは、1775年に天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲが興し、マリー・アントワネットも顧客の一人でした。そこまでの歴史はない。
 

ブレゲ『マリー・アントワネットNo.1160』復刻版
時計師ブレゲが、王妃の礼賛者から
当時の全ての技術を結集した時計を
依頼され、制作された。
王妃やブレゲ自身の死後に完成
©Breguet


どちらかというと、世界一の高級腕時計ブランドで、1835年創業のパテック・フィリップに近い感覚を、カルティエは持っている気がします。アール・デコの影響を受けた、洗練されつつ、ある種冒険的なデザイン。それでいて、王家や著名な芸術家にも納品するハイソサエティ感。


パテック・フィリップ『カラトラバ(Ref.96)』
バウハウスやアールデコのエッセンスを受け継ぐ
シンプルな機能美のドレスウォッチ
©Patek Philippe


ただ、創業者が時計師であるブレゲやパテック・フィリップと違って、ジュエラーだった点は、大きいのでしょう。
 
美と大衆性の追求により、内部の機械よりも、外観や使用者の心地よさに重点が置かれていると言えるかもしれません。そういえば、私も以前カルティエの時計店で試着した時に、ブレスレットの快適な着け心地に驚いた記憶があります。




恐らくそうした諸々の感覚が、現在も美術展を開いて、現代アーティストとコラボしたりする点にも繋がっている気がします。
 
シャネルやグッチのような、20世紀に創業したブランドも勿論、先に挙げたような富裕層向けと一般大衆向けの二面を持ち、アーティストとコラボしたりしています。

しかし、彼らとちょっと違う、マーケティングを離れた「高級な伝統文化への愛」のようなものが感じられるように思えます。
 
それはつまり、19世紀半ばから20世紀初頭にかけての、伝統と破壊の両面を体感したカルティエ一族の、美への愛によるものかもしれません。

その美は、アール・デコと同様、高貴なお金持ちだけでなく、一般大衆の生活を美によって高めるためだという認識があるように思えるのです。




カルティエ一族が経営を離れた70年代以降も、カルティエは、『バロン・ブルー』、『タンク・フランセーズ』といった、現在でも流通する製品を開発しています。
 
会場のパネルには、現社長のシリル・ヴィニュロンのこんな言葉がありました。
 

現代性とは、新しいものではなく、今日の私たちに語りかけるものです


伝統を生かしつつ、今を生きる私たちが使えるからこそ、それはモダンであり得る。
 
カルティエが魅力的なのは、外観だけでなく、そうしたアール・デコのモダンな精神を、時を超えて受け継いでいるから、と言えるのかもしれません。

 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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