お前なんて、全然特別じゃねぇよ。
長いまつ毛、きれいな歯並び、細くて華奢な指。
SNSの中で柔らかく笑っている、アカウント名がMissieのあの子。
最近じゃ、ちょくちょくテレビのミニコーナーで取り上げられるようになったらしい。
こんな見た目で生まれたら、それだけで人生とかヌルゲーになるに決まってんじゃん。
スマホから視線を戻した鏡の中には、少し腫れぼったいまぶたに濃いブラウンのアイシャドウを広げる自分の姿が映った。
あと20分以内に家を出ないと、遅刻だ。少し焦ってしまったせいで、仕上げのアイラインが左右アンバランスな仕上がりになってしまった。
変、ってほどじゃなくても少し違和感がある。でも直していたら、きっと遅刻は確定してしまう。
仕方なくボストン型の伊達メガネをかけ、家を出た。
私の人生は、いつもあと少しのところでちょっとずつ惜しい。
かかとが削れ始めたヒールをひっかけ、慌てて家を出る。鍵だけは忘れないようにして。
高校を卒業して2年が経った私の世界は、築23年のユニットバスで7万の部屋と、バイト先、そして美容専門学校だけだ。
他のヤツらから見れば、そんな私の世界はとてもちっぽけなのかもしれないけど、それでもこの小さな世界にもルールがあるし、美学があるのだ。
私はこのちいさな世界の中心人物なのだから、きちんとしてなければ。
その1、派手じゃなくてもセンスのいいものを
その2、色の白さと肌のきれいさは財産
その3、知り合いはできるだけ作らない
この3つのルールさえ守っていれば、この世界は安泰だ。
このルールを守りさえすれば、私は中心人物でいられる。
そう自分に言い聞かせながら、バイト先の店長の嫌味をやり過ごした。
しかし、今日の店長の嫌味には結構メンタルを削られたなぁ。
「自分だけ特別だと思ってんじゃねぇ!」ってヤツ。
うるせぇ。言われなくたって、分かってるんだよ、そんな事は。
子供が家を出てから、もう2年が経つ。
「親だからって子供の人生まで決めるのは間違ってる!」私達夫婦にそうやって反発して、無理やり実家を飛び出したのが、最近のように感じるけれど。
一緒に暮らしていても、もともとほとんど会話はなかったけど、家を出てからは増々連絡はなくなった。というか、一度も連絡はない。
あの子はまだ、私たちの気持ちがわからなくて当然だ。本当の自分で生きていく事の大変さが。
私も、あの子の年頃に持っていた筈の、強さや純粋さをどこかに忘れてきたのかもしれない。もしかしたら、私があの子に出来る最大の応援は、あの子が傷つき、立ち上がり、私たちを頼ってくるまで見守る事なのかもしれない。
どうか、あの子に居場所が見つかりますように。
私たちにとって、あの子は大切なんだから。
どうやら間に合ったようだ。
途中、ヒールが側溝に引っかかり、かかとのゴムが取れてしまった。
歩くたびにヒールの芯とアスファルトがぶつかる金属音が耳障りだったが、職場には間に合ったからセーフだ。
生徒たちは、今日も美容師の夢に向かって、この学校にやってくる。
私も昔は美容師に憧れた少女の一人だったが、実際に免許を取り美容師になってみると自分の思う姿と全然違う現実に、幻滅してやめてしまった。
今、こうして美容学校で教師をしているのは、ただの惰性だ。
今はもう、美容への情熱はない。学生の頃、少し下に見ていた「美容師に挫折したヤツ」の一人に、私は無事なってしまった。
自分は特別じゃない、って気が付くの案外早かったなぁ。
学校に行くと、担任の岩崎が珍しく伊達メガネをかけていた。何気なく見てみると、アイラインがちぐはぐだ。美容学校の教師のクセに、美意識が低い。
私だったら、絶対にそのまま外出したりしない。もともと岩崎は好きではないが、今日はいつもより更に嫌悪感が出る。
なんで、ちゃんとメイクをしないのだろう。
なんで、かかとの汚いヒールをはいて平気で外を歩けるのだろう。
なんで、私が男の恰好で外を歩かなければいけないのに、岩崎みたいに当たり前に女の恰好で歩ける奴はちゃんとしないのだろう。
私の方が、絶対にキレイな女でいられるのに。
現実では、美容師を目指す20才の男子学生。
私はSNSの中でしか、存在できない。
私の名前はMissie。アカウント名は名字の三島から取った。
徐々にフォロワー数が増え、最近はテレビの取材オファーがDM来るようになったけど、出演を受けたことはない。
だってそれが、私の小さな世界を守るためのルールだから。
なんで私だけ女じゃないんだろう。
昼過ぎ、固定電話が鳴った。
「はい、三島です。」
電話は、警察からの電話だった。
息子の通う美容学校で、担任の教師と息子が口論になり、担任が息子をハサミで切りつけたらしい。警察の方でも事件のキッカケや詳しい話はまだ確認中という事だった。
それよりも、同級生がその様子をSNSに投稿してしまい、そちらの方がとんでもなく広がっているようだった。
これから先大変になりそうだけど、息子が人を傷つける人じゃなくて良かった。生きてくれていて、本当によかった。
岩崎とのあの事件で、私の顔には大きな傷が刻み込まれた。
更に同級生のSNS拡散のおかげで、全国ニュースに取り上げられてしまい、私の世界はもうなくなってしまった。
というのも、SNSの中に生きていたMissieも私である事が一緒に報道されたからだ。
コメンテーターは、ピラニアのように私と岩崎の関係を連日のように邪推し、喰い散らかしている。どうやら私は、特別な被害者らしかった。
こんな形で、自分が見世物になるとは思わなかった。私は私だと何度も自分に言い聞かせたし、何も特別じゃない、普通の20才だと思っていた。
だけど、私は特別だったみたいだ。
私は、2年ぶりに自分を特別扱いしない場所へ戻ることにした。
「ただいま、母さん。」
「お帰り。遅かったね。」
終わり
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