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「発達障害ならまだいいけど知的障害だったらどうしよう」などと思っていたあの頃の話

「もしかして、知的障害がある人って、道でぴょんぴょん飛び跳ねていたり、大きな声を出していたりする人が全てだと思っていますか?」

これは私が何年も前に、とある心理士さんに真顔で聞かれた質問。
当時の私は知的障害どころか障害についての知識もあまりなく、息子もまだ2歳そこそこで育児経験も少なく、とにかく無知だったのだ。
だからそう言われて、「え?えぇっと……」と心の中でたじろぎながら、うまく返事を返すことができなかったのを覚えている。

息子の発達が遅い?これって発達障害?


さて、なぜ冒頭のシーンが発生したのか、まずはそこから語らせてもらおうと思う。
私の息子は今でこそ重度知的障害を伴う自閉スペクトラム症だと診断が出ているが、最初からそうわかっていたわけではない。
産まれた時は健康そのもので、赤ちゃん時代は障害があるなんて思いもしなかった。
それが、1歳をすぎたあたりからだんだんと発達に遅れが見られてきて、1歳半健診の時には周りの子からはっきりと置いて行かれてしまっていた。
とはいえ、その頃はまだまだ障害の診断がなされるほどではなく、私はただただ不安で、当時自分が通っていた心療内科でお世話になっていた臨床心理士さんに、息子のことばかり相談していたのだ。
(この時私がなぜ心療内科に通っていたのかについては、語れば長くなるので割愛する)
臨床心理士さんは、子どもの発達に関わるプロでもある。
その方は、親身になって私の話を聞いてくれた。

「発達障害ならまだいいけど知的障害だったらどうしよう」


ある時、私はこんな言葉を漏らした。
「私、この子が発達障害だけだったらまだいいかなって思うんです…でも……知的障害もあったらどうしようって」。
「どうしよう」とオブラートに包んでいるが、つまり知的障害があったら嫌だってことだ。
嫌だとか言われても息子だって心理士さんだってどうしようもないだろう。
そして、今ならこの発言がどんなに愚かしくて浅はかなものかもわかる。
ただ、当時の私は息子が「周りと違う」ことが重すぎるプレッシャーのようになっていて、とにかく正常ではいられないような真っ暗闇の精神状態だったのだ。
そして、この言葉に対して返されたのが冒頭の言葉である。

無知の恥


「無知の恥(ち)」という言葉があるが、知らないことはとにかく恥を忍んで人に聞いてみるものだ。
そこから学べることは多い。
当時の私はとにかく知らな過ぎたのだ。
発達障害も、自閉症も、知的障害も。
だってこれまで生きてきて、周りにそういう人がいなかったのだから。
いや、いたかもしれないけど深くかかわることのないくらい関係性が薄い人くらいだったから。
だから正直、「発達障害だったらなんか得意なことをのばしてなんとかなる」とか、「発達障害=軽い、知的障害=重い」のようなよくわからないイメージを持っていたのだと思う。
ここまで読んで、少々あきれぎみの人もいるかもしれない。
でもわかってほしい。
人間、誰だって最初は何も知らない。
全ては「無知」から始まるのだということを。
そしてきっと、今も当時の私のような人はいっぱいいると思うし、いたとしてもまだ「そういう段階」と思って優しくしてほしいと思う。

発語もないけど発声もあまりない息子


心理士さんは私に冒頭の質問をした後に、こう言った。
「知的障害がある人の中には、じっと座ってしゃべらず動かない人だっています、知的障害がある人の中にも、色んな人がいるんですよ」。
その言葉は、当時の私にとって若干カルチャーショックだった。
だって私は、「そういう」知的障害がある人のことを知らなかったから。
動きや声が大きい人は単純に目立つから目にとまりやすいだけで、実際はそういう人は一部だけ。
みんながみんなそうではない。
そして、同時にその時、もうひとつハッとしたことがある。
息子は赤ちゃんの頃からおとなしく、あまりたくさん泣かない子だった。
だから息子がもしやそのタイプ…?なんて一瞬よぎって不安になったりもした。
しかし、結果は大的中。
息子は今も同じで、あまり動きが多いタイプではなく、じっと座っているのが好き。
そして、療育の先生にも言われたことがあるが、発語もないけど発声も少ない。
まさに、あの時心理士さんが言っていた通りのタイプの知的障害がある人だ。
だから、専門家の言葉ってすごいな、未来を予知しているかのようだな…なんて思ったりもする(心理士さんにそこまでの考えはなかっただろうけど)。

障害は個性ではない


よく、「障害は個性」なんて言われたりするけれど、私はそうは全く思わない。
むしろ、障害は個性とかいうセリフはけっこう嫌いだ。
だって障害なんてない方がいいもん。
「個性」なんて言っちゃうのは表面的なきれいごとだと思う。
でも、「障害の中に個性」はあると思う。
同じ名前の障害がある人でも、みな一様に同じではない。
特性の出方は違う。
同じ障害名でくくって「どうせみんな同じ」「あー、あの障害ね」みたいに思うのはナンセンスだと思う。
特に発達障害や知的障害は、同じ名前でも両極端のタイプがいたりするので、人によってそれぞれすぎて、一概には言えなすぎる。
さらに言えば、障害がある人にだって個性がある。
その人の「障害が個性」なのではなく、障害名を取っ払ったところにその人の個性があるのだと思う。
だから、「障害者」、「知的障害がある人」、などと固定観念で決めつけず、その人の個性を見てほしいと思う。
私も息子と9年間一緒にいて、ようやくここまできた。
だからそういう感覚が世間に浸透していくのには時間がかかるだろうけど、少しずつわかってもらえたらいいなと思う。

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