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30代女性です。 ゆっくりゆっくり、思い込みを外している途中です。何かに気がついたり、…

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30代女性です。 ゆっくりゆっくり、思い込みを外している途中です。何かに気がついたり、心に響くものがあった時、残しておくために、徒然に書いています。

最近の記事

ちょっとしたふり返り

これより前の4つの記事は、およそ1年前に書き溜めていたもの。ずっと下書きに入っていて、読み返すとまだ偏りはあるが、少しずつ回復に向かう道筋が見えてきているように思う。 自分と相手に境界線を引けるようになってきた。 「相手にも私を嫌う権利がある。そうなってしまったら、その人の幸せを願ってそっと離れる。」というような言葉を見つけてそれがすごく心に響いた。 誰にでも好かれる努力もしなくていい、誰かを嫌ってもいいんだ、という解放感があった。 そして以下は新たな発見。 嫌われ

    • まだまだ承認欲求が

      私だって疲れている中頑張ったのだから、 夫にはもっと手伝って欲しい、 子どもには言うことを聞いて欲しい、 そんな思いがムクムク湧き上がってきて泣きたくなる。 まだまだ誰かに分かって欲しい私がいる。 でもそれを求めることは、相手をコントロールしようとする不毛さであり、相手の評価の中に自分を探すことになる。相手ありきの自分になってしまうと、使わなくて良いはずのエネルギーを消耗してしまう。そこまでは何となく分かってきた。 それでも、よくやってるね、と誉められたい気持ちは

      • 幸せはいつもすぐそこにある

        つらい出来事があって、 それ自体は確かにつらい。 でも、そんな時とは別に幸せな時間もある。足元に幸せが転がっていることに気づき、それを感じでいくことで克服に近づいていく。 という、とあるメルマガの言葉。 これを読んで思い出したのが、母方の祖母のことだ。 諸事情により、晩年になってから住み慣れた家を離れなければならなくなり、終の住処が見つかるまで居を転々とせざるを得なかった期間、そんな大変な時期に呑気に姉と京都で舞妓さんになった写真を手紙と一緒に送ってたんだけど、こんなに

        • 自分軸

          他人の評価や態度に、自分の機嫌や存在意義が左右されるのが他人軸。 誰に感謝されなくても、どう思われても大切にしたいと思うもの、美学や使命の元に生きるのが自分軸。 私の発信が誰かの光になることもあるかもしれないということ。

        ちょっとしたふり返り

          分かったこと

          人の期待に応えなければならない。と、思っていたこと。 罪悪感を常に持っていたこと。 家族を幸せにできない自分に価値がないと思っていたこと。

          分かったこと

          見張られている感覚

          物騒な話ではなくてね。 思考のクセの話です。自分が自分を見張ってたんです。 「何か言われるんじゃないか?」「言われる前に完璧にしておかなくちゃ」「ちゃんと周りを見ておかなきゃ」 と、いう思考ベースで行動していたわけです。 コーヒーショップに行って席を探す人を見つけては、私が向こうの席に座ってたらあの人は待たなくて済んだんじゃないか。 とか レストランに行って、混んでたら早く出ないと待ってる人がいるから、お腹を休めるのも早々に席を立とうとする。 とか コインラン

          見張られている感覚

          【続いても続かなくてもOKラー】

          帰国してしばらくは 色んな本や色んな方のブログを参考に、 心と体を整えるためのヒントを探すために、 日々を過ごしてきました。 たくさんの方が愛を持ってシェアして下さっているものに出会えて、本当にありがたかったなと思っています。 そうして日々を過ごすうちに大分生活が落ち着いてきたので、次は誰かの書いたものの中から答えを探すのではなく、自分の中にある答えを探しに行くことにしました。 ツールに選んだ本は 「100 questions to love your life.

          【続いても続かなくてもOKラー】

          ただそこにいるだけでよかった

          私は「お母さんを助けたい」と思って生まれてきた、 と思っていた。それは今も変わらない。 3世代同居で、仕事もしていて、家事育児、日曜日には教会と(実家はカトリックなので、日曜礼拝に参加していた。)、本当に母は忙しかったと思う。 記憶の中で、やっぱりなんとなく家族の雰囲気がギスギスしたり、ギクシャクしたり、そんな時には家族で一番小さい私がおちゃらけると、場が和んでいた、ような気がするので、いつの間にかその場を明るくすることが使命というか、それが家族のためにできることのよう

          ただそこにいるだけでよかった

          母の日

          今日は母の日なので、大好きな母について少々。 母は色んなこと(詳細は割愛するが)を乗り越えてきているので、強くしなやかである。 大体のことは「大丈夫大丈夫」と、いう。 昔はその「大丈夫大丈夫」が少し気づまりだった。 だって大丈夫じゃないから、話を聞いて欲しかったのに。そうだよね、大変だよね、が欲しかったのに。と思っていた。 でもね、今はそうじゃないって分かる。 ひとつは、本当に大丈夫になるから。色んなことがあったけど、どうにかなってきたから。だから、経験則から、「

          母の日

          オープンにしてみた。

          過呼吸の後は、自分の土台がグラグラで正気じゃないと思う自分がいることが、辛かった。 また同じことが起きたら? そう思うといつまでも不安だった。 そしてそんな自分を受け入れられなかった。 でも、 色んなブログや本を読み漁って、色んなことを試した。結局、今の自分のまま、できることをまた一から積み上げて行くしかないと思った。 これまでの土台は条件付き。「頑張ってたら愛される」 これからの土台は無条件。「そのままで愛されてる」 苦しい時期だったけど、色んな気づきも学び

          オープンにしてみた。

          まず、決める。

          と、いいらしい。 脳がそれに向けて自動的に動き出すそう。 ・とにかくピンときたもの、何か良さそうだなと思ったものに取り組んでみる ・ハーブを育てる ・部屋の整理整頓 ・何があっても私は大丈夫 思いついたら順次追加して行こう。

          まず、決める。

          どうしたらいいのか、分からない。

          昨日は普通にできた。 今日は気張りが取れて、疲れている。 頭をたくさん使ったから。 頭から湯気がシューシュー出てるような感じ。 あると思ってた自分軸がなくて、 こうなった時の心の拠り所が見つけられない。 ずっと頑張ってきたから。 気が張ってたから。 それ以外どうしたらいいのか分からないから。 でもこうなったってことは、今は休む時期なんだよね。 でもきっと、大丈夫。 大丈夫、大丈夫、大丈夫。 これは本来の私へ戻る旅のはずだから。 いつ、どんな形でそれが

          どうしたらいいのか、分からない。

          まずは、書いてみる。

          今日から書こうと思ったのは、 しいたけ.さんの【「書く」を友に】という記事を読んで共感できたから。 今までと、これからと、今の自分のために、 「書く」を私の友に。 ※以下引用 「10年後の自分に、今の自分がどういう景色を見ていたかのかを伝える」 自分で日記とか手帳とか、「日々感じたこと、見たことを記録として持つ」と、どうしようもない、クソみたいな状況も、「未来の自分に伝える」ということが、少しだけ楽しみになったりします。 だから、もし良ければ、今を淡々と乗り越え

          まずは、書いてみる。