見出し画像

両極を体験して初めて修行という。

2020年制作「如来座像」より。 

ーー
ちょうど1年前の3月。
僕は、座禅修行の一環として、「歩行禅」というのを始めました。大阿闍梨の塩沼住職が提唱している「歩きながら座禅のような精神を保つ」こと。

丁寧に歩きながら、感謝の念を唱える。15分ほどの心のストレッチといいますか。

最初は早朝の30分ほどでしたが、だんだん時間と距離が伸びていきました。心を整えるには早朝のウォーキングは最適です。
そのうち、10㎞、15㎞と歩くようになり、一番歩いた時は30㎞にもなりました。

雨の日も、育児の日も、仕事の日も歩き続けました。
ちょうど◯◯宣言もでて、仕事もぐんと減ったあたりでした。将来の不安もありました。身近なところで差別的な態度も取られました。
しかし何よりも、個人の感情を通り越して、日本中、世界中の恐怖や「怒り」を感じとってしまい、何かをしないとマトモにはいられなかった、というのが正直なところです。

歩くことで「今、ここ」に集中する。座禅のように、思考や感情から距離を置き、無心になる。そうして歩き続けていき、8ヶ月後には、「3,100㎞」、実に日本を横断する距離まで歩いていました。

かつて20歳の頃に、自転車で鹿児島から北海道まで野宿をしながら横断したことがありました。まさか40代で、徒歩で横断する距離を歩くことになるとは思いもしませんでした。

Googleマップで距離を測っていました。🇯🇵
ーーー
そして。
今年2022年1月初旬の雪の朝。僕は電動自転車で転倒。人生初の左足首骨折。全治2ヶ月。



全く、歩けなくなってしまいました。。

這いつくばって育児をしながら、松葉杖や車椅子で近所を移動するくらい。
無論、仕事も2ヶ月キャンセルで、これも人生初の長期療養期間になってしまいました。

そこで僕は「今までなかなか取り組めなかった、あの世とこの世がテーマの風景画を描こう」と考えました。

こちらのマガジンの記事にも「地平線シリーズ」と題して、制作過程や完成作品、詩を添えて発表しています。
noteを始めたのもこの頃でした。

何かを始めなければ、と焦っていたのは否めません。しかし、「これは意味があるのだろう。この期間に全力を尽くさねば」と感じたのです。

悲観的になっても始まりませんから、腰を据えて、新しい気持ちでキャンバスに向き合うことにしました。

その期間、絵の勉強を始めた高校時代のころ、または抽象画やオブジェを作っていた大学時代の感覚を、よく思い出していました。

何か根源的な、自分の魂の奥底につながる感覚が生まれてきました。

歩けなくなった分、沢山の絵を描くことになりました。

ーーー
そして先程、お風呂に入りながら、ふと思いました。

「歩くことで学ぶこと。歩けなくなって学ぶこと。この両極の修行を経て、本当に大切なことに気づくのだ」と。

歩行禅を実践していた時は、ひたすらに自分の心を整えることだけに集中してました。
そして、骨折したあとは、心を整えた先に見えてきた、「根源的な魂の原郷」みたいなイメージを、定着させていったという感じでしょうか。

それまでは、歩行禅の経験こそ良し、と思っていた節があります。その機会を失って、とても残念無念で、その代わりに・・という気持ちでいました。

しかし、例え「骨折は自身の不注意と過信」が原因で、それは日々猛省するとして、この骨折があってこそ、2つの対極の体験が出来た。
それにより、本当に学びを得たのだ。

全ての経験には無駄はない。
どんなことでも、必ず魂を磨くための学びとして、得られるものがある。

神様仏様は、良くもまぁ、こんな両極の経験をさせてくださったものだ。本当に、おかげさま、とはこのことだ。

と感じました。

感謝しかありません。

お風呂でこうやって想いを馳せられるのも、今まではなかったことでした。
3年間、息子と一緒にお風呂に入るのが日課だったので、いつも慌ただしいものでした。

骨折後、ゆっくりと服を脱ぎ、ギブスをビニール靴でカバーし、お尻を引き立って、バランスを取り湯船に浸かる。
まさに至福の時!
一日、お疲れ様でした、と身体の隅々に伝える時間。これも、神様仏様の与えた時間ですね。

人生、何一つ無駄な体験はないということがわかりますし、その過程で起こる、怖さや恐れすらと、必要なものだと思えます。

その上で、勇気を持って、一歩一歩進むこと。

今ここに集中して、悔いなく生きること。

その姿勢が、「あの世とこの世の境目を描く地平線」に繋がるのだと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


(おわり)

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。