新 紀暢(あたらし きのぶ)

新 紀暢(あたらし きのぶ)

最近の記事

終わりに見た街 その2

以前「終わりに見た街」の40年前のVHS録画をYouTubeて見つけたってブログを書いた。 記事はこれ↓ そしたら、今度リメイクされてテレビでやるらしい。なんと言う奇遇。9/21 21:00からだそうです。戦争の時代のドラマで何が嫌かって、役者が着ている服があのヨレヨレのボロボロ、じゃないとこなんだよね。。化繊じゃなくて綿の衣装を井戸の金タライの洗濯板で300回くらい洗ってからにしてほしいなぁ。それだけで空気感が全然違うんだよね。やれやれ。

    • ダイレクトパス-非二元系悟りワークと中心帰納 その2

      非二次元系だけでなく、悟りを解説する文献は難解である。その要因は何かと考えると、概念そのものが難解なのかもしれないがそれ以外にも、多くの解説で専門用語に定義を与えない、また、一つの解説記事の中で使われる用語に一貫性がないという要因もあるように思える。実際、ロットの本で「単語自体に意味があると誤解されたくないので、説明のために使っている単語に一貫性を待たせなかった」(←主張に疑問が残るが)といっている。もう一つの難しさの要因が、解説するために文章を書いている著者自身が、「頭では

      • ダイレクトパス-非二元系悟りワークと中心帰納 その1

        以前、運動でも仕事でも勉強でも、困難なくスルスルとできるようになってしまう天才型と、いつまでもできないままの凡人型の間の溝を埋めたい、という記事を書いた。私はなんの分野でもだいたい凡人型なので、誰かから何かを教えてもらうとき、「できない現状をできる状態に繋げるための説明」があるといいな、と思っている。また、私が誰かを教えるとき、そういう説明をしたいと思っている。 今は伝説となった昭和の大打者は、打撃の秘訣を尋ねられて、「こういうふうにボールがくるでしょ?これをこうやってバッ

        • 職場に現れたサディズム

          この数年で私の職場だけでなく、私の仕事の業界全体も随分雰囲気が変わったのを肌で感じていた。威圧的でサディスティックなメッセージが増えたなぁと漠然と感じていた。 この内田樹さんのインタビューをみて、ああこれだったのかと。確かにテレビでしょっちゅう政治家が「それには当たらない」とやってたなぁ。あれが”上”から降りてきてたんだね。あの人は新しい受け答えの文言を発明して、社会の形を変えてしまったんだね。 職場のサディズムは、「誰がボスなのか分からせるために拷問や罰の代わりに屈辱感

        終わりに見た街 その2

          自分だけの感じ方、捉え方、答えの出し方と、自分を見守る視線と帰る場所

          小さい頃、自分としては当たり前だと思って自分の内面の感覚、”センス”で人前で話してしまい、よく変わり者扱いされた。自分が大事だと思うことはことごとく学校では問題にされないばかりか、「なんで”普通”にできないんだ!」と怒られることも多かった。これが普通じゃないなら普通ってなんだよ〜と思う。それでも、ドラえもんの出来杉くんみたいに学校の成績が抜きん出てよかったらそれなりに居場所もあったと思うのだが、そうではなかった。例えば、”普通に”教科書を読めなかった。”センスが良すぎ”て、教

          自分だけの感じ方、捉え方、答えの出し方と、自分を見守る視線と帰る場所

          スポ根ベース茹でガエル現象

          ここで何度も話題にしている自覚ワーク、そのオリジナルサイトでは基本的に”悟り”を目指すワークとして紹介されています。ただ、自覚ワーク自体は「自分のことを自分で俯瞰して見る」というシンプルなワークで、現実の物質世界の世界観と全く乖離したところはないです(別に乖離してても全然構わないんですが*)。私にとっては、自分自身を知るっていうのがとても大切なことに思えたし、メンタルヘルス的にいいんじゃないかって思えた。心理学や心療内科的なものの限界とかにも突き当たっていて、新しい展開が必要

          スポ根ベース茹でガエル現象

          自分のカルマと他人のカルマ

          これまで書いてきただけでも私は、イライラした人に反応し、上司に反応し、熱海に反応し、太平洋戦争末期から敗戦後の日本の状況に反応し、少林寺拳法の開祖の言葉に反応し、数限りない身の回りの人間関係に反応し、強烈に囚われていることを見つけることができた。それぞれの囚われの対象には、パラレルな自分の内面の苦しみ: 仕事を頑張りすぎて絶え間なく続く恨み節や、自分の失敗や後悔や、時の流れによって失われていくものをなんとかしようとすることなど、が付随することを見つけた。 そうだ、寛容さだ。

          自分のカルマと他人のカルマ

          少林寺拳法と合気道無元塾 その4

          中心帰納と自覚ワークに本質的なつながりがあるかもしれないと書いた。しかし本当にそうなのか、と考えると、むしろ自分の都合でそうあればいいのにな、と思っている、と言う要素が強いことに気づいた。実際、自覚のための俯瞰ユニットメインでは合気道の相手フラフラ現象は起こらなかった。いつも一緒に練習しているDさんに「なにやってんすか?全然ダメっすよ」とか言われてその日はずっと調子を取り戻せなかった。もっと意識は下、体全体に満遍なく広がった無元塾で言う、惣身(惣は総の意味)になる必要があるよ

          少林寺拳法と合気道無元塾 その4

          少林寺拳法と合気道無元塾 その3

          今から三年前、私は人生に行き詰まったと感じた。 もう20年も経とうか、五十に近くなった私は、若い頃こんなことができるようになったらすごい、頑張ろう、と思って始めたことのうち自分でも結構すごいなと思うこともいろいろできるようになっていた。残っている問題は、これまでの試行錯誤から、難しくて到底どうにもならないだろうと思うことだけだった。例えば、英語で仕事のコミニュケーションが自由にできるようになったらすごいなと思って、我ながら体当たり的に頑張ってみたらかなりできるようになった。

          少林寺拳法と合気道無元塾 その3

          少林寺拳法と合気道無元塾 その2

          また自分が向かい合っている問題とパラレルな現実を切り出して強烈に囚われると言う構造を発見した。

          少林寺拳法と合気道無元塾 その2

          少林寺拳法と合気道無元塾 その1

          私が少林寺拳法について語るならここから始めなければならない。私は高校を卒業したがどこの大学にも受からなかった浪人生だった。浪人生の私は一生懸命に勉強した。特に高校三年生の後半だったと思うが近くの街の予備校の英語の無料講習に参加したのがきっかけで、浪人生になってからもその予備校に毎日通っていた。ある受験勉強本で読んだ勉強法を参考に、一時間半を一コマとして集中する勉強法をその予備校の自習室で続けていた。毎日10時に予備校の自習室について一コマを始める。11:30には一コマ目が終わ

          少林寺拳法と合気道無元塾 その1

          熱海紀行 2024

          家族というか一族で熱海に一泊旅行に行ってきた。バブルの頃に建てられたであろうホテルが、経営者を変えて改装してそれなりになっているホテルに泊まった。豊かな時代の豪華な装飾があちこちあるホテルだった。 熱海、すごい人気らしいんだけど、街全体が昭和レトロなんだよね。30年前はきっと、立ってるホテルが全部ピカピカで、シャッター閉めてるお店が全部土産物売ってて、お店で働いてる老婦人がみんな40代だったんだろうなと思う、みんなが豊かでないはずがないって思った。 熱海にいる間中、祭りの

          続・熱海紀行 2024

          熱海にいる間中、失われつつあるものをなんとかできないかと思考ぐるぐるしてたと書いた。実は、両親が歳をとりそろそろ終活がなんだと話題になったりしてて、熱海のことを考えてるつもりで、本当はそれをなんとかしようとしてたんじゃないかって思い当たった。それだけでなく、子供の頃近所に人が沢山いて子供会の盆踊りだとか、お祭りだとか、ソフトボールの集まりだとかたくさんあってなんだか賑やかだった街の景色も消えてしまった。祖父もだいぶ前になるけどあちらに行ってしまった。すでに過ぎ去ってしまったも

          俯瞰ユニットによる観察

          自動思考に苦しんでいるだけじゃなかった。自分の体に次々に湧いてくる不快感の原因をいつも探している。自分を攻撃する相手がいると、自分の行為やあり方が原因なんだと。自分が指摘できる相手がいると、その相手の行為やあり方が原因なんだと。見つけた原因を解消すれば、この不快感が解消するんじゃないかと対処し続けて来た。何かをすれば、何か良いことが起きて、誰かからの好意をもらえて、この不快感が解消するのではないかと動き続けている。探し続けて見つけ続けて対処し続けて働き続けて、それだけの自分で

          俯瞰ユニットによる観察

          自動思考を止められるようになった

          中心帰納と自覚ワークの組み合わせで、自分の思考を見るための機能ユニットが見つかった、という話を以前書いた。とにかくよかった。自動思考に苦しんだことから取り組み始めた自覚ワークのスタートラインに立てたのだ。スタートラインに立つのに三年以上かかってしまったが。。 初めて自分の思考が認識できると思った時は、新しい機能ユニットを見つけたというよりは、いつもと違うぞ、と思っただけだった。自分の思考を認識しているのは、なんとなくおでこの前方、私の体の外から視線を通してのような気がした。

          自動思考を止められるようになった

          終わりに見た街

          https://m.youtube.com/watch?v=fArBkUcYIKQ これ、なんでも40年以上前のドラマみたいです。子供の頃見たんです。記憶あります。不思議なんですがこれまで何度も思い出してインターネットができてからは何度か検索もしたと思います。最近も思い出して検索したら、なんと見つかりました。古いVHSの録画を起こしたやつみたいでノイズが結構入ってます。 戦争の時の話で多分嫌いな人も多いんじゃないかと思うんで、オレはこういうのはちょっと、と思われたら全然気に