「希望」を捨ててはならない

いかなる時であっても、「希望」だけは捨ててはならない。「希望」を捨てた人間は、人間性までもが堕落してしまう―――――――――――――――

そんな言葉が、サミュエル・スマイルズの『自助論』に書いてあった記憶がある。

サミュエル・スマイルズ本人も、こんなことを本に書くという事は、読者にそう「警告」をしたかったという意味もあるのではないだろうか?

もしそうでないというのなら、なぜ彼は、「「希望」を捨てた人間は、人間性までもが堕落してしまう」ということを「知っている」のだろうか?

なぜそう断言しているのだろうか?

サミュエル・スマイルズ本人に、直接、聞いたわけではないので、確かなことは分からないが、彼が実際に「その状態」を目撃したり、そう強く確信せざるを得ない何かがあったからではないだろうか?

だが、サミュエル・スマイルズの『自助論』の、その「警告」が的中しているかのように、世の中には、「希望」を捨ててしまう人が大勢いる。

今回は、そんな「希望」を捨ててしまっている人について書いていこうと思う。

もしここに、「自分の人生には「希望」が無い」と感じている人がいたとする。

その人は、自分の周りの世界のことを一体、どう思っているのだろうか?

恐らく、その人は、「自分の人生には「希望」が無い」と感じているがために、

「この世界は狂っている・・・・・。自分の・・・、自分の人生は、修復不可能なまでに、損傷を受けている・・・・・。」

と感じるようになっているのではないだろうか。

なぜなら、人間が、「「自分の人生には「希望」が無い」と感じる状態になる」というのは、普通、「「希望」が持てなくなるレベルまで損害が大き過ぎる」と感じている、とイコールだからだ。

「自分の人生に「希望」が無い状態」になっていると、「修復不可能なまでに損傷を受け」た原因を、自分以外のものに求めるようになるのではないだろうか?

なぜなら、「自分で修復することが不可能なまでに損傷を受けている」ということは、もはや「自分ではどうにもならない状態」であり、「外部に原因を求める」以外に道が残されていないからだ。

「もし○○だったら自分の人生はもっと良くなっていたのに・・・」
「もし、自分の親が・・・」
「もし、社会が・・・」
「もし、制度が・・・」
「もし、社会の構造が・・・」

人生において「希望」を捨ててしまうと、こんな、「自分以外の「何か」に原因を求めようとする生き方」を送ることになるだろう。

いかなる時であっても、「希望」だけは捨ててはならない。「希望」を捨てた人間は、人間性までもが堕落してしまう―――――――――――――――

この言葉は、確かに、「目標に突き進むため」に大切な「指針」になるだろう。

だが、それ以上に、何よりも、この言葉には、「自分以外の「何か」に原因を求めようとする、自分の人間性を堕落させてしまうような生き方」をしてしまわないために、そういった「生き方」を「選ばないようにするため」に、「大切なこと」になってくる、という意味合いがあるように思える。

今回はここまで。

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