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さらっと西洋建築史1〜祈念性と権威の象徴を求めた古代オリエント・エジプト建築〜

さらっと建築史、まずは紀元前以前、古代の建築から見ていきます。

古代建築の本質として重要なことは、祈念性と象徴性です。
メソポタミア、エジプト、エーゲ海の古代の三大文明も、高さとして、柱として、量塊として、あるいはシンボリックな外観として、独自の表現でこれらを実現してきました。

建築は人々が使用する空間としての単なる入れ物なのではなく、この祈念性と象徴性を構築的に表現するための手法・物体として築き上げられてきました。それらはどれも巨大で神秘的で、いまだに人々の心を魅了しています。

様々な文明の発展と共に、また、そこでの地域性を反映させながら建築は生まれ発展していきました。

それらの過程を、「さらっとデザイン史」と同様に時系列に見ていきます。

高さによる表現を求めたジッグラトー古代オリエント建築ー

紀元前7000年頃、ティグラス・ユーフラティス川が作り出す肥沃な大地に人々が定住し始めます。紀元前5000年頃には人類最初の都市がそこに形成されていきました。
都市には住居の地の他、神殿や宮殿が建てられるようになり、世俗の建物とは異なる祈念性が求められていくようになります。
その中で生まれたのがジッグラトです。ジッグラトは日干煉瓦で作られた矩形平面の段を階段畳に積み重ねたもので、最上段に小さな神祠が建てられた神が降臨するための「神の門」であったと考えられています。
「神の門」という表現のもと、それらはより高いものが望まれていきましたし、様々な形を持ってメソポタミア各地に建造されていきます。

中でも、現存するジッグラトの中で、保存状態が最も良好なのが、メソポタミアの統一を側したウル第3王朝のウルナンム王が築いたイラクのウルにあるジッグラトです。

ジッグラト

エ・テメン・ニグル 写真:進め!中東探検隊

砂漠の中に悠然と建つその姿は、見る者全ての人たちにとって圧倒的で神々しいものとして写るように感じます。

どれだけ多くの人たちがこの建物の建築に携わり、どれだけ多くの時間がかけられてこの建物の建設が進められたかは定かではありませんが、一説によると1日平均10時間、1500人の労働者が約5年間働き続けて完成したとされています。
単なる塊としての表現ではなく、細部に関しても細やかな装飾が施されています。ジッグラトの側面は非常に広く傾斜していますが、上から下に凹んだ縞模様または帯で分割されており、朝または午後の日光で見事なパターンを作成しています。

また、旧約聖書の中に描かれているバベルの塔もバビロンに建てられたとされたジッグラトの一つです。

バベルの塔

バベルの塔 写真:wikipedia

平原の遙彼方からも望むことができる高い塔は人々に神の威光を確信させたに違いないのかもしれません。

旧約聖書によるバベルの塔:傲慢な人々によって天まで届くほどの高い塔を建てることが目論まれるが、神の怒りに触れ、人々は共通の言語を奪われることになります。互いに言葉が通じなくなり、とうも未完に終わるという人間の高慢さを戒める旧約聖書の物語を描いたブリューゲルの作品。

権威の象徴としての巨大性ー古代エジプト建築ー

紀元前5000年〜紀元前2950年頃にはナイル川流域にも農耕や牧畜が行われ、集落が形成されていきます。ここでは、偉大な王の権威の象徴として、人体寸法を超えた巨大な建造物が形成されていきます。それがピラミッドの始まりであります。
ピラミッドは神として崇拝される王の墓、永遠の生へと繋がる来世の住まいと考えられ、立派な建築であると考えられます。

ピラミッド

ギザの三大ピラミッド 写真:wikipedia

太陽信仰と王の壮大な威厳の表現、それを可能にした技術力が王の墳墓を巨大化させていきました。
最も有名なギザの3大ピラミッドは、右からクフ王の第一ピラミッド(底辺230.364m高さ137.18m)、カフラー王の第二ピラミッド(底辺215.8m高さ143.5m)、メンカウラー王の第三ピラミッド(底辺108.5m高さ66.5m)により構成される。底面各辺は正確に東西南北に面し、天文学、測地学、幾何学など高度な技術がうかがえる。当初の仕上げはわずかにしか残されてはいないが、第一、第二ピラミッドは白石灰岩で覆われ、太陽に白く光り輝いていたと言われています。

建造方法もいまだに諸説言われており、はっきりとした手法はまだ解明されておりません。ジッグラトと同様に途方もない時間と労力がピラミッド建設に費やされていることは明らかであり、それゆえの圧倒感は他に類を見ないものとして今でも人々を魅了し続けています。

大林組は1978年に、現代の技術ならばクフ王の大ピラミッドをどのように建設するかについて研究する企画を実行した。それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出されている。1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円になるという(金額は当時のもの)。なおこの試算に対して、1960年代アブ・シンベル神殿の移設に重機による5年かけて解体されたのは2200のブロック、それに対してピラミッドは200万個以上と現代でも可能なのかと疑問を呈されることもある。

ピラミッドだけではありません。同時期には巨大な葬祭神殿も建てられています。

エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿もその一つです。

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ハトシュプスト女王葬祭神殿 wikipedia

広大な傾斜地に設けた3段のテラスの軸線畳に並べた形式を持ち、第2テラスと第3テラス正面は、それぞれに高低差を変えながら列柱楼が並んでいるのが見て取れます。

こうした神殿建築の特徴は、聖域を周壁や柱廊で囲み空間を中心軸に沿って左右対象に配することで祈念的効果を表現している点が挙げられます。中でも太く重量感のある多数の石柱が聳え立つ柱廊は圧巻です。天井は手前から奥へ順次低くなり、採光も次第に低減され、神秘性が高くなるよう工夫されています。

古代オリエント・エジプト文明期では、日干し煉瓦や石灰岩による積石造による建築が主流でした。これらの文明の繁栄からは少し遅れた紀元前1000年頃からは柱による構成・表現が主流となるクレタ・ミュケナイ文明がギリシアを含むエーゲ海一帯に栄えていきます。

次回からはそれらの建築について紹介していきます。

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