こんなところにいたんだね
2020年12月16日(水)まで、もう10年以上私は「どうせ何もない人間」だった。
中学生まではクラスだけでなく、学年全体でも何故か星の巡りか注目されることの多い人間だった。
先生のお気に入りになり、勉強もそこそこいけて、学級委員にもなった。他の男子から告白されたこともあった。その前から発達障害の兆候はあって変わった言動や変に真面目な性格があったが、いい方向に転がって「面白い子」として見られていた。
だが、高校に入って世界が一変した。
進学校に進んだ私は中学よりちょっと複雑になった勉強に全くついていけなくなり、落ちこぼれになった。クラス最低点を取り教壇の前に立たされたり、クラス中で一人だけ居残りになったり。そして授業中先生からの答弁に答えられないと、先生だけではなくクラスメイトからも容赦なく冷たい視線が突き刺ささる。忘れられない、笑われたこともあった。
そして中学からの名残で吹奏楽部に入部したが、全く戦力にならないレベルの技術。もちろん先生のお気に入りでもなく、邪魔な存在。
もちろん苦手な体育の授業では一人だけバスケットボールを入れられず、一人だけバレーボールを敵チームに飛ばせず、二組合同マラソン練習ではビリ。
変わった言動や変に真面目な性格は悪い方向に転がり、余計なものつまらないものになった。
それまでなんとなく愛されて、注目されてきたのは運も多いにあったのだろう。でも当たり前にあったその梯子がいきなり外れるなんて考えてもおらず、私はその狭い学校の檻の中でパニックになって、頭が動かなくなった。
それから、自分の頭の中に白いもやがかかるようになった。思考回路が止まったようになった。意識に反して授業中に寝ることが多くなった。感情が薄くなり、笑い方がわからなくなった。頭の中では誰かが常に自分を罵倒していた。この頃の記憶はあまりない。
とても狭い世界に生きていたのだと思う。それからは自分を邪険にする世界も周りの人間も全部敵に見えた。
いつか私のことを馬鹿にした人間を見返してやる。少しでもいい大学に入って、いい会社に入って、逆の立場になってやる。と思った。
心の底で行き場のない怒りを増幅させながら、「見返してやる」は自分の新たな生きる軸となった。
集中の続かない思考の働かない頭に意地で知識を叩き込み、都内の私立大学になんとか滑り込んだ。
でも国公立に行く生徒が半数以上の中、私の進学先など興味ないのだろう、「おめでとう(苦笑)」としか言われなかった。
大学でも頭のもやはそのまま残った。将来就職の時に潰しがきくからと選んだ学部、授業にも興味が持てなかった。でもいい会社に入って見返すことは忘れなかった。就職に力を入れているゼミに入り、就職を意識して体育会系の部活に入り、少しでも礼儀作法を身につけられるようにと百貨店でアルバイトをした。
結果的に友人にも周囲の人にも恵まれ、助けてもらいながら、自分の中でほぼ第一志望の会社に入社することができた。
私は自分の「見返してやる」軸を太くし、自信をつけることができた。と思っていた。
しかし、私を支え続けてきた「見返してやる」軸は会社に入って糸のように細くなってしまったのである。頭の中にまだまだ霧がかかっていたし、思考は動かない。自分の意に反して寝てしまうことも。発達障害の特性でうっかりミスは毎日5回程、将来性だけで選んだSEの仕事には興味を持ちきれず、拒否反応さえ起こる始末。
やる気と熱意で押し通して入社したものの、全く仕事ができる状態ではなかったのである。
いよいよ私の存在価値とは何ぞや、となる。
毎日ひたすら上司に怒られながらおかしくなっている頭をなんとかするため病院巡り、ネットで調べた怪しいセミナーに引っかかりそうになりながらもできることはないかと調べまくった。
致死念慮には何度も飲み込まれそうになった。理解のある当時の彼(今の夫)と最愛の妹、幼い頃からの大親友だけが私の支えだった。
そして精神科のドアを叩き、鬱、発達障害と申告された。
当時処方してもらった薬は私に涙が出るほどすこぶる効いた。とりあえず起きられるようになったのだ。安堵感よりもやっと生きられるようになったという思いが強かった。でもうっかりミスや思考回路は変わらなかった。
必死に生きて2年、ひょんなタイミングで上司に発達障害であることを告白することとなり、手帳も取得した。
と同時に、障害のレッテルは自分に大きくのしかかり、「もう、いいや自分の人生。」と軸がぼっきり折れた。
それから数年、野心はなくなりただ流されるように生きた。
結婚し、転職にも成功し、子供が産まれた。とても幸せだった。
でも自分の中には何もなかった。空っぽだった。
なんとなくいつものようにネットサーフィンして、いい記事だと思ったらnoteの記事だった、ということが増えた。
続かなかったSNSは数知れず。でもここなら発信してみようかなとなんとなく思った。
発信したら私の記事を30人近くも目をとおしてくれた。発達障害者当事者の方、1000人以上フォロワーがいる方など、7人もいいねして下さった。
なんとなく書いた文字が写真をつけて、タグを、つけたら素敵な記事っぽくなっている。
できそこないで何もないと思っていた自分の中に、書きたいことが山のようにあった。書きたいことをまとめたメモ帳はすぐに文字いっぱいになった。noteを書きたくてたまらず4時半に起き、そして拙い文字を打ちながら2時間も錆びた頭をフル回転させている。
こんなこと何年ぶりだろう。いや、何十年ぶりかもしれない。小さな優越感にすがりながら出来た軸を元に生きる生き方だけじゃなくて、こんな風に心からの衝動で動けることがあるなんて、知らなかった。
いろいろあった2020年の最後に、こんな素敵な衝撃があるなんて想像もつかなかった。
なにもないと思った自分には、まだ何かが沢山あった。
noteを作ってくださった皆様に感謝致します。これから見たことのない自分を見に沢山記事書きます。ありがとうございます。
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