田舎の美しさ。番外編。*Portus Lunae ルーニ港*
いままでご案内してきた村々。村の起源は古代ローマ時代まで遡りますが、この地方に残っているものがあります。
じゃん!
円形劇場。
紀元前177年に、古代ローマ人がマグラ川の河口に街を建設。ローマ時代は街のすぐ隣に港があり、貿易の寄港地として栄えます。
湿地地帯を開墾して作られた街は、「湿地」という意味のLun(ルン)もしくはLuk(ルク)からルーニと名づけられます。
さらに面白いことに、ルーニの単数形はLuna(ルーナ)で「月」という意味。月をシンボルとする女神はアルテミス。狩の女神とも知られ、森に住む地母神。地母神→森林に生息→未開の地→湿地。と結びつき、アルテミスのシンボルである月が、湿地として表されるようになったということです。
フィレンツェから電車で90分ほどのところに、城壁に囲まれたルッカという街があります。この『ルッカ』という名も、「湿地」という意味のLun(ルン)もしくはLuk(ルク)からきているそうです。ということは、ルッカも遥か昔は湿地地帯で、古代ローマ人が開墾して造った街なんですね。
さて、ルーニの円形劇場に戻りましょう。上からみると、綺麗に楕円形の跡が残っているのがわかります。建立されたのは2世紀ということです。2000年ほど建っている建物です。
ローマ時代のパンとサーカスの娯楽は、剣闘士が猛獣を相手に血を流し殺し合うグラディアトーレ。ルーニ円形劇場でも、ほかの劇場と同様に剣闘士が戦い、それを楽しむ観衆で盛り上がりました。
劇場が建てられた場所は、目の前に青い海。背後には白い大理石の山。
風の通る涼しい場所で、景観を愛で、余興を楽しむ。古代ローマ人の遊びのセンスは、こういうところにも現れています。
当時は港が近かったので、ルーニの円形劇場は、正式にはPortus Lunaeと呼ばれています。「Portus」は港。『ルーニ港の円形劇場』が正式名です。
収容人数は7000人と見積もられています。いまはほとんど人の訪れることのない、円形劇場。わずか1ユーロの入場料で、当時の情景を想像し、ひとつひとつの石の存在を感じながら、歩き回る贅沢な時間を過ごしました。
前回も話しに出ましたが、ローマの建造物はアーチで構成されています。もともとは3階建てだったそうですが、いまは崩れ落ち、一階の部分のみが残されています。
外側は大理石で覆われ、彫刻が飾られ、華やかだったことでしょう。
いままで訪れた村と同じように、劇場も、現世の人間が使っており、夜になるとコンサートが開催されます。
悠久のときを刻む石と、プラスチックの簡易椅子。ものすごいアンバランス感。
劇場をあとにし、次に向かうのは、山の上のあそこです。
村シリーズは、今回で最後になる予定でしたが、今回の円形劇場と、次にご案内する村をひとまとめにしようとしたら、長文になってしまったので、2回に分けることにしました。
次回はオルトノーヴォ村に行きます。
ルーニ考古学美術館のHP
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最後まで読んでくださり
ありがとうございます!
オルトノーヴォ村で会いましょう。
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