自問自答の先にあるもの
退職後直ぐに「パッチワーク教室」に通い始めた。
年配の女性が大半を占めている、その教室で作品作りをスタートした。
最初は40cm前後のタペストリーを作成。
続いて「針刺し」を作った。
そして、クッション作りを始めた。
教室は平日の午後、月2回。2時間コースである。
教室が終わると、先生と生徒さん、店のお手伝いさんと共にお茶を頂く。
お茶うけは先生お手製のお漬物とお菓子。
テーブルを囲んで和むひととき。
私はパッチワーク道具一式と、なごみの時間を購入した。
この教室を続けていくつもりだった。
大切な自己投資だ。
しかし・・・
私はある時、ハッと気づいた。
「これは、退職によって失った「社会とのつながり」を求めるために購入した代替品だったのではないか」と。
純粋に「パッチワーク」を習いたい、技術を習得したい、上達したい、という気持ちからスタートしたはずだった。
ところが、作品作りが進めば進むほど、心のモヤモヤが増えていく自分がそこにいたのだ。
創作活動はものすごく楽しい。
でも何かが違う。
そうか、私は「喪失感」を埋めるために習い事を始めていたのか。
教室に頼ることで「社会との関わり」を保っていられると思っていたんだ。
それでいいじゃないか。
技術を習得することだけが教室じゃないはず。
居心地の良さはある。
たわいない世間話をしながら、ひと針ひと針縫う作業は、心を無心にさせてくれる。
ただ…
何かが違うと感じた。
私が求めているのは、寄りかかる場所ではなく、
自分に頼る。
寄りかかるべき自分を構築したかったのではないか、と。
誰かに「答え」を求めている限り、自分で出した答えに責任を持てない人間を続けることになる。
人は一人では生きていけない生き物だからこそ、
いざという時、誰を頼る?
親、兄弟、子供、親戚、友人、近所の人?
あなたは誰を頼る?
私は「自らに由る」。
物理的には身近な人と協力し合い、心理的には「自由」でいる。
たぶん、そういうことなのかもしれない。
ただ単に、パッチワーク教室のコミュニティが自分に合わなかっただけかもしれない。
「社会的つながり」がリアルで欲しいのならば、他の手段もある。
無理矢理どこかに所属させようとしなくていい。
今生きていること自体、人類に所属しているのだから。
あなたはどうしたい?
私は自分に問いかけた。
パッチワーク教室は、1月からしばらくお休みさせて頂くことにした。
今日もありがとうございます🙏
世界平和は、ひとりひとりの心の内にあります。 共に明るい世界を築けていけたら幸せです。 今日もありがとうございます🌸