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ルッカのプライド

街をグルリと囲む城壁が残っているのは、イタリアでも珍しい。

戦争だったり、都市計画だったりで、壊されてしまうことが多いから。フィレンツェにも1284年に造られた城壁があったのに、1870年に都市計画のためという理由で、一部が取り壊されてしまった。

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いまだにフィレンツェ人の泣き所。もし「あの」城壁が残っていたら、交通規制もできただろうし、古都の雰囲気も、いまよりもっと残されていたはず。

そこにくると、ルッカはすごいんです。

1504年からの城壁で、街がグルリと囲まれている。そう、いまでも!

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フィレンツェからローカル電車で片道90分くらい。ルッカ駅で下車して、なにも考えずに道なりにいくと、信号機にぶつかり、渡った先に城門があります。

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ルッカはピサと同様に1000年には、すでに強国だった。ただの田舎に過ぎなかったフィレンツェが徐々に頭角を現し、ルッカを脅かすことに。

1315年と1325年とに、カストルッチョ・カストラカーニ率いるルッカ軍とフィレンツェ軍が大激闘。飛ぶ鳥も落とす勢いのカストルッチョ・カストラカーニに、フィレンツェ軍は太刀打ちできず全敗。

秋風を感じる1328年9月、おびやかされるフィレンツェに、機運が訪れる。カストルッチョ・カストラカーニが熱病で突然死。

しばらくルッカは落ち目になるも、1370年から共和国になり、シルク産業の国として大復活。

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君主が統治する諸外国が多い中、トスカーナ州には、共和制を敷く国がなんと多いことか。

共和制の利点は、なんといっても、商売。商人あきんど、だばい。

ものすごく緻密なオタク系画家ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた「アルノルフィーニ夫妻像」。大きな帽子を被る男性はジョヴァンニさん。ブルージュに居住を移し大成功した、ルッカ出身の大商人です。

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写真:Wikipedia 「アルノルフィーニ夫妻像」

私たちが考えるよりも、はるかにインターナショナルな取引展開をしていたヨーロッパ。

商売をする人たち、一儲けしたい人たちは、世界有数な輸出入の重要起点だったブルージュに集まっていたのです。

商売するところ、銀行あり。ルッカも、フィレンツェも、銀行の重要な支店をブルージュにて展開。

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商売と銀行で財を成したグイニージ家の塔。
てっぺんに木が茂ってる。

ルッカの商売敵は、昔の確執も後を引くフィレンツェ。

にっくき商売敵。目の上のたんこぶ。

フィレンツェでは大銀行家であり大商人のメディチ一族が1400年代半ばに台頭し、脈々と1743年まで続きます。

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その間にメディチ家は、トスカーナ大国の大公となり、シエナ、ピサ、アレッツォをはじめ、ほとんどのトスカーナ州を手中に治めます。

ただ1国のみ、屈しなかったのが、ルッカ。

ルッカに訪れることがあれば、メディチ家の家紋探しをしてみてください。

どこにも見つかりませんから!

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城壁が残っていて、メディチ家の家紋もないのが、いまでもルッカ人の誇りです。

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ポスターを貼っただけなのに、
街に溶け込み絵になる広告

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ある小春日和におしゃべりする
ルッケーゼ(ルッカ人)


以前に作ったルッカの街の動画です。
興味のある方はどうぞ!


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