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光と色の魔術師、ステンドグラス職人-その2 *エノガストロノミア&アトリエ n.10*

ポッローニ工房の歴史

当時のフィレンツェでの、ステンドグラス工房の位置付けは、修復専門。注文を依頼されたとしても、宗教関係の製作。

ポッローニ工房の創設者、グイド・ポッローニは、そんな狭いカテゴリーから飛び出し、建築家やインテリアデザイナーと組み、ステンドグラスのイメージを、ひとつのアートとして再構築した貴重な人物です。

これは推測ですが、同時期に活躍していたティファニー社創業者の息子で、ガラス工芸家でもある、ルイス・カムフォート・ティファニーからも、影響を受けたのかもしれません。のちにティファニーランプで有名になる人物です。

ポッローニ工房製作のティファニーランプ

1900年に開催されたパリ万博で、ルイス・カムフォート・ティファニーは、『ティファニー・スタジオ』作品を出展。ニューヨーク・アール・ヌーヴォーの第一人者として、本家ティファニー社作品を凌ぐ評判と名声を得る。
(出典:Wikipedia)

いま老舗として存在している工房の、当時のマエストロ(師匠)達が、世界に向けて自分たちの技術や作品を披露した場がパリ万博。欧州の職人が一堂に会した展示といっても過言ではありません。

グイド・ポッローニがパリ万博を訪れていないはずはありません。時を経た、1919年に、いまも変わらずに建つ、ポッローニ工房を立ち上げます。

わたしが、若かりし日の
グイド・ポッローニです。
参照:Polloni HP

運命的な二人の出会い

マエストロ(師匠)グイドは、フィレンツェやピサの芸術学校で教えていた、セルジョ・パプッチ教授に出会います。

豊かな才能を持つ、まだ若き、パプッチ教授と、ステンドグラスに関する幅広い知識をもつ、マエストロ・グイド。二人の運命的な出会い。

中世以前から用いられていたステンドグラス製法の研究から、新しい素材を使ったモダンなアート作品まで、二人は、リサーチし、試作し、新しい製法を模索していきます。

パプッチ教授とマエストロ・グイド
参照:Polloni HP

ほどなくして、若きパプッチ教授は、マエストロ・グイドのひとり娘、シモネッタ・ポッローニに恋に落ち、結婚。

現在は、パプッチ教授とシモネッタの子供達である、チンツィアとシルビア、マエストロ・グイドの兄弟の子供達が、ポッローニ工房で仕事を続けています。さらに、チンツィアとシルビアの息子達も、新たに工房のメンバーに入っています。

こんな風に、家族経営の工房が、ちゃんと引き継がれていると、本当に心から嬉しくなります。ひとつでも多くの工房が、未来に繋がって欲しい。これからも、ポッローニ工房が受け継がれて行くことを、希望してやみません。

自然の刃

マエストロ・グイドと、パプッチ教授が研究してきた資料。1919年から蓄積されてきた、修復や製作で使われた貴重な下絵が、工房の1階にきちんと保管されていました。

1966年11月4日。約半月に渡り、ずっと雨が降り続け、ついに、この日の早朝に、アルノ川が氾濫します。

この写真の意味するところ、わかりますか?

参照:Polloni HP

下から三分の一ほどのところに、白い線が引かれていますが、ここまでアルノ川が浸水したんです。

1階は完全に水の中。歴史的価値のある貴重な資料も下絵も、製作中だった作品も、流され、泥土にまみれ、なすすべもなく、呆然と立ち尽くすスタッフたち。

落ち込んでいても、なにも始まらない。
とにかく、やれることをやらなきゃ。

水が引くのを待って、みんなで手分けしての大掃除です。

参照:Polloni HP

下の写真で、左上が救出された資料。そして、ガラスを焼くための、2台の小さな炉。

書籍:L'officina dei maestri vetrai 
La Bottega dei Polloni a Firenze

アンティックといっても過言ではない、この2つの炉は、ライフラインが完全に止まった状況で、室内に残された資料を乾かし、湿り切った工房全体を乾かし、人間が暖をとるために、救世主として活躍します。

ポッローニ工房とは

中庭建物の中央に、工房のモットーが描かれています。

IGNIS ET LUMINIS OPUS
ラテン語で、IGNISは炎。LUMINISは光。
OPUSは作品。または作家。

中央のシンボルは炎。
炎のまわりに光。

ポッローニ工房は、炎と光りの作品を、ときには甦らせ、ときには作りだす職人工房であり、炎と光りを美しく操る芸術工房です。どちらが欠けても、ポッローニ工房は成り立ちません。

VETRATE D'ARTE
ガラスの芸術
G.Polloni
ポッローニ工房

工房のなか

中庭をL字に囲むような建物の、1階と2階が工房。ステンドグラスは、小さな手のひらサイズから、教会のものになると、2メートルを超える大きなサイズも普通にあるから、広いスペースが必要なのです。


足を押さえられての、離れ業。
要、腹筋。
参照:Polloni HP

ステンドグラスに着色して絵を描くのも1つの手法。

紙に描いて、色を決めて行く作業。原案は、写真手前に見える、緑の輪の作品。

紙とガラスとでは発色が異なるので、微調整は、熟練した職人の目が必要。

あれ? さきほど、1階にいた職人さん。

2階で、別な作品に着手していました。

ひとりで、いくつもの仕事を同時並行されているんですね。職人さんの背後に残されている、過去の修復や作品の資料も素敵です。

ガラスで塗料を調整。

もちろん、市販の油絵とかアクリル絵の具じゃありません。粉末の塗料を溶いて作っていきます。

用途に応じる、多種類の筆。わたしは絵を描けないから、こんなにたくさんの筆を使いこなせる人を、ただただ羨望とともに、尊敬します。

色を決めたら、本番。

黙々と作業されていましたが、話しかけると快く答えてくれて、いろいろと見せて頂きました。

これは、なにをする空間でしょう。

ステンドグラスとくれば?

光! 

ここに作品を置いて、自然光で、出来栄えを確認するための場所です。

2階にあるガラス置き場。と、作業台。本当に広い工房だ。

立体的な十字架を作っているところらしい。板状のガラスだけでなく、厚みのある棒状や立方体のガラスもあるんですね。

ショールームもあります。ランプや、部屋を仕切るガラス戸などが展示されていました。

なんてレトロなスイッチ。

あれ、どれだっけ? こっちかな? あ、間違った。

どのランプのスイッチなのか、無駄に探す手間を省くよう、絵で表示されている。可愛い。

わぁ、懐かしい。ちょっと前まで、普通に見かけていたのに、そういえば、最近は見かけることの少なくなった看板。

SALI E TABACCHI 
イタリア共和国認定の、お塩とたばこの販売所。という看板。

ということは、これもステンドグラス?!
特注で作ったものもあるそうです。

家族の絆

創始者のグイド・ポッローニは、画家のシルビオとエンツィオ、イタリア国営テレビ局Rai(ライ)の舞台監督でもあり、芸術家育成に携わっていたセルジョの男4兄弟。


当時といまと、
ほとんど変わりのない工房
参照:Polloni HP

まったく世界の違う、サッカーと政治が、両方ともに熱く「討論」される、不思議な国イタリア。ポッローニ家の兄弟達で討論されていたのは、サッカーよりも、むしろ政治。

国家ファシスト党による一党独裁制を確立したムッソリーニ派と、イタリア統一運動時代の政治家のジュゼッペ・マッツィーニ派。まさに、水と油。

討論を始めると、通りの向かいまで、大声が聞こえたそう。

工房の目立つところに肖像画。マエストロ・グイドと思いきや、政治家ジュゼッペ・マッツィーニの肖像画だそうです。

工房が存続している間は、絶対に肖像画を外してはならない。

ポッローニ家マッツィーニ派の遺言が、いまも、守られています。

次回は、ポッリーニ工房の、素晴らしい仕事の数々をご案内します。きっと、驚くに、違いないです。わたしも、とっても、驚きました。

最後までお読みくださり、
ありがとうございます!

次回もポッローニ工房で会いましょう!


『エノガストロノミア&アルテ』シリーズは、こちらにまとめています。


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