スポ根ベース茹でガエル現象

ここで何度も話題にしている自覚ワーク、そのオリジナルサイトでは基本的に”悟り”を目指すワークとして紹介されています。ただ、自覚ワーク自体は「自分のことを自分で俯瞰して見る」というシンプルなワークで、現実の物質世界の世界観と全く乖離したところはないです(別に乖離してても全然構わないんですが*)。私にとっては、自分自身を知るっていうのがとても大切なことに思えたし、メンタルヘルス的にいいんじゃないかって思えた。心理学や心療内科的なものの限界とかにも突き当たっていて、新しい展開が必要だったのもあった。それとやっぱり、もしかしたらさらにその先があるかもしれない、ってのが魅力的で自覚ワークを始めた。

自覚ワークのサイトだけでなく、悟りについて書いてあるサイトでは、本当に苦しんでそこまで辿り着いた方の苦しみよりも、その結果であるたくさんの"すごい"ことに目が行きがちです。それだけ見ると確かにすごいことが書いてあるサイトがたくさんあります。ずっと先だったとしても、私にもそんなすごいことが起きたらいいなと思っていました。特に、私が気になっていたのは、どこかの悟り系のサイトで読んだ「ハートが開く」って話でした。ハートが開くと世界をより愛情を持って見られるようになるらしいです。ハートが開くときは、まるで天の啓示を受けるが如く、ハート(胸)を雷で打たれたような衝撃を受けて世界の認識が新たな段階に進む、というドラマチックな話が紹介されていた。

これまで私は、度々胸がズキズキすることがあったのですが、悟りについて興味を持ってからは、もしかしてこれってなんかの”サイン”なんじゃないかって歓迎するものとして捉えていました。でもやっぱり胸が痛いってのは良いサインではないです。コロナが開けてからは、仕事や家のことで疲れていたのもあって、年に何度も風邪をひいたり、風邪からインフルにハシゴしたこともあったりでした。微熱があっても普通みたいに、求められることをやってしまってた。身体的にも精神的にもキャパオーバーだったわけですね。それで、胸が痛くなって救急車で運ばれることになってしまった。心筋炎だそうです。風邪のウイルスが心臓に感染して心臓の筋肉が炎症でうまく動かなくなってしまったらしい。

注) 自覚ワークのサイトに書かれていることで、今回の私のことの直接的な原因になるようなことは何もないです。胸が痛くなることを推奨するような記述もどこにもないです。

今は、順調に回復してます。また同じことが起こらないように今回のことからなにか教訓を得たいと思いました。難しいのは、どこまでが「頑張る」で、どこからがキャパオーバーなのかわかりにくいってとこですね。スポ根マンガ全盛期に大きくなった世代としては難しいです。身体の生命力に助けてもらう年代が終わって、逆に身体を助けてやる年代になったってきたっていう自分の変化も合わさって特に難しい。振り返って考えても、特にキャパオーバーだと認識できる臨界点があったわけでなく、茹でガエル的に限界を超えてたのが厄介なところかと思った。だから、今回のことで、自分の限界がわかったかというと、わかってない気がする。だから限界点を見つけてうまく休みを取るのは今回の一件の対応としてはあまり意味がなさそう。今後同じことを繰り返さないためにできることといえば、当たり前だが、身体が痛いってのを、スポ根漫画的に頑張った証拠とか、他の何かの良いサインと捉えるべきではなくて、やっぱり体のヘルプサインと捉えるべきなんだ、ということかと思いました。

また同じことを繰り返さないために、今回私に起こったことに名前をつけることにした。ラーメンの豚骨ベースみたいな感じで、「スポ根ベース茹でガエル現象」。「そんな毎日を過ごしてるとスポ根ベース茹でガエル現象で死んじゃうよ」って自分自身に言ったら、効果は持続しないだろうか。。。

とにかくちょっとステップバック。自分に戻る。中心帰納です。仕事も無元塾も少しの間お休みです。

(別に乖離してても全然構わないんですが*) 物質世界を記述する科学だって人間の認識能力の特性に依存して勝手に論理体系を使ってるだけに見えるので、全く別の論理体系を独自に作ったって全然構わないと思う。自覚ワークやそのオリジナルサイトにある論理体系が、私の苦しみを実効的に救ってくれるかだけに興味があった。なぜ救われるのかも、自覚ワークの論理体系の中で整合的であればそれでよかった。部分的に論理的矛盾があるように見えたり、論理の網に欠落があっても、それは科学でも同じなので問題ではなかった。客観的に判断できない概念については保留すればよかった。これも私個人が科学の体系の全てを詳らかに理解しているわけではないので、科学と私の関係と全く同じだった。こういう背景で、科学と整合しなくても全く構わないと考えています。

最後に) レスキュー隊の皆さん、循環器内科の先生、看護師の皆様、本当にありがとうございました。私が本当に助けてほしいと思っている時に、こんなにもたくさんの、しかもプロ中のプロが何十人もで私を助けてくださった。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。人の命を助けるという目的のためにここまでシステムを磨きあげてきたんだと、人が集まれば組織の動きが悪くなるのが常なのに、その真っすぐさに荘厳な物を見るような感じがしました。



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