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発達障害な私が今の仕事にたどり着くまで

「どうして今の会社を選びましたか?」

包み隠さず正直に言うと、最初の会社は「安定性」「給料の良さ」「将来性」で選んだ。

大手子会社。同世代平均よりちょっと高い給料。倍率は確か250倍位あったようだが、超ポンコツの私は身体中の体力を振り絞り、在らん限りの背伸びをして、努力と周囲のサポートのお陰で滑り込むことができた。

人より4倍の努力をしないと、普通の人と同じレベルで動けない。だから頑張る。

障害が判る前から、自分の不器用さを理解していたから、普通の人に追いつけるよう、追い越せるよう何事にも気合で取り組んできた。それが認められたようで本当に嬉しかった。

ただ、入社した後も在らん限りのせい伸びをずっと続けられるわけがなかった。

周囲に迷惑をかけ続ける日々

入社前に精神疾患の症状が出ていた上、更に当時発覚前だったが発達障害だった私にとって、あらん限りのせい伸びをできなくなった自分の仕事っぷりは目を覆いたくなる程悲惨なものだった。

私は大企業のシステムやデータを扱う仕事を任されたのだが、重要データを吹っ飛ばしそうになったりは当たり前、睡眠障害がひどくなり業務中に寝てしまうことは日常茶飯事。

うっかりミス、ではすまない内容も多々。頭にもやがかかり回らなくなり、普通の会話でさえも話をまとめることも、話すこともできなくなっていた。

メールの内容から電話のやりとりまで、全てに上司からの指摘がついてまわった。

「このミス、何回目?」「前回失敗したこと覚えてる?」「ちょっと、これは酷いよね……」

冷たい目。一年目にして私がうっかり来る場所ではなかったと、自分の選択に心から後悔して自分を責めた。

休職したら、もう戻れない気がする、と思って気合いで出社しては、迷惑をかけ続ける日々だった。(この時休職すべきだったと今でも後悔している……)

半期に一度の評価では欠勤にならない限りもらえる、一番下の評価を貰い続けた。

後悔

なんのために、私はこの時間を過ごしているのだろう。

会社のトイレや屋上。会社から駅までの帰り道。そして家に帰ってから。

握り拳に壊れそうなくらいの力を込めながら、俯いて歯を食いしばってぎりぎり言わせながら、行き場のない気持ちを震わせて悔しくて悔しくてボロボロ泣いた。もうどう思われてもいいやと思っていた。

規律を重視する風土もあり、たまに突拍子もないアイデアを提案したりすると、「余計な仕事を増やすんじゃない」とチームメンバーの視線がこちらに動いた。

私の一挙一動が、周りのみんなに迷惑をかけ、みんなの足を引っ張る。

自分のせいだ。自分の特性も分からないまま、表面の響きにつられてこの世界に飛び込んでしまった私を数年前に戻ってぶん殴りたい……

後悔し自分を攻め続ける日々が続いた。

発達障害の診断を受けて

このままではいけないと、とうとう行き詰まった私はあらゆる病院を探し発達障害の診断を受け、とりあえず特定の作業では思うように働けるようになった。

しかし落ちた信頼を取り戻すには、落ちすぎてしまっていた。

最初から「どうせまたミスする」とマイナスの目で見られるからだ。そして少しでもミスすると、「やっぱりかえりんさんは」と大きく取り上げられる。

それでも、特性を把握して薬を飲んでいる今なら以前とは違う、落ちた信頼を回復してもう一度、この会社で活躍したい、という思いが湧いていた。

診断を受けながら会社に2年間は告知していなかったのだが、上司が変わった折についに発達障害であることを伝えた。

上司からは「国の決まりで会社として、全従業員の2%に当たる人を障害者として雇わないといけないの!手帳を申請したら会社としてもとっても助かるし、あなたも働きやすくなるわ」と提案された。

正直、今まで「健常者」として生きてきたし、手帳をもらうまではないと思って隠して生きてきた。しかし、葛藤し悩んで勇気を出して、障害者手帳を取得することにした。

だが、取得した後上司から投げかけられた言葉は「あなたはこれから昇級も昇格もないけれど、その代わりずっとルーチンワークだけしてればいいのよ。」的ニュアンスだった。

「えっ。」

私は思わず口走っていた。

変わった、ってそっち側に?
特性を配慮していただける、とかではなくて?この会社で活躍するチャンスはもうほぼ0になるってこと?長い社会人生活で活躍することももうないのか……

「そしたら、私の今まで頑張ってきたのは、何だったんですか。」

心の声が溢れた。
目上の方に口答えをするのは初めてだった。

上司は目の前の使えない生意気な平社員の行動を、必死に自分の中で消化しようと苦々しい顔をしていた。

考える日々

これから何をモチベーションに頑張って行けばいいのだろう。席に座っている間は自分を空っぽにして、ただ毎日作業だけに集中し、何も考えないように作業をし続けた。

ただ周りに迷惑はかけまいと、電話やメールの返信等はできる限り引き受けた。雑用、便利係に徹しようと思った。

周囲からは、その働きぶりを褒められることも増えた。しかし、自分の中でそのことを納得させようとしてもしっくりこない日々が続いた。

私はいつからか、一般社員として期待される仕事の成果を出せていないのに、この頂いているお給料に見合う仕事をできているのだろうかと思い始めた。

あらかじめ、同じ作業をやります、と分かった上で納得して入社したなら分かる。
しかし、周囲が自分の4、5倍の速さで仕事をこなし、それぞれ活躍して頼られる中、一人だけ淡々とルーチン作業をこなしていることが自分だけ他の空間にいるようで、悲しくなったのである。

働いて、お金を貰えればそれでいいと思ったけど、お金と引き換えに大量の時間も、精神も、気力も注がなくてはいけない。

そっか。そっか。そうだった。

社会に揉まれて、やっと自分の本当の気持ちに気づけた。

どうせ注ぐのであれば、自分もみんなもとびきり幸せになるところに注ぎたい。

そもそも仕事って、自分の人生を充実させる為に行うものだよね。

私にもそんな場所があるか、探してみたい。

6年の月日が過ぎていた。


「もう、私にはここで仕事するのは無理だし、これから長い人生が待っている。別の場所に行こう」

こんな私を支えてくれる優しい方々もとても多くて、お世話になったのに何も返せなかったという辛さを抱えながら、とうとう会社を辞める決心をした。

受け入れて認めてもらえる場所で

私はもう迷惑はかけまい、自分が伸び伸び働ける場所に行きたい、と障害枠専門の転職会社の門を叩いた。

一般企業で、自分の特性を把握した上で、他の方に混ざりこれから自分の能力を伸ばしていきたいと伝えた。

転職先はありがたいことに、心惹かれた広告会社にトントン調子で決まった。

覚悟はしていたが年収は軽く100万円以上下がった。業界として生き残るために皆必死で、サービスの入れ替わりは体感的に前職の10倍位のスピードである。更に会社に貢献する為、自ら発案して動ける者が評価される環境である。

でも自分で考えた仕事を認めてくれる、仕事ぶりを心から称えてくれる、今の環境を心から気に入っている。

社内の誤送信メール、メッセージの一部誤字脱字、大きく業務に響かないミス、多少砕けた口調等は誰も責めない。とにかくスピード重視、成果重視なのだ。

一人前として見てもらえる。嬉しくて夢中で取り組んだ。

こちらの会社でも同じように、何ランクかあるのだが、初めて「普通評価」をもらった。

普通の人からしたら、「あぁB評価かもしれない」と思うかもしれないが、自分の力で得た評価は私にとって認められたようで、何にも変えがたいものだった。

入社前に障害に関わらず容赦なく公平に評価しますと強く宣言されていたので、余計だった。

働くからには、1人の人間として、戦力として認めてもらうと、心が掻き乱される程、飛び上がる程嬉しい。

書きながら「なんだ当たり前のことじゃん」とか諸々いろいろ突っ込んで思ってしまうけど、私にとってはそれでも、大きな気づきだったのだ。

どうして今の会社を選びましたか?

「自分の頭を思い切り使って、活躍したくて」

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