「海神(わだつみ)作戦」と伊福部メロディーの親和性について語る。
ゴジラのテーマ曲、といえばあの
「♪ダダダン、ダダダン……」
という旋律を思い浮かべる人も多いだろう。
作曲者は伊福部昭(1914-2006)。日本クラシック音楽の始祖であり、数あまたの映画音楽を手掛けた人物である。その中でも東宝特撮映画作品の楽曲は特に知名度が高い。代表曲はやはりあの「ゴジラのテーマ」だろう。もはやゴジラが登場した際の定番曲といってもいい。
そして『ゴジラ -1.0』の本編でもやはりサントラで伊福部昭のメロディが三回も使用されている。一度目はゴジラ銀座襲撃、二度目は海神作戦、三度目はエンドクレジットだ。
今回はその中でも「海神作戦」での曲について書きたい。
さて、聞く人が聞けば、このサントラの元となった曲が何なのかはすぐに分かってしまうだろう。実は二つの楽曲をベースにしている。
ひとつは伊福部昭による『SF交響ファンタジー・第一番』の冒頭部分だ。
ゴジラのライトモチーフから始まり、『ゴジラ(1954)』メインタイトル曲、そして『キングコング対ゴジラ(1962)』タイトル曲とメドレーで続く、約3分10秒くらいまでがそれに該当する。
そして、もうひとつは『ゴジラvsデストロイア』のエンドクレジットである。こちらは先のSF交響ファンタジーをベースにしつつも、ライトモチーフの部分をカットし、最後に再びメインタイトル曲で締めくくるのが大きな違いだ。
ただ、今回の「海神作戦」でこの曲を起用したのは、単にゴジラが登場するからとか、曲として格好良いからでは無いと思っている。むしろ原曲の意図をきちんと理解した、ドンピシャな旋律になっているのだ。
そもそも、一般的に「ゴジラのテーマ」として知られているあの「♪ダダダン、ダダダン……」の曲は、元々ゴジラのための曲ではない。
ゴジラを迎え撃つ側のテーマ曲である。
1954年のオリジナル版では対ゴジラ作戦として自衛隊が出動する場面、及び東京湾に去るゴジラを航空自衛隊が追撃する場面で使用されている。
では伊福部昭が本来考えていた「ゴジラのテーマ」はどの曲かというと、これなのだ。
とりわけ二曲目の旋律は『ゴジラ-1.0』でも使用されたので聞き覚えがあるだろう。そう、ゴジラが銀座を襲撃した時である。これが本来の「ゴジラのテーマ(ゴジラが進撃している時の旋律)」だからこそ、この曲なのだ。
改めて「海神作戦の曲」を振り返ってみよう。まず冒頭部分で「本来の」ゴジラのライトモチーフを用いているが、本編の場面ではゴジラが熱線で(囮として用意した)駆逐艦二隻を撃破している。つまりゴジラの猛威を表現した曲が流れるのだ。
そこから「海神作戦を開始する!」の台詞を合図に、駆逐艦・雪風と響が本作戦を実行に移す。そのタイミングでゴジラを迎え撃つテーマが流れる。この時点でもう、伊福部昭が本来意図した通りの旋律が使われていると分かるだろう。
ならば、その後に続く『キングコング対ゴジラ(以下キンゴジ)』タイトル曲は何なのか? 実はこれにもきちんとした意味がある。
キンゴジの劇中において、キングコングは南太平洋の孤島・ファロ島に伝わる「巨大なる魔神」という設定であり、島民の間にも根強いコング信仰がある。そしてタイトル曲はBGM及び劇中の曲として
「島民が『巨大なる魔神』を鎮めて眠りにつかせるための歌」
として流れるのだ。
ここで改めて海神作戦の曲を思い出して欲しい。元となったメロディーに込められた意味を踏まえると、この曲はズバリ
「ゴジラを迎撃する側のテーマ」と「神と崇める巨大生物を鎮める旋律」を一体化させたもの
なのだ。
さて、今作戦の命名者は「学者」こと野田(吉岡秀隆)である。彼は深海の水圧に着目してゴジラを倒そうと考え付いた。野田は「海そのものが持っている力」を「海神の力」になぞらえたのかもしれない。しかしかつて伊福部が産み出した旋律の力により、ゴジラもまた「神」=海に住む荒ぶる神として描かれているかのように見えた。
思えば本作のゴジラは「あらゆる災いの象徴」にみえる。もちろん戦災でもあるし、同時に天災とも捉えられる。天はこちらの都合など一切考えない。人間様がどのような事情を抱えていようと、無慈悲に一瞬で絶望の縁へと叩き込む。
……こうなってくると、自分には海神作戦そのものが
「荒ぶる神を鎮めるための儀式」
のように思えてならないのである。
災いの象徴ともいえるゴジラ、すなわち海からやってきた「荒ぶる神」を、再び海へと返す儀式。それが海神作戦なのだ。
それにしても、この曲を劇伴として使うことにより、図らずも相反する姿をした「神」が登場する結果になったのは、狙ったものなのか、はたまた偶然なのか……
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