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イタリアの冬休みと聖人と。

「世界の人に聞いてみた」さんの12月3日付の投稿では、クリマスシーズンのドイツのスケジュールが紹介されています。同じ欧州でも、同じキリスト教でも、国が変わればお祝いする聖人も変わることを知り、とても面白かったです。

12月25日の幼子キリストの誕生日は、キリスト教国で共通のクリスマス最大のイベントですが、クリスマスシーズン中は、その期間に鎮座する、その国にゆかりのある聖人をお祝いします。


12月8日 無原罪のお宿り(祝日)

マリア様は神のお告げによりイエスを宿しましたが、マリア様のお母様の聖アンナも、神のお告げによりマリア様を宿します。12月8日の「無原罪の御宿り(むげんざい の おやどり)」と呼ばれる日です。

敬虔な信者がミサに訪れる、フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ教会。12月8日には、マリア様に捧げられたこの教会へ多くの人が訪れます。

物心のつかない時に伝統的に洗礼を受けたキリスト教徒のなかで、頻繁にミサへ訪れる人はそんなに多くありません。でもこういう日には、足を運びたくなるのでしょう。

扉を開けて教会に入り、聖水で指先を濡らし十字を切る。この一連の動作が、あまりにも自然で、やはりキリスト教の国の人たちです。

サンティッシマ・アヌンツィアータ教会
マリア様の祠

教会前の広場では青空市が開かれ、職人手作りの品々や、農家のオリーブオイルやチーズなどが販売され賑わいます。

12月13日 サンタルチアの日

シシリアのシラクサをこの時期に旅して初めて知った、サンタルチアの日。ナポリの民謡「サンター、ル〜チーア〜〜🎵」で有名なサンタルチアです。

ルチア聖女はシラクサ出身だったんですね。フィレンツェでは、サンタルチアの日はお祝いしませんが、南イタリアでは大切な聖女。シシリアでは、彼女にちなんだクチアというお菓子を食べます。

クチア  Cuccia
参照:Palermo Today

レシピがシシリアらしい。

* ドゥラム小麦 200グラム 
* 粉砂糖 60グラム
* 羊のリコッタチーズ 200グラム
* オレンジピール 100グラム
* ビターチョコチップ 少々
* バニラビーンズ 少々
* 飾り付けにシナモン 少々

ドゥラム小麦は2日間ほど浸水してから茹でて、すべての材料を混ぜ合わせて出来上がり。(分量:4〜6名 スローフード協会のレシピより。)

西洋のお菓子といえば生クリームを連想しますが、シシリアのお菓子に必要不可欠なクリームは羊のリコッタチーズです。

いまでも中部イタリアから南にかけて販売され食されるメインのチーズは羊のチーズで、イタリアで群を抜き羊の数が多いのは、シシリアと並ぶ島、サルデーニャ島です。

小麦粉を使ってスポンジケーキを焼かずに、ドゥラム小麦をそのまま使うのも、南らしいお菓子の特徴で、国(州)により異なるイタリアの食文化を良く反映しています。

12月16日 プレゼーピオ

プレゼーピオとは、日本のひな祭りのように、幼子キリストが降誕した場面を再現するお人形です。一応12月6日と日にちは決まっていますが、12月に入ると司教さんや修道僧が準備したプレゼーピオが教会に設置されます。

フィレンツェ大聖堂のプレゼーピオ
12月24日夜まで幼児キリストは誕生していません。

クリスマスツリーがイタリアにお目見えしたのは戦後のこと。イタリアの家庭ではプレゼーピオを飾るのが習慣でした。

プレゼーピオを発明した人は誰でしょう?

a) ローマ法王
b) アウグステイヌス帝
c) アッシジのフランチェスコ聖人

答え → c

清貧を説き小鳥に説教をした、アッシジのフランチェスコ聖人。

絵画で表現された、キリスト降誕のシーン。

フィレンツェのサンタトリニタ教会

アッシジのフランチェスコ聖人は、キリスト降誕を民衆にわかりやすく伝えるために、プレゼーピオを考えたと言われています。

家庭用のプレゼーピオも販売されます。

前回は海に浮かブラーノ島のプレゼーピオを案内しましたが、クリスマスシーズンのイタリアの教会には、プレゼーピオを飾ってあることが多く、教会により趣向が凝らされています。

フィレンツェ大聖堂のプレゼーピオ
幼児キリストが誕生しました!

クリスマスが近づくと、街は人で埋め尽くされます。プレゼントの買い物をまだ終えてない人達が、必死の形相で街をお店を駆けずり回り、あちらこちらで携帯で相談する姿が見られ、両手にいくつも袋を持った人たちで溢れかえります。

コロナ禍のときは外出禁止令が出ていたので無人だった中心街。クリスマスの風景が戻ってきたことを、街角に立つモニュメント群もきっと嬉しく感じていることでしょう。

12月24日 クリスマスイヴ

キリスト生誕前夜。この日は夜に家族全員が集まります。イースターのときと同様に、肉は食べずにお魚オンリー。

教会では夜にミサが行われ、キリストが降誕したことを祝い、祝福の鐘が冬の夜空に響き渡ります。

12月25日 クリスマス(祝日)

日本のお正月のように、子供達は帰省し家族全員でランチ会が行われます。我が家では、どの家でランチ会をするかを前月当たりに決め、料理は担当制のことが多いです。

前菜は、トスカーナ風前菜。プリモピアットは、日本のお寿司のような存在であるラザニア。セコンドピアットは、ローストビーフや鶏のオーブン焼きなど、オーブン料理がメイン。パンドーロやパネットーネを食べて、食後のカフェを飲んだら、プレゼントタイム。

それぞれの名前の書かれたプレゼント箱を開けたら、グラツィエ、グラツィエ、グラツィエと、ありがとうの嵐。

食べ過ぎて膨らんだお腹を少しでも元に戻すためにも、午後の中心街はそぞろ歩きをする人で賑わいます。

12月26日 ステファノ聖人の日(祝日)

ステファノ聖人はキリスト教徒のなかで最初に殉教した聖人です。頭の左右に耳のように描かれているもの。投石により殉教したので、石を頭に載せているのです。

ホルン美術館所蔵
参照:Wikipedia

周囲にステファノという名の友人知人は多く、ざっと思い浮かべるだけで5人以上います。彼らは、この聖人にちなんで、この日におめでとう!とメッセージをもらう日でもあります。

12月31日 サン・シルヴェストロの日

大晦日はイタリアではシルヴェストロ聖人の日と呼ばれます。33代目のローマ法王で335年12月31日に亡くなったらしい。

日本で除夜の鐘を聞き、年越しそばをしっぽりと食べている頃、イタリアの街は人で埋め尽くされ、泡のお酒がポンポン開けられ、花火が打ち上がり、広場では大音量の音楽が鳴り響き、カウントダウンがはじまり、1時くらいまで賑やかです。

1月1日 カポダンノ(祝日)

カポとは最初の意味。ダンノは年。最初の年を言い表すのがカポダンノです。前日が遅かったので、起き出すのはお昼頃。日本では、行事のなかでも最も大切なお正月なのに、イタリアではすっかり祭りを終えた感がする日です。

ですが、まだイタリアのクリスマスシーズンは続きます。

1月6日 エピファニアの日(祝日)

数週間に渡るクリスマスのイベントの締めが1月6日。12月25日にキリストがこの世に生を受けたことを知った東方三賢者が、幼児キリストに会いに到着したのが1月6日。

ウフィッツィ美術館所蔵
参照:Wikipedia

イタリアでは、キリスト降誕の12月25日から、東方三賢者が幼児キリストに出会う1月6日までが冬休み期間なのです。

ベファーナの日とも言われ、黒装束を纏った鼻の大きなベファーナ魔女が箒に跨り飛んできて、良い子には甘いお菓子を、悪い子には木炭を、玄関先に掲げた靴下のなかに入れて回ります。

このベファーナ、「世界の人に聞いてみた」さんが案内していた聖ニコラウスの日のイベントと似ています。

聖ニコラウスの日。12月5日の夜または6日の夜には、子どもは靴を玄関の外に置いておく。すると夜の間に密かに聖ニコラウスがやってきて、その靴の中にチョコレートなどの甘いおやつ、みかんなどの果物、ナッツ類などを入れておいてくれる。

「世界の人に聞いてみた」クリスマスのベルの音が意味すること、より。

面白いですね。聖人は違えど、行いは一緒です。

聖ニコラウスはイタリアでは、イタリアの踵に当たるプーリャ州バーリ街の聖人ニコラという意味の、サン・ニコラ・ディ・バーリ(San Nicola di Bari)と呼ばれています。

トルコ人で、343年12月6日に73歳でミュラで亡くなっています。それがなぜイタリアのバーリなのか? 

海が半分以上占めるイタリア半島は海軍国がひしめきあい、海に面するベニスとバーリが、聖人ニコラウスの亡骸を我が国へ持ち帰ろうと、虎視眈々と狙っていました。攻防の末、勝利国はバーリ。

現在も聖人ニコラウスの遺骨はバーリ街のニコラ寺院に収められいるようです。
https://www.basilicasannicola.it/sez/1/san-nicola

一方、ベニスのサンマルコ寺院には、マルコ聖人の遺骨が収められていますが、エジプトのアレクサンドリアに保管されたいたものをベニスの商人が持ち運んだもの、と言われています。

徳のある聖人の遺骨を祀り寺院を建立することにより、国の権威を誇れ、信者が巡礼し訪れることで経済的効果も見込まれます。

持ち運ばれた時から何世紀も経た現在は、信者だけでなく世界から観光客が訪れているので、いまでも、あやかっていると言えるでしょう。

聖人ニコラウスは、3つの金の玉を持っていることがあります。

参照:Santo del Giorno

3姉妹が暮らす家は貧しく、婚礼のための持参金を整えることができません。お嫁に行けず、お金もないので、娼婦になる選択肢しかない。両親も姉妹達も悲嘆に暮れていたある夜に、金の玉が窓から放り込まれます。この金の玉は姉妹にそれぞれ贈られ、お嫁に行くことができました。めでたし。めでたし。

金の玉を贈った人物こそが、聖人ニコラウスです。

参照:Wikipedia

このエピソードから、『贈り物 → 聖ニコラウス → サンタニコラウス → サンタクロース』と結びついたようです。

ドイツでは幼児キリストを、クリスト・キントと呼ぶとのことですし、それぞれの国の歴史のなかで、キリスト教の聖者達は取り込まれ、国の風習としていまも生きているのが興味深いです。

イタリアも日本も、今日はサン・シルヴェストロの日(大晦日)ですね。

今年noteに立ち寄ってくださった皆様、ありがとうございます。わたしがイタリアで見知ったことをシェアし、なにかしらのお役に立てれば嬉しく思います。

来年も引き続きよろしくお願いします。

みなさま、良いお年をお迎えください!

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