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映画『これがUFOだ!空飛ぶ円盤』(1975)

 かつて一度特撮仲間のオフ会で観た記憶がある。おそらく過去に東映チャンネルで放送されたものだったのだろう。

 UFOとは何か? 宇宙人は何者なのか? これまでに空飛ぶ円盤・UFO=未確認飛行物体は世界中で目撃されている。数々の目撃情報やUFOにまつわる事件を振り返りつつ、その正体と真相に追っていく。もし仮にUFOが宇宙人の乗り物だったとしたら、我が地球に来る目的は……?

 自分にとってUFOといえば「矢追純一UFOスペシャル」である。

 今となっては「オカルトネタとはいえ、そんなあやふやな話と推測だけで2時間特番を作れたのかよ!」とツッコミたくもなる。ナチスもUFO作って火星に行くのならそれでイギリスやアメリカを攻撃した方が早いだろうに。最後に取ってつけたような平和へのメッセージが流れるあたり、いかがわしいドキュメンタリーを真面目な形で着地させるというベタながらも素晴らしい演出である。
 とはいえ、真面目に観ていた当時の自分を笑う訳にはいかない。世の中には分からないことが沢山あると思い始めていた頃に、オカルトや超常現象のような「科学では説明できない話」てのは何とも魅力的に見えたのだ。

「世界の裏側には何か恐ろしい事実があるものの、我々一般人にはそれを知る由もない。しかし僅かな手がかりからその真相が見えてきた……!」

 てな話にワクワクしていたのである。実際はドキュメンタリーという名のエンタメだったわけだが、それでも良い。むしろUFOなら可愛いくらいだ。こんな思想は今なお世の中に蔓延っているし、それをマトモに信じてしまう人もやはりいる。それがUFOではない、別の陰謀論になっただけのことだ。


 さて映画だが、短編ながらも(公開当時までの)UFOにまつわる情報をきちんとまとめており、実際に起きた話も多数紹介されている。「空飛ぶ円盤」を目撃したアーノルド事件、宇宙人に拉致された「ヒル夫妻誘拐事件」など、UFO・オカルト界隈ならまず押さえておきたい案件だろう。

 もちろん、母船型UFOや円盤型UFOの内部図解など、実際観たわけでもないのによくそこまで描けるなと思ってしまいがちだが、そこは想像力の凄さというやつだ。あくまでもあれは
「空飛ぶ円盤が宇宙人の乗り物だと仮定した場合」
なのだから。そうだと仮定(※というかほぼ断定)して真面目に考えた図なのである。

 ……ただ、ここからは少々夢のない話になってしまうが、そもそもアーノルド事件において目撃者本人は「空飛ぶ円盤を見た」とは言ってないのだ。
 実際のケネス・アーノルド本人による証言は「光る物体を見た。その動きはまるで丸い皿が水を切って飛んでいるような航跡だった」という内容で、それを報道陣が「丸い皿」の意味を取り違え、かつ誤解した結果「空飛ぶ円盤」なる単語が産み出されたのである。
 また映画本編の後半で紹介されていた「フー・ファイター」の話も、第二次大戦中に連合・枢軸両国において空飛ぶ発光物体が目撃されたのは事実だが、あくまでも「発光体」であって、劇中で描かれた円盤状では無かったそうだ。

 さらに「ヒル夫妻誘拐事件」も事実はかなりあやふやで、ヒル夫妻がドライブ中に「二時間のあいだ記憶を無くしていた」のが何時頃なのかも不明で、かつ催眠療法による記憶の再生も本編と違って事件後すぐに実施したわけではない(※二ヶ月以上経過している)点にも注意が必要である。なおアメリカでは本作と同じ1975年に、この事件を題材にした『UFOとの遭遇』というTVドラマが製作・放送されたが、それ以降「自分も似たような体験を思い出した」と訴える人達が次々現われたそうだ。これも宇宙人によるものなのか、それともテレビの影響力で「言われてみれば、あれはもしかしたら」と想像もしくは妄想した結果なのか……

 とまあ、こう記してしまうと「何とも夢のない話だな」と言われそうだが、こんな情報もある。現在でも世界各地でUFO=未確認飛行物体は目撃されているので、実際に1年分の目撃情報を精査したみた。結果は9割方が「その正体がきちんと確認された飛行物体」で、残りは「星などの見間違い」だったとか。しかし全ての案件のうち2,3例だけはどうしても「正体を確定出来なかった」ものがあったそうだ。
 しかしそれを即「宇宙人の飛行物体だ!」と決めつけるのは流石に短絡的である。どんなに科学や研究が進んでも、この世の全てが解明できるわけでは無いのだ、と心に留めてほしい。つまりそこにオカルトや陰謀論の入り込む余地が残っていると思えばいいのだ。それらを全肯定も全否定もせず、眺めておける余裕は常に持っていたいものである。


 映画本編ラストのナレーションでは
「もしも宇宙人が途方もないスケールで宇宙人同士の連合隊を組み、『地球人にもその資格があるのか』と慎重に調査していたのだとしたら」
と語っている。ここは明らかに『地球の静止する日』に影響を受けていると分かるが、さらにこう続ける。
「証拠はない。だが、否定する理由もない」

 オカルトをオカルトのままにして、こういったメッセージ性を持たせながらしっかり着地させるのは、まさに王道の展開。これを15,6分で見せてしまうスピード感の良さ。ということは、矢追純一はこれをCM込みで2時間もやってたわけか。随分と引っ張ってたんだなぁ。

 もちろん、こちらも海外現地取材といったスケール感がたまらなくいいのですが。

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