自動思考を止められるようになった

中心帰納と自覚ワークの組み合わせで、自分の思考を見るための機能ユニットが見つかった、という話を以前書いた。とにかくよかった。自動思考に苦しんだことから取り組み始めた自覚ワークのスタートラインに立てたのだ。スタートラインに立つのに三年以上かかってしまったが。。

初めて自分の思考が認識できると思った時は、新しい機能ユニットを見つけたというよりは、いつもと違うぞ、と思っただけだった。自分の思考を認識しているのは、なんとなくおでこの前方、私の体の外から視線を通してのような気がした。まあ不思議な感じがしたが兎にも角にも自分の思考を認識することができるのだからいいじゃないか、と思った。

視線があるのは何かの誤解だとしても、その仮想的な視線の根っこには認識の主体があるはずだ。それはなんだろう。イメージ的に体の外側にあるような感じがしても、その主体が私の思考を認識していることを私がわかるのだから、なんのことはないその主体は私の一部であることは間違いない。

実は私は昔から「空気読めよ」的な社会活動が苦手であった。何をするでも自分の根っこにあるエネルギーで動きたかった。それ以外に自分が活動する意味を見出せると思えなかったのだと思う。自分を俯瞰して見れないやつはダメだと聞いたこともあったような気がする。だから、今回見つけた機能ユニットはおそらく私以外の多くの日本人が元々持っている機能ユニットなんだろう。だから「俯瞰ユニット」と名付けることにした。

早速、自覚ワークと中心帰納で練習した感じで、俯瞰ユニットが活動するように調整してみるとちゃんと自分の思考が見られる。うん。ちゃんと再現性がある。いつものように自動思考が起こるような場面で俯瞰ユニットメインで過ごしてみる。だいたい、胴体のどこか、内臓のどれかがゆっくりと緊張して不快感を持って膨れてくる。膨れ始めるあたりであーだこーだと色々なストーリーが作られる。いつもはそのストーリーに乗って自分(思考ユニット)もあーだこーだとストーリーを作り直し始めて、それでくんずほぐれずみたいになってどうしようもなくなっていた。だけど、俯瞰ユニットに留まって内臓の盛り上がりを感じる、ストーリーを聞く、でも手も口も出さない。手も口も出さないでいると内臓の盛り上がりというか緊張がゆっくりと潮を引くように収まり、ストーリーの発信も収まっていく。時間にして3分くらいのことのような気がする。よっしゃ!いつも私が苦しむことになるストーリーは通り過ぎてしまった。

こんな感じで自動思考は正確にははじまるのだが続かなくなるようになった。あーよかった。

この過程で気づいたことがあった。私は、上司や年長者に自分の父親的な存在を重ねてしまう癖があるようだ。気づいてから色んな人の話を思い出して私だけではないのかな?と思うようになった。上司からの発言がどんな発言であっても「親心から言ってくれているのではないか」と考え、発言の何処かを拾って自分の反省点とする癖があるようだ。当たり前のことなのだけど、上司や年長者がいつも自分に対して守護的な立場から行動しているはずもない。実際には、自分の本当の父親だって自分の限界から、本質的には別個の人間であることの制約から自分が期待しているほど守護的であったわけではない。まさに、謂れのない自分の囚われをその人にくっつけて、右往左往していたわけだ。

さらに、これまで私の周りには嫌な人はいても”悪い人”は一人もいないと思っていた。でも、改めて考えると、タチの悪い人は確かに何人かいたみたいだ。上司も、身勝手で組織の風向きに簡単に白黒反転させる”弱きサディスト”としての面があることもわかってしまった(以前は”巧妙に隠蔽したサディズム”と思うこともあった、でも、今見ると全然巧妙でも隠蔽もされていない、真面目すぎる若手を猫がネズミを痛ぶるように右に左に小突き回していた、そんなに高い地位にあってあんなに予算も使えるのにそんなことにしか自分のエネルギーを使えてないのかと呆れることもできる)。それからは色々な発言に「しらける」ことができるようになった。

ただ、私のこの囚われは根強く、気づいたから全て消えてなくなってしまったわけではない。おりに触れ何かに縋り付いてしまいたい気持ちが頭を擡げる。体の中に自分に対する頼りなさ、無力感を誘発するような何かの声があるようだ。

自分にはやりたいことがたくさんあるのに、自分ではできないことが多い。だから、誰かに助けを借りなくては前に進めない。無力感はその通り、現状にあった正確なものだ。でも、たとえ私が世界最高の能力の人だったとしてもできないこともある。いずれにしてもできないことはあるのだ。自分のできること、もしかしたら助けを借りたらできることを整理しようと思った。どうやったらできるようになるか、本当に助けを借りる必要があるのか、どうしたら助けを借りられるかをもっと考えようと思った。もし、助けを借りていた人がいなくなってしまっても、そこから新たに戦略を練ることだってできるのだ。もし方法が見つからないなら、それは私には、今回の人生ではできないことなのだ。

何より、やりたいことを実現するため、自分ができることを増やすために、自分を痛ぶる必要も、痛ぶられるような相手にすがっていく必要も、もうないのだ。


追伸:俯瞰ユニットメインの状態は無元塾で教えてもらった中心帰納の状態に似ている。合気道の「相手フラフラ現象」がどうなるのかは、これからゆっくりと試してみようと思っている。


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