自分のアタマで考えよう|ちきりん著|感想
はじめに
これから、なるべく毎日、少なくとも2日に1回はnoteを更新しようと思い、記事を書き始めた。
本の要約記事に特化したサイトを立ち上げたので、要約記事はそちらの方にまとめ、こちらは個人的な感想。
要約記事はこちら:「自分のアタマで考えよう」ちきりん著|要約まとめ
自分のアタマで考えるとは
よく「自分で考えろ」とか、「もっと深く考えられないの」とか、そういったことを思ったり、言われたりしたことは誰でもあると思う。
ただ、「自分のアタマで考えよ」と言われても、何をどうやって考えたら、自分で考えたことになるのだろうか、という悩みはあるだろう。
昔、塾で講師を務めていた頃、生徒に「ここから先は自分で考えてごらん」ということをよく言っていたことを思い出した。
生徒は、自分の力で頑張って問題を解いてきて、それが合っていると私は「よくがんばったね」と褒めた。自力でやってきて偉いね、と。
ただ、これは「自分のアタマで考えた」ということにはならない。問題には「模範解答」があり、それを自ら見つけてきて実践しただけだ。
もちろん、「模範解答」を探す行程で、その手段を考えたとは言えるだろうけれど、答えを導き出すときには、すでに作業となっている。
模範解答のない世界
当たり前だけれど、これが世の中の現実だ。誰も最適解を知らない未解決の課題は、世の中にいくらでもある。
一方で、過去に誰かが解決した課題は、知識として受け継がれ、その情報を私たちはいつでも、どこでも簡単に入手できるようになった。
「調べる」という行為が、ネットとスマホの普及で簡易になり、良質な情報も悪質な情報も、いつでもどこでもアクセスが可能になった。
さらにSNSの普及によって、その共有速度は増し、「模範解答」や「模範解答もどき」の発信を誰でも簡単にできる時代になって久しい。
googleが検索表示で重要視している項目に、E.A.Tがある。権威性、専門性、信頼性のイニシャルをとったものだ。
ネット上にある情報の信用度を高めるため、この3つの条件を備えたサイトを上位表示させるよう、アルゴリズムを組んでいるらしい。
情報の精度やユーザー側のリテラシーも、まだまだ発展段階だけれども、徐々にそういったことへの認知と啓蒙は進んでいると思っている。
しかし、実際は、模範解答を誰も出していない問題や課題だらけで、今の最適解も10年後には変わっている可能性だってある。
結局、検索エンジンが提示してくれる情報も、あくまで1つの情報でしかなくて、それがいつまでも正しいとは限らないのだ。
「調べれば分かる」の罠
未知のものでも、wikipediaを見て関連記事のトップを読み漁れば、だいたいわかったような気分になる。
買ったことのない商品でも、誰かが書いたレビューや記事を読めば、だいたいどんな商品か分かった気がする。
失敗するリスクが減り、選択精度は調べるスキルに応じて上がっていくから、効率がいいし、スキルが高いに越したことはない。
ただ、それしかできない、というのもどうだろう。常に誰かが提示した答えを探し、既存のルールや枠組みの中でしか動けなくなってしまう。
「不完全な自分の考え」と「もっともらしい誰かの模範解答」を天秤にかけ、後者を取ってしまう人は多いのではないだろうか。
自分ではない、どこかの専門家の意見、みんなから支持されている意見に乗っかる方が圧倒的に楽だし、その方が早いのは確かだ。
けれど、そうした模範解答探しだけに慣れ過ぎてしまうと、真っ新な状態での自分の意見というものを見失ってしまう気がするのだ。
だからといって、何でもかんでも、半端な知識で自論を展開するマンになっても、正直、面倒くさい奴にしかならないだろう。
けれど、一旦フラットな状態で自分で一から考えるということを意識的に実践するのも、ときにはリハビリ的に必要なんじゃないかと、この本を読んで思った。
今回の内容は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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