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暮らし始めて3ヶ月のキロク

相変わらず飛ぶように1ヶ月が過ぎていった。気づくと日記が15日とか空白で残っている。でも毎日何かしらのことは起こっているので、iphoneのアルバムを見ながら思い出して過去の日付のページを埋める。出来事は思い出せるけどきっとその時の自分の心の動きや感情は薄れていくのだろうと思うから、やっぱりここに書いておきたい。

1.まだ現実味が足りない

主に「海があること」について。3ヶ月たった今でも実感がわかない。
生まれてから18年を海なし県で過ごし、その後の7年も特に海が近い街にはいなかったからかもしれない。自転車で、車で、海の傍を通るたびに「この海が、私の生活している街にあること」にえっ?ってなる。漁港が近くにあることもよくわからない。昔気仙沼に行ったときに漁港を見て「ねー船があるよ!こんなに!すごい!かっこいい!!」とはしゃいでいたら、港町で育った友達に「そりゃあるでしょ」みたいな反応をされてびっくりしたことがある。そうか、この景色が当たり前の人もいるのか。
どうやら私にとって「漁港」は、海外の童話に出てくる「お城」とか「暖炉」とか「水車小屋」とか、なんかそんな位置づけにあるみたいだ。それがあることは知っているけど、それが存在する場所は「非日常」なのでなかなか日常と結びつかない。
たぶんこの街で暮らすことについても、そんな「非日常感」は多少私の中に残っているのだろうと思う。だって「ここで暮らす」ことがただそれだけで面白くって楽しいって、相当に浮かれている気がしない?

2.商店街が楽しい

非日常がそのまま日常になること、それは「商店街」の存在もそう。
私が育った街には商店街はなかった。私にとって商店街は「イオンが進出して商店街が潰れる」みたいな社会問題の文脈で触れるものだったし、食材を選ぶ場所は地元の小さなスーパーか、母が広げてみている生協のチラシだった。
だから「魚屋さんで魚を買う」という行為に毎回感動している。聞いたことあるけど殆どやったこと無いもの!お店の横に自転車を止めて、魚やお惣菜が並ぶ店内に入るとおじちゃんが「今日も暑いねえ」と迎えてくれる。この魚、なんですか?とか、どうやって食べるんですか?とか、聞くのがもうとにかく楽しい。
商店街に行って、地元の人と喋るのも仕事の一部だと勝手に思っているのでるんるんした使命感にかられて今日も文具屋さんへ行く。店のおかあさんが迎えてくれて、まあまあ座って、と店内で何を買うわけでもなく近況を話す。最近行った場所、最近読んだもの、おかあさんのおすすめの漫画、おいしいナスのたたきの作り方。ただふらっと喋りに入る場所、そんな場所が地域に存在していることの安定感を肌で感じる。

3.どこで暮らしを「豊か」にするか

仕事に忙殺されるときがある。週4しか働いていないのに、休みに予定を詰め込みすぎてしまったり、事務作業を頼まれたりして余裕がない日にお客さんがたくさん来ると、一瞬で私の余裕が消え去ってしまう。眼の前のお客さんに丁寧に向き合いたいのに、必要最低限の説明事項と「こんにちは」「おかえりなさい」だけしか自分の中から出てこない時がある。
そんなときに限られた休み時間の中で、「暮らしている実感」をどう掴むか、を模索している。その時のタイミングによっても違うけど、お客さんが来る合間を縫って市場に買い物に出て、食材を料理することで満たされることもある。ひたすらヨガや筋トレをして、「自分に時間を使った」感覚を得ることで心が安定するときもある。最近は昼間が暑すぎて海に行ってボーっとすることが不可能なので、夜7時を過ぎた頃、ちょっと過ごしやすくなった街中を自転車で走ることで幸せになれることがわかった。
あんまりにも忙しいと貴重な昼休みが昼寝して一瞬で終わったり、YouTubeやインスタの縦動画を無限に見ている自分がいたりする。別にそれはそれでいいのだけれど、きっと疲れているのだろうなと思うので意識的になにか自分を大事にするっぽいことをやってみて、感想を自分に問いかけて見るようなことをしている。
毎日仕事に遊びにと走り続けている自覚があるから、エネルギー不足で倒れてしまう怖さがあるんだと思う。何も予定のない休日、「何しようかな」から始まる休日を定期的に意識的に取りたい。

休みの日にやろうと思ってたことを全部ほっぽりだし、畑のトマト収穫してドライトマトを作った

4.しんどかった時期①:ペルシャ語がある土曜日

喉元すぎればなんとやらでもう忘れかけているのだけど、7月中旬にしんどかった数日があった。その理由の1つは「ペルシャ語」。
毎週土曜日の昼間に1時間半、イラン大使館のペルシャ語講座を受けている。年3回開講で今クラス6なので、なんだかんだ2年は続けていることになる。イランが好きだしいずれイランに長期滞在したいという思いと、せっかくここまで来たし続けたいなあという思いとで続けているのだけど、おかげで土曜日が忙しい。そもそも宿が一番忙しいのが土曜日で、仕事が多いところ、私の昼休みをほぼすべてつぎ込んでレッスンを受けているので、朝9時から夜8時までの11時間、ほぼ休みなく働いている感覚になる。
たぶん理由はそれだけでなくて、「ペルシャ語」も「高知」もどちらも好きだけどその2つがとても遠い、というのもある。仙台にいるときより、東京にいるときより、ペルシャ語を学ぶ意味を感じられなくなっている。そんな中でペルシャ語が好きなのにあんまり学習意欲がわかない(学習に時間を割けない)こと、高知も仕事も好きなのにペルシャ語でいっぱいいっぱいで土曜日の午後疲れていることがしんどかった。
効率的じゃなく、ただ好きなことに週1で時間を使えること、今いる場所から遠く離れたところに頭を使うことはとても好きなのだけど。来月頭の試験だけはどうにか受けたいけど、とうとう存続の危機かも知れない。

5.しんどかった時期②:自分も何かをしたい欲

しんどかった理由はもう1つあって、それはたぶん「向上心」とか「焦燥感」とかそんなものだった気がする。毎日楽しい、でもそれだけでいいのか?という焦り。特に今いる場所は好きな場所で、好きな人たちに囲まれていて、で、そんな彼らはみんな生き生きとやりたいことをやっている、ように見える。私も彼らのように自分をもっと発揮したい!……と思いすぎて、言われたことをやっている、言われたことの中で工夫している「だけ」の仕事がつまらないもののように感じられることがあった。このまま掃除とお客さんの応対だけでずっとは嫌だな、私も何かをやりたい、でも何をしたいのかがまだ明確じゃない……。
結果的にどうなったかというと、流した。焦りやしんどさをホルモンバランスか何かが原因のものだと捉えて、やりすごした。
だって楽しいもの、毎日が。焦んなくても、いまの通りやりたいことをやって、好きな人に囲まれて生活していれば、無理することなくその先が見えてくるよ、という気がしたので。でもやっぱりもやもやして頑張りたい、と思うなら、会いたい人に会ったり、もやもやを話してみたりして、その都度一歩踏み出せばいいんじゃない?ということにした。

敬愛する歌手、日食なつこさんの歌が最近ピッタリ当てはまった気がするので、今度焦ったときにはこれを大声で歌おうと思う。

完璧な人生を欲しがる前に 今日笑ったかどうかを確かめろよ
まだ生まれてもいない未来に 期待はすんなよ

seaoning(日食なつこ)

6.この街に来てよかった、と思うことの1つ

そんな風にしんどいときに、自転車や徒歩で街を進んでいると、すれ違う人が笑顔で会釈してくれる。「こんにちは」とか声をかけてくれることもある。「今日も暑いねえ」と会話が始まることもある。
自分がパツパツになって余裕をなくしているときに、そんなコミュニケーションによってやわらかく開かれていくのを実感して、毎回泣きそうになる。
ほんとにちいさなことなのに、それだけで明日も元気に過ごしていける気がしてくる。

7.定期的に「域外」に出ることについて

7月上旬に大阪に行った。私は旅をすることで元気になる性質なので、どこで暮らしていても、軽い気持ちで遠くへ出かけられるようでありたいと思っている。
「過剰適応」と名前がつくように、場所や人に、自分を適応させすぎてしまう自分の特性と、うまく付き合っていくための工夫でもある。(もうひとつ、自分が適応したいような好きな場所で好きな人と生きる、というのも大きな方針の1つ。)この場所に染まりすぎて、この価値観を受け入れようと自分を曲げすぎてしまうのが怖い。だから定期的に「外」に出て、息継ぎをしてくる必要がある。
最初は「月に1回は県外に出よう」と思っていた。東京や大阪へ行って、友人や家族と会って、あわよくば映画とか見て帰ってくる。そんなつもりでいて、実際に5月は東京、6月は愛媛、7月は大阪、と予定を入れていたのだけど、最近ちょっと減らそうかな、と思うようになった。県外は2ヶ月に1回にして、1ヶ月は高知県内で遠出しようかな、と考えを変えている。
そういうふうに気持ちが変わったということは、もうちょっとじっくり、私はこの街で、この周辺で知って深めていきたいと感じているのかもしれない。というか高知でやりたいこと多すぎて、とても県外へ出ている暇がない!今年の夏は忙しくなりそうだ。
でもやっぱり、2ヶ月に1回は県外に行くつもりは変わっていない。それは私がここでヘルシーに暮らしていくために必要だという気がしているから。仕事も人も土地とも、そうやって距離感を測って暮らしていくつもり。

8.さっくり振り返りとまとめ

思ったより長くなってしまったので、最後にさらっと先月を振り返っておきたい。

  • どう考えても楽しすぎる 
    → あいもかわらず。好きな場所で好きな人と好きなことして生きている、それだけで生み出されるエネルギーの量が違うみたいだ。

  • この先のことはまだわからない
    →今もわからない。1年では足りない気がして、来年も居たいなと思い始めているのだけど、決めてしまうのはまだこわい。

  • 車と金銭的な問題
    →車が手に入ったことにより四国内での動きやすさがぐんと上がった。買ってよかった。バイトも始めた。今のところ好きなときにシフトに入る形で、期待されすぎずにやっているのでとてもありがたい。「飲みながらやりよ〜」と仕事中にビールを何度も進めてくれるところがさすが高知すぎて笑ってしまう。

  • 土地の人と自分から関わっていく、ということ
    →新しい人と関わっていく1週目は緊張する。だんだん2周目に入ってきて、私を覚えて迎え入れてくれる関係性ができてきたので、彼らに勇気をもらいながら、徐々に徐々に新しい1週目を並行して踏み出せている。

  • 「文化」に触れる機会。そういう話をする人と会う機会
    →これも車が手に入ったことで解決し始めた。映画館に行ったり本屋さんに行ったりできるようになったから。あとは行きたい場所を探してスケジュールを組んだり、会いたい人に連絡したりする(時間と心の)余裕を持っていればもっと広げていける気がする。最近二度寝する確率が上がり早起きができなくなってきているので、早起きして珈琲を淹れて本を読む時間を取りたい。新聞もときどき買って読めるようになったのでモチベーションが続くうちは読みたい。


海の表情は毎日変わる。それがわかるほど身近に海があるって贅沢
夏祭りが増えてきて楽しい。

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