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書くことへの情熱と"あの頃の"魔法のiらんど

前回の記事「小説家になりたいだけで努力しなかった人のお話」
が思いの外、スキをつけていただいたので
もう少し、自分と創作について書いていこうと思う。

元を辿れば小学一年生の頃、『あさりちゃん』(小学館・室山まゆみ著)にはまり、広告の裏の白い面にその日読んだ話の続編を書くことから始まった。
続編のタイトルは『浜野家バカ家族』だった。
そこから中学に入り、中古家電屋でワープロ(おそらく書院)を買ってもらいひたすら好きな作品の二次創作小説を書きまくっていた。
中学生だったが、いや、中学生だったからこそ、妙にエロ小説を書きたがっていた気がする。
今思い出したら顔を井戸の中に突っ込みたいくらい恥ずかしいが、お風呂で××…、風邪をひいた日に××…のような
思春期エロ小説伝統芸のようなものをたくさん書いていた。
そんなアツアツ萌え萌え小説()を書き終えると、ワープロにリボンカセットをセットして印刷。
それをコピーして、本にした。
そして全く読みたくなかったであろう友人に読ませていた(死にたい)。

そこから、インターネット文化が愛知の片隅に住むオタク学生にも入ってきた。

私は1984年生まれなのだが、ちょうど中学高校にかけて世の中の携帯電話文化が発展しまくっていた。
高1で親に買ってもらった携帯は白黒画面の折りたたまないストレートタイプだったが、高3の頃にはカラー画面で折りたたみの携帯を使っていた。
卒業あたりではカメラ付き携帯を持ち始めている友人もいたと思う。
そのくらいの勢いで携帯電話が進化しまくっていたあの頃、オタク学生の私は出会うのである。

魔法のiらんどに。

今も魔法のiらんどは存在しているようで、サイトもお洒落だし、当時より一層“小説投稿サイト”みが強くなっているが
当時、私の周りでは小説を書かない子でも好きなアイドルのことを語るホームページとして使っている子も多かった。
ジャンルは何であれ世の中に自分の「スキ」を発信したい若者が使うツールという認識だった。
(SNSもない時代だからね)
もちろん私も自分の小説を載せるためにiらんどの門を叩いた。
今思い返すと、ロクにIT知識もない子供たちがよくあのホームページを作っていたなと我ながら感心する。
当時は字を大きくする、太文字にする、文字を流す、点滅させる、改行などすべてをHTMLタグを使って編集していた。
あの頃の私たちは 

<FONT SIZE=”11”>私のホームページへようこそ</FONT>
<FONT SIZE=”16” COLOR=”red”>キリ番リク受け付けます!!!!</FONT>

に命を燃やしていたのだ。
もはやどんな小説を載せていたかの記憶もほぼ無いが、学校とアルバイトで忙しい中で
家族と夕飯を食べ、宿題をする間にドワーっと書いたり
風呂から上がって寝るまでの数時間にドワーっと書いたり
多くの作品をちょこちょこと書き続けていた。
前回の記事でも書いたが、文章の上手い下手以前に作品を完結させることのできる人は尊い。
ここ最近のすぐ投げ出す自分からすると、コンスタントに小説を書き続けていたあの、制服の似合う、少し太った、モサっとした高校生の私はとても尊いなと感じる。
魔法のiらんどを利用するようになり、小説の感想をもらえることも増えていった。
いわゆる人気作家になることは無かったが、数人の方の心に刺さったのか毎作品感想を送ってくれる人もいた。
もともと書くことそのものが好きで書いていたが、やはり自分の作品を良かったと評価してくれる人がいることはとても嬉しかった。
次の作品を書いても読んでくれる人がいると思うと自然とモチベーションが上がった。

今の時代、SNSで知らない人の投稿を見て、知らない人が「いいね」するのは当たり前の世界になっているが
冷静に考えてみると、出会ったことのない人が自分の写真や呟きを評価(大げさだが)することって実はトンデモナイことが起きているんだなと思う。
そんなトンデモナイことが起きていることに当時の私は感動したのだ。
iらんどを卒業した後はYahooジオシティーズでHTMLタグを使わなくてもページを編集できることに感動し、
その後は忍者ツールズやロリポップなどの有料サーバーへと進んでいった。
ページの編集の仕方や載せる小説のレベルは変わっていったが、ホームページを作って更新していくという作業を
日々行っていたあの頃の熱量たるやすごいものだなあと思う。

かといって今の時代に創作をしている若い子たちが恵まれてるワアと小言を言いたいわけではなく
今の子は今の子たちで、トレンドがどんどん入れ替わっていくスピード感の早い時代において好きなものを書くことやウケるものを書くことの大変さ、葛藤など私たちとは違った部分で苦労していると思う。
みんながみんな異世界転生や、トンデモ設定の恋愛ものを書きたいわけではないだろうしね。
みんなが自由に投稿できる分、私たちの時代よりも早く諦めてしまったり、しんどくなってしまったりすることもあるだろう。
友達の作品は一日に100いいねがつくのに、自分には一日1いいねしかつかない…と比べてしまうこともあるだろう。

でもね、でもだな、昔私が書いた「今思えば井戸に顔を突っ込みたくなるくらい恥ずかしい小説」について
あの小説買ってくれたみんなあれ捨ててくれ~みたいなことを呟いたときに友人に言われたのである。
「私はあの作品好きだからそんなこと言わないで」と。

なんだか申し訳ない気持ちになったけれど、だけれどすごく嬉しかった。
シンプルにめちゃくちゃに嬉しかった。

若い子への謎エールのような文章になってしまうが(笑)
いいねやコメントですぐに“評価を感じさせられる”時代において、周りと比べるなと言うのは難しいとは思うが
書くのが楽しいな~と思うならただひたすらに書けばいいと思う。
働き始めたり結婚したりすると、学生時代の倍以上の熱量がないと同じペースで創作を続けていくのって大変だと思う。
時間がない、余裕がない、何より情熱がない・・・あらゆる理由で書くのを辞めてしまうこともある。
だからこそ、無駄でもいいから今あるツールを駆使して投稿しまくってみたり、同世代の天才の作品を読んで打ちひしがれてみたり、たった一人の人の感想にも大喜びしてみたり。
今の自分の創作活動を楽しんでほしい。

もしもその道のプロになることもなく関係ない仕事に就いたり、主婦になったとしてもその頃の喜びやこっぱずかしさで酒が美味しくなるのだ。

無駄なら無駄で、それで良い。
その無駄を思い出して笑えることも、創作していた人にしか与えられない幸せなのだ。

あの頃、真剣に書き続けていた少女の私にはこの言葉を贈ろうと思う。

「キリ番踏んだらカキコしてね!」

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