ただそこにいるだけでよかった

私は「お母さんを助けたい」と思って生まれてきた、

と思っていた。それは今も変わらない。

3世代同居で、仕事もしていて、家事育児、日曜日には教会と(実家はカトリックなので、日曜礼拝に参加していた。)、本当に母は忙しかったと思う。

記憶の中で、やっぱりなんとなく家族の雰囲気がギスギスしたり、ギクシャクしたり、そんな時には家族で一番小さい私がおちゃらけると、場が和んでいた、ような気がするので、いつの間にかその場を明るくすることが使命というか、それが家族のためにできることのような気がしていた。

勿論それが叶わなかったときもある。それぞれ感情があるのだから仕方がない、と今なら思う。そんなコントロールできないことをどうにかしようとして、できない自分を力不足だと思ったこともあった。役に立てなかったかもしれないと思うと、苦しかった。

そう思っていたことを、ある日思い切って父と母に話してみた。そうしたら、天と地がひっくり返った。

私は私の範疇には収まらない、想像できる範囲よりもずっとずっと大きな愛で、家族みんなに包まれて守られていたことが分かった。そこから愛されていた思い出がどんどん記憶から思い出されて、今もそれは止まらない。私の涙も止まらない。

「親はね、子どもが生まれてきてくれただけで幸せなんだよ。離れててもあなたが幸せでいてくれることが、1番の親孝行だからね。だからね、お父さんといっつも話してるの。私たち幸せだね、って。子どもたちみんな、それぞれ良い家庭を持って元気だから、ありがたいね。だから、私たちも幸せだと思える生き方しないとねって。」

いつまでも子ども扱いされたり、頼ってもらえない自分は必要とされてなかったんじゃないかと思った時もあったけど、ただただ可愛がられていただけだった。そのままでいてよかったんだ。家族の真ん中でニコニコ笑ってたらそれだけでよかったんだ。

そして、気づいたことがある。

場を明るくしようと頑張ってたのは、母だけでなく、私は家族みんなに笑っていて欲しかった。私も家族みんなのことが、大好きだから。おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも。そして、夫、息子たち、甥たち姪たち、義兄義姉義父義母、周りにいるたくさんの大切な人たち、みんな仲良く、みんな笑顔で、みんな幸せであることが私の願い。

これまでみたいに、愛されたいと、何か面白いことを言おうとしなくても、無理に笑わなくても、役に立とうとしなくても、頑張って気を利かせて先回りしなくても、ちゃんとしてなくても、大丈夫。もう充分愛されているし、それはこれからも変わらないことが分かったから。

でも、これまでの私もよく頑張ったね。あなたなりの思いで家族を守ろうとしたんだよね。偉かったよ。その気持ち、ちゃんとみんなに伝わってたよ。今、あなたがあなたのままで無条件に愛されていたことを思い出せて本当によかったね。大丈夫、大丈夫。もしこれまでのように頑張らないと不安なあなたが顔を出したら、これまで愛されてきたことをひとつひとつ思い出してみて。おじいちゃんが雪の降る寒い日に小学校まで体操着を届けてくれたこと、おばあちゃんがいつでもおにぎりを握ってくれたこと、お兄ちゃんが風邪で熱を出していた私の足をさすって心配してくれたこと、お姉ちゃんが困ったときにはいつでも話を聞いてくれたこと、お父さんが夕方原付バイクで河原に連れて行ってくれたこと、お母さんがいつでも愛に溢れていること、いつも大きな愛で支え受け止めてくれる旦那さんと、生まれてきてくれたことを思い出すだけで涙が出てくる、あなたのことが大好きなあなたの宝物たち。あなたのことを想ってくれるお友達たち。あなたはひとりじゃない。みんなの愛でできてるんだよ。もっと受け取っていいんだよ。

まだ「自分なんて、、」という自分が顔を出すこともあるかもしれない。でも、そんな時は「自己肯定感低めの私、ご卒業おめでとう!これからは自己肯定感も運も爆上げです!自分の中心に戻りましょう!自分の人生生きましょう!」とでも呟いてみようか。

楽しいことや心地よいこと、気持ちが良いことで自分を満たすんだ。そう決めた自分を大切に生きてたら、きっとみんなの幸せに繋がる。私も、大事な人たちが笑顔で、それぞれの人生を大切に幸せでいてくれたら幸せだから。




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