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幸せとは何か? 幸せの味がわからず噛み締められない原因である「馬鹿舌」の改善方法Ver.1

■生贄の儀式

「血液クレンジングで健康になる」
こんな間違った健康法が21世紀にもなった日本で一時期話題になりました。

健康になるにはどうすれば良いでしょうか?
そう質問されれば、大抵の人が食事、睡眠、運動に気をつける、と答えると思います。これは我々現代人が健康について共通の知識を持っているためです。

ですが、健康についての知識がない人に聞いてみたら、どんな答えになるでしょうか?
例えば、縄文時代にタイムスリップして縄文人に健康になる方法を聞いたらどうでしょう?

きっと健康は「神がもたらすもの」とか「自然の定め」みたいな回答になるでしょう。疫病が発生したら、彼らはなんらかの儀式を行い、神に祈ることで疫病を鎮め健康になろうとしたでしょう。疫病が蔓延して追い詰められると、生贄の儀式にまで発展するかもしれません。

我々現代人からすれば、そんななんの効果もないことをして健康になろうとするなんて、馬鹿馬鹿しいと思うのではないでしょうか。

もしあなたに縄文人を馬鹿にする気持ちが少しでも生まれたならば、そんなあなたの前にタイムスリップしてきた未来人が突如現れ、こう質問されたと想像してみてください。

「幸せになるにはどうすれば良いですか?」

あなたはどう答えますか?
お金持ちになること?成長すること?世のため人のために生きること?

あなたの回答は未来人から「生贄の儀式」並みの行動だと言われない自信がありますか?
我々が縄文人を馬鹿にしたように、未来人は我々を馬鹿にするかもしれません。健康に関しても「血液クレンジング」とかいう話がほんの数年前にあったんです。
健康についての知識がなければどうすれば健康になれるのか分からないのと同様に、幸せについての知識がなければどうすれば幸せなれるのか分からない。ただそれだけのことです。


■「幸せは人それぞれ」というカオス

幸せとは何か?を考える時、結局「幸せは人それぞれ」みたいな結論になりがちです。

何気ない日常こそ幸せとか、生きているだけで幸せとか、幸せは受け取り方次第とか、他人のために生きるとか、ありとあらゆる人の意見で溢れています。
要するに幸せってなんなんだ!と思ってしまいますが、この「要する」ことができず、「幸せは人それぞれ」という結論を出し、それ以上考えることをやめてしまいます。この「幸せは人それぞれ」というカオスが幸せの全体像をあやふやなものにしています。

それとは逆に、極端なシンプル化も誤解を招くことになります。
極端なシンプル化の1例が「お金持ちになれば幸せになれる」というものです。確かにシンプルでわかりやすいので人はこぞってお金持ちになろうとします。

ただ、これは幸せの一部分だけをシンプル化したもので全体像は示していません。また、時に根拠がなかったり、人を騙すための嘘だったりしますが、不幸な人は足元を見られて騙されてしまい、さらに不幸になってしまいます。

科学は日々進歩し、健康についての知識はほとんどの現代人が共通の認識を持っています。ですが、幸せについては21世紀になった今でも「人それぞれ」というカオスな状況です。現代は民主主義という多数決で物事が決まる社会ですが、「生贄の儀式」をすることが多数決で決められていないでしょうか?
一人一人が幸せについて知識を身につけ、社会で共通の認識を持ち、いいかげん我々も「生贄の儀式」から卒業しないといけません。

健康における食事、睡眠、運動のように、幸せについても「適度にシンプル化された全体像」を示し、幸せになるためのヒントを紹介したいと思います。
あらいい幸福論のメインコンテンツは以下の3つの記事となる予定です。
①幸せとは何か?
 本記事です、幸せの全体像を示します
②不幸から脱出する方法
 不幸とは何か? 不幸からの脱出方法を紹介します
③もっと幸せになる方法
 幸せな人がもっと幸せになる生き方をご提案します

なお、Youtubeにて本記事をアニメーション付きで説明した動画もありますので、ご覧になりたい方は以下を再生ください。

幸せとは何か?の全体像

それでは幸せについて適度にシンプル化して全体像を示したいと思います。

幸せは2種類に分けることができます。
幸せな経験と幸せな状態です。

幸せな経験とは「嬉しい」や「楽しい」などの一時的に強い感情を生み出す経験のことで、英語だとHappinessと言います。仕事で評価された時や宝くじに当たった時などを想像するとわかりやすいと思います。

しかし、その幸せな感情は長続きせず、例えば会社から昇給を通知されたら、一時的には嬉しいという幸せな感情が生まれますが、時間の経過とともにその給与額に慣れてしまい、当たり前だと思ってしまうようになります。また、どんなに美味しい料理でも最初に食べた時の感動を上回ることは稀で、何度も食べたら飽きてしまい、だんだんと幸せな感情が生まれにくくなります。

2つ目の幸せな状態は、幸せな経験とは逆で、感情としては弱いものの継続的に感じることができる幸せです。英語ではWell-beingと言います。
身体的、精神的、社会的に良い状態であること意味し、これらが良い状態だと特に理由もないのにイキイキしているとか充実しているといった幸せな状態になることができます。

例えば、若く健康で、深刻な悩みもなく、両親から愛情をたっぷりと注がれている子どもは、身体的にも精神的にも社会的にも良い状態となりイキイキした毎日を送ることができます。

一方、大人になり、日々の疲れや不摂生で健康に問題を抱え、精神的な悩みも増え、人との繋がりも失うと、死んだような目になって人生に絶望してしまいます。これは間違いなく不幸な「状態」と言えます。

要するに、心身ともに健康で人との深いつながりを感じられるような人間関係が構築できている状態が幸せな状態となります。

幸せな状態Well-beingはほとんどの人が子どもの頃から「あって当たり前」の状態ですから、「失って初めて気づく」現象が起きやすいのが特徴です。心と体の健康、家族・友人のありがたみは「失って初めて気づく」ものです。病気になったり、家族・友人を失った時にようやくその大切さに気がつきます。また、平和で命の危険のない生活、五体満足であること、いつでも綺麗な水が飲めること、それらのあって当たり前の幸せも普段は意識することがありません。

よって、幸せになるにはどうしたら良いか?という質問に「失って初めて気づく」ようなWell-being的な幸せを得ることと回答すると、まだそれを「失っていない人」にはピンときません。例えば、歳をとり体力や気力が衰えた老人が考える「幸せ」は、かつて「あって当たり前」だと思っていた「若さ」に関する内容であることが多いです。「若さ」というWell-being的な幸せは、若さを失っておらず刺激的なHappinessのほうの幸せしか見えていない若者にとっては退屈だったり理解されなかったりします。

かといって、幸せになるにはどうしたら良いか?という質問にHappiness的な幸せを得ることと回答すると好みの問題や経験の有無で理解されません。人それぞれ好みが違うのは理解しやすいですが、そもそも経験したことがなければ幸せを得られるイメージはあまり沸きません。例えば、お酒を飲む幸せは、お酒を飲んだことがない子どもにはピンときません。宝くじに当選することで得られる幸せも、お金で困った経験が少ない子どもにはピンときません。

「幸せは人それぞれ」というカオスは、人それぞれ自分の経験をベースに考えてしまうことが原因で生まれます。健康における食事・睡眠・運動のように「適度にシンプル化された幸せの全体像」があればこうはなりません。その幸せの全体像を理解するために、まずは、幸せには「幸せな経験」と「幸せな状態」の2つがあるということを知っていただきました。次は、この2つの幸せそれぞれを少し具体化することで「適度にシンプル化された幸せの全体像」を完成させたいと思います。

「幸せは人それぞれ」になりがち

幸せを適度にシンプル化する

「幸せな状態」Well-beingを適度にシンプル化すると身体的、精神的、社会的に良い状態の3つに分けられます。

同様に「幸せな経験」Happinessの方も適度なシンプル化を試みてみましょう。幸せな経験を「誰のおかげで得られたか」という切り口で分けると適度にシンプル化することが可能です。

まず、簡単に思いつくのが「他者のおかげ」です。ここでいう「他者」というのは人間以外の他の生命も含みます。例えば食事ですが、他の生き物の命をいただくという行為です。美味しいものを食べて幸せを感じるのはいうまでもなく「他者のおかげ」です。現代社会においては「他者」のおかげで得られる幸せはお金で買える幸せとも言えます。

次は、「運のおかげ」による幸せです。パッと思いつくのは宝くじなどのギャンブル、懸賞や福引になりますが、雨の予報だったのに晴れたなど、自然現象も「運」による幸せです。「運」による幸せは他にもありますが、後ほど詳しく説明します。

次は、「自分のおかげ」で得られる幸せです。「自分のおかげ」で得られる幸せは2つに分けられます。
1つ目は、「貢献」の幸せです。例えば、人の役に立って感謝されることで感じる幸せです。
2つ目は、「夢中」の幸せです。例えば、絵を描くといった創造的な活動に没頭することで得られる幸せです。
「自分のおかげ」で得られる幸せはお金では買えず、むしろお金をもらえるような幸せが多いです。

最後は、「協力」することで得られる幸せです。「自分のおかげ」でもあり「他者のおかげ」でもある幸せです。例えば、スポーツでチームメイトと協力して勝利することで得られる幸せや夫婦関係の幸せになります。また、自分の行為ではなく存在自体を認められて感じる幸せ、例えば、SNSで承認欲求を満たすことで得られる幸せもこの「協力」の幸せです。

理解を深めるため、架空の人物であるAさんの経験する幸せを例に分類していきましょう。

Aさんは小さい頃から映画が好きで、映画を見ては幸せを感じていました。これは映画を作ってくれる人から得た幸せ、つまり「他者」からの幸せです。
Aさんは大人になり「今度は自分でも映画を作ってみよう」と映画監督になりました。ですが、映画制作に必要な資金がないので困っていたところ、たまたま宝くじに当たってお金を得ることができ「なんてラッキーなんだ!」と幸せを感じました。これは「運」による幸せです。

それからAさんは夢中で映画を作りました。映画を作っている時、Aさんは幸せを感じていました。見る人からの評価は気にせず、「自分にとって面白い映画ならそれで良い、映画を作ること自体が楽しいんだ」と思って作りました。他人からの評価を気にしないで創造的な活動に没頭するのは「夢中」による幸せです。

ついに完成した映画を公開しました。見てくれた人が面白かったと喜んでくれました。Aさんのデビュー作は評価され、Aさんは人を喜ばせることによって幸せを感じることを知りました。「人を喜ばせることがこんなに嬉しいなんて思わなかった。」これは「貢献」による幸せです。

デビュー作のヒットのおかげでAさんの作る映画に出たいと言ってくれる役者や一緒に映画を作ろうと誘ってくれる人が増えました。その人たちと協力してさらに良い映画を作ることができ幸せを感じました。「自分一人では到底作れないような素晴らしい映画を人と協力することで作ることができた。」これは「協力」による幸せです。

このように「幸せな経験」は誰のおかげで得られたかという切り口で分類すると適度にシンプル化することができ、幸せについての全体像を把握しやすくなります。

ありそうでなかった幸せの全体像

幸せな経験の具体例と落とし穴

これらの幸せな経験はそのうち1つだけに集中してしまうと負の側面が顔を出します。それぞれ説明したいと思います。

■「運」による幸せの落とし穴
ギャンブル中毒の人は「運」による幸せだけを追い求める人達です。今の世の中では、いずれ経済的に破綻します。

意外に思われるかもしれませんが、目的なくスマホを手に取ったり、だらだらとネットサーフィンをしたり、テレビのチャンネルを頻繁に変える人も「運」による幸せを求めています。なぜなら、面白い情報を得ることによる幸せではなく、面白い情報に「運よく」出会える幸せを求めているからです。

また、人と比較して、不幸や幸せを感じることも多くの場合、運によるものです。例えばスポーツの競技では、自分がどれだけ努力しても、他人が自分より10倍努力していたら大抵負けます。ですが逆に、他人の努力が自分の10分の1なら大抵勝てます。両者で自分の努力量は変わらないのに結果は変わる。これはたまたま「相手が悪かった」という運によるものと考えることができます。スポーツに限らず、財力や名声、容姿などを比較して生まれる幸せも同様です。上には上がいて、下には下がいます。

ちなみに、対戦相手を買収してお金の力で勝利して幸せを感じた場合は「他者」による幸せです。感謝の気持ちとともに賄賂を渡しましょう。

■「夢中」による幸せの落とし穴
続いて、「夢中」による幸せだけを追い求める人達の落とし穴についてみていきましょう。他人からの評価を気にせず、自分の好きな研究や創作活動だけして生きているような人のことです。一部の天才を除き、こちらも今の世の中では経済的に破綻します。

「好きを仕事に」と言われたりしますが、今の世の中でそれを真に受けるとまだまだ危険です。なぜなら、自分が良いと思うものを創作することは必ずしも仕事として成り立つとは限らないからです。お客の要望が自分が良いと思うものとずれていた時、それを好きであればあるほど苦しむことになります。

先に説明した映画監督のAさんは、自分が面白いと感じる映画が大多数のお客にとっても面白いと感じる映画だっただけです。好きなことを仕事にできるのは一部の天才だけです。現実はそんなに甘くありません。

例えば「音楽性の違い」で解散するのは趣味のバンドだけです。プロのバンドはメンバー個人の「夢中」の幸せを優先して解散しません。なぜなら、プロは常に顧客視点に立ち、お客を喜ばせる「貢献」を求められるからです。

■「貢献」による幸せの落とし穴
その「貢献」による幸せだけに注目した考え方が、人の喜ぶことをしなさいとか他人のために生きれば幸せになれるという考え方です。

しかし、「貢献」の幸せにも落とし穴があります。人の役に立つことは確かに素晴らしいと思います。ですが、他人との「協力」関係を築けないことの裏返しだと後々辛くなってきます。常にギバーで居続けることは、健康を失い、同時に協力関係を結べるはずだった人間関係も失います。

言うまでもありませんが、仕事中毒の人はこの貢献の幸せに取り憑かれています。経済的には最も豊かになれる貢献の幸せですが、いきすぎは自己犠牲でしかありません。人と助け合う「協力」の幸せを見つけなければ、死ぬ時に自分に残ったものはお金だけだったということになりかねません。

■「協力」による幸せの落とし穴
では、「協力」の幸せだけで飯が食えるかというとそれも今の世の中では現実的ではありません。「貢献」しないと経済的に破綻します。「夢中」になれるような自分の世界がない人や「他者」から得られる幸せに興味がない人は魅力的にはならず、「協力」してくれる人が減ります。

アイドルやスポーツのファンが応援する時に感じる幸せはこの「協力」による幸せですが、魅力がなくなれば応援したくなくなります。SNSで「いいね!」されて感じる幸せもこの「協力」による幸せですが、相手や自分に魅力がなければ義務的な「いいね!」ばかりになってしまいます。

■「他者」による幸せの落とし穴
最後に、お金持ちになると幸せになるか?について説明します。
お金持ちになるとお金で買えるもの、つまり「他者」から得られる幸せを増やすことができます。でもそれだけです。

宝くじが当たってパッとお金持ちになっても、人の役に立ったり喜ばせたりできなければ「貢献」による幸せは得られません。お金持ちになっても、「夢中」になれることがなければその幸せも得られません。お金持ちになっても、パートナーや友達がいなければ「協力」による幸せも得られません。

先に説明した映画監督のAさんが宝くじに当たった時点で映画を作らなくなり、残りの人生を一人で趣味の映画鑑賞で過ごしたとしたら、それは幸せな人生だと言えるのでしょうか?

要するに、幸せな経験Happinessはどれか一つだけを追い求めるのではなく、バランスよく追い求める必要があると言うことです。幸せの極端なシンプル化は分かりやすさ優先で、「お金持ちになれば幸せになる」のように、どれか一つの幸せを追い求めることを推奨しがちです。適度にシンプル化し網羅的に5つに分類することで、バランスよく幸せを追い求める大切さに気がつけるようになります。

ここまで幸せな経験の全体像を説明してきました。
あなたが頑張って手に入れようとしていた幸せはこの中にありましたか?
今まで意識していなかった幸せの形に気がつくことができましたか?
バランスよく幸せを求めていたでしょうか?

「運」によって得られる幸せも馬鹿にできず、「貢献」による幸せが最も素晴らしいというつもりもありません。偏った食事で健康になれないように、幸せもバランスよく経験するのが大切です。

幸せな経験は偏りがちになる。バランスよく追い求める必要あり。

VALUEサイクル

ここで本幸福論のメインフレームワークを紹介します。
それは「VALUEサイクル」です。

VALUEサイクルとは価値観、行動、経験、感情の4つの基本要素の流れを表したフレームワークです。価値観が行動を生み、行動が経験に繋がり、経験が感情を生み、感情が価値観を変える、というサイクルになっています。

価値観が行動になり、行動が経験になり、経験から感情が生まれ、感情が価値観にフィードバックされる

幸せはこの「感情」のところで得られるもので、幸せになりたかったらVALUEサイクルを正しく回して幸せにつながる価値観を多く持つことが重要になります。価値観が最も重要なため価値観の英語表現であるVALUEのサイクルと呼んでいますが、4つの要素のそれぞれの英語表現の頭文字を繋げるとVALUEに近くなるということもあり、この呼び方にしています。

例えば、世の中には「努力は報われる」という「価値観」があります。それを「行動」で試してみて、実際に報われるという「経験」をすると、嬉しい!という「感情」が湧き上がり、「努力は報われる」という価値観が身に付きます。

一方、努力が報われないという「経験」をした場合、辛いという「感情」が湧き上がり、努力は報われないという「価値観」が身に付きます。

『思考は現実化する』という有名な本がありますが、思考、つまり「価値観」が「行動」につながり、それが現実、つまり「経験」や「感情」になるという関係を表しています。また、マザーテレサも「思考に気をつけなさい」から始まる名言を残しており、思考→言葉→行動→習慣→性格→運命という流れで思考がいつか運命になるので気をつけなさいと説きました。

これらは文章だと直線の関係のように感じてしまいますが、VALUEサイクルはその名が示す通り、現実として経験した感情が価値観に「フィードバックされる」という関係を明確に表した円環の姿をしています。

例えば、幸せな状態Well-beingは「失って初めて気づく」ことが多いと説明しました。Well-beingは感情としてあまり感じないため価値観への影響が弱く、悪い前兆があってもその重大さに気づくことができないためです。

大きな病気には前兆があるものです。ですが、前兆として感じるストレスや不調による不快な感情は小さく、価値観に変化を及ぼすほどではありません。そのため、大切なWell-beingを完全に失い、大きな病気になってから不幸を感じ、ようやく価値観が変わるということが発生します。病気や怪我で入院し、病院のベッドの上に来て初めて人生を見つめ直すということになります。

幸せな経験Happinessでも感情が弱ければ価値観への影響が少なく、感情が強ければ強いほど価値観への影響が多くなります。特に、過去に感じた強い感情でできた価値観はなかなか変わりません。幸せな経験は慣れてしまうので幸せな感情の大きさが減っていくものですが、徐々に減っていくのですぐには気がつきません。同時に、価値観へのフィードバックも小さくなるので価値観が変わることもありません。

そうなると誰もが身に覚えがある現象が発生します。

それは、幸せな経験Happinessを感じないのは刺激が足りないせいと考え、金遣いや行動がエスカレートしていく現象のことです。

例えば、買い物が好きな人がいたとします。そういう人は過去に買い物で大きな幸せを感じた経験がある人です。その経験により、「買い物をすると幸せになる」という価値観を持っています。当然、だんだんと買い物の幸せにも慣れていき幸せを感じなくなっていきますが、価値観は過去の買い物で大きな幸せを感じた時から変わらないので、本人は「買い物で幸せになれるはずなのにどうして物足りないのだろう」と満たされない思いを抱えることになります。

その結果、「買い物の頻度や金額を増やせばまた前みたいに幸せを感じられる!」と思い、使うお金の額が増えていきます。実際に買い物の金額が増えると、また大きな幸せを感じられるようになって満たされますが、それも慣れていくので、行動がどんどんエスカレートしていくことになります。

例として出した買い物で得られる幸せは、幸せな経験の5分類の中では「他者」から得られる幸せですが、「運」から得られる幸せについても同様で、ギャンブル中毒や携帯ゲームのガチャ中毒になります。これは「協力」や「貢献」、「夢中」でも起きる現象です。何度も同じ不幸に見舞われる人は、過去の幸せな経験に縛られて価値観が変わらないからではないかと疑ってみる必要があります。本当にその価値観は幸せにつながっているかよくよく考えてみましょう。

このように、あなたの幸福度はあなたが持っている価値観に大きく関係します。原因が全て価値観にあるならばシンプルで良いのですが、そんなに簡単に説明がつくものではありません。価値観以外にも幸福度に影響する要素は当然あります。

VALUEサイクルの4つの基本要素の間には「能力、環境、捉え方、認知」というVALUEサイクルの流れに影響する項目があります。また、VALUEサイクルの内側には「理性、WB、期待、欲求」という要素もあります。

詳しくは本記事や今後配信していく記事を含めて解説していきますが、これらの影響を認識していないと、不幸な経験をした原因は自分の価値観にあると考えてしまったりします。

例えば、努力が報われるかどうかは行動と経験の間にある「環境」という要素が大いに影響します。自分より優れた人がいれば自分の努力は報われない結果に終わることになり、「努力は報われない」という価値観を持ってしまうことになります。ですが、それは「環境」のせいであって本人のせいではありません。実際、本人としては努力した結果、以前の自分よりも成長しているはずです。にも関わらず、努力は報われないという価値観を持ってしまうことは、本人の成長を遅らせ幸せを遠ざけてしまいます。

逆に、運が良かっただけなのに自分の実力と勘違いしてしまうと、怠ける価値観が根付いて不幸になりやすいです。

人は自分の幸せや不幸の原因を良くも悪くも誤って認識していることが多いです。VALUEサイクルを使って本当の原因を認識することで、あなたの不幸を減らし幸せを増やすことができるようになります。

幸せな経験とVALUEサイクルの関係性

それではここでVALUEサイクルと幸せな経験Happinessの5つの分類を合体してみましょう。5つの分類はVALUEサイクルの「経験」のところに入ります。

幸せな経験とVALUEサイクルの関係性

幸せな感情が生まれる原因を「誰のおかげか」という切り口で5つに分類したので、感情が経験から生まれるというVALUEサイクルの理論と合体することが可能です。こうして合体してみると、今まで我々は幸せの「感情」のところではなく、その原因である「経験」のところばかり考えていたことに気づくことができます。

なぜ「経験」のところばかり考えてしまうかというと、人は幸せについて考える時、とある理由で幸せの原因について考えてしまうからです。そのとある理由というのは、幸せの原因は「言語化しやすいから」という理由です。

人は言語を操るので、幸せについて考える時にどうしても言語化がしやすい「経験」の方にフォーカスしてしまいます。幸せな「感情」を言語化すると、嬉しい、楽しい、面白い、美味しいなどになりますが、これらの言語には、どの程度それを感じたかを表せないという欠陥があります。

「面白い」と言われても「どのくらい」面白いかはわかりません。「美味しい」と言われても「どのくらい」美味しいかはわかりません。また、どの程度の「感情」になるかは、その原因である「経験」次第であるため、やはり「経験」の方を考えてしまいます。

そもそも目に見えない「感情」を言語化するのは難しいです。言語化しにくい「感情」よりも、言語化しやすい「経験」の方を考えてしまうのは、人にとって自然なことです。

このように、誰も幸せな「感情」について深く考えてきませんでした。VALUEサイクルと幸せな経験の5分類を合体することで、その盲点に気がつくことができました。盲点に気づいた今、幸せな経験を5分類にシンプル化したように、幸せな感情もシンプル化できないか?という発想に辿り着くことができます。かつ、そのシンプル化は「嬉しい」や「楽しい」といった言語化ではない別の方法で行うことが適しています。

「経験」は言語化でシンプルにする
「感情」は○○化でシンプルにする

○○に当てはまる言葉を考えてみてください。その答えはすでに今までの説明の中にヒントが出ています。


○○の中に当てはまる言葉は「数値」です。
正解は、幸せな「感情」は「数値化」でシンプルにする、です。

実は、幸せな感情はその強さ・期間でしかありません。幸せな感情が強いか弱いか、どれくらい長く続くか、ただそれだけです。お気づきになったと思いますが、この強さ・期間についてWell-beingが弱くて長め、Happinessが強くて短めという説明をすでにしています。

幸せな感情を「嬉しい」とか「楽しい」といった言語化によってシンプルにするのは、むしろ「極端なシンプル化」と言えます。幸せな経験5分類をバランスよく経験するのではなく、「お金持ちになれば幸せになれる」のような極端なシンプル化と同じです。「嬉しい」とか「楽しい」では、どの程度の強さの感情なのかわかりません。

ここで、幸せな感情の強さを数値化する「適度なシンプル化」を実際にやってみましょう。幸せな感情の強さを個人的な感覚で数値化し、いくつかのレベルに分けてみてください。あまり複雑にはしないように、幸せを感じている「期間」は無視して良いです。平均的な日本のサラリーマンである30代男性の「私」はこのように6段階に数値化していました。

この数値化は「自分の尺度で決めること」が重要です。人によるかと思いますが、6段階ではざっくりすぎると感じられる方もいらっしゃると思いますので10段階にしても良いですし、6段階では多すぎると感じた場合は5段階でも4段階でも良いです。とにかく自分で決めた尺度で数値化できればそれで構いません。この記事内では、一旦この幸せ1から幸せ5の5段階で話を進めたいと思います。

幸せな経験の方は感情の強さが大きいため数値化することが簡単ですが、幸せな状態の方は感情として弱いため「強さ」を数値化するのが困難です。失って初めて気づくくらいですので、普段は幸せな状態を感じることがありません。

よって、幸せな状態の方は「強さ」ではなく「期間」を数値化するのが適しています。実は、これは普段から誰もがやっており、人類の文化にもなっています。

人はよく恋人がいない期間を気にします。恋人いない歴○年みたいな感じです。また、結婚記念日や誕生日、七五三、還暦など記念日のお祝いは、心身の健康や人とのつながりなどの幸せな状態の期間を節目で祝い、感情の強さをブーストさせる人類の文化です。

幸せな状態の話は「もっと幸せになる方法」で述べたいと思いますので、まずは幸せな経験の数値化だけで話を進めていきたいと思います。

幸せな経験の記帳

自分なりの尺度で幸せを数値化したら、今度はあなたの日々の幸せな経験を評価し記録していきましょう。

日々の幸せな経験Happinessの原因と結果をセットで記録していきます。最初は携帯のメモに記録していくといった形で良いと思います。私は以下のイメージでエクセルに記録してまとめています。

私の場合は2021年2月から記録を始め、現時点でエクセルに数百行の幸せな経験が記録されています。やってみて気がつくのは、意外と日々幸せを経験しているということです。裏を返せば、日々経験している幸せはほとんど忘れてしまい、印象に残らないということでもあります。

記録するのが面倒と思われるかもしれませんが、記録しないと明日には忘れてしまうような幸せがたくさんあるので、記録しないと損する気持ちになってきます。さらに、私の場合は毎日の生活から幸せを探し出すようになりました。記録する方が圧倒的に幸福度が上がることを実感しています。

ここで注意するべきポイントがあります。自分が何にどのくらい幸せを感じるかは、どんなに親しい関係であっても他人に見せるのはお勧めしません。例えば夫婦間で共有すると、相手からしてもらったことにどの程度の幸せを感じたかが相手にわかってしまうので、自分の気持ちに嘘をついて高めの幸せレベルを選択するような忖度が発生し、苦痛に変わります。

なお、不幸については記録しなくて良いです。その理由は次の記事の「不幸から脱出する方法」で説明します。

この幸せの記録をするとそれだけで幸福度が上がります。ただ、それよりも重要なこととして「幸せの味がわかるようになる」というメリットがあります。「幸せの味がわかるようになる」とは、どのような意味か説明したいと思います。

幸せの味がわかるようになる

幸せの記録をしていった時、あなたはどんな幸せを感じていたでしょうか。

経験した幸せを数値化することで、自分の感じている幸せの強さの違いに繊細になれます。例えるなら、ワインの格付けがわかるようになるようなものです。5種類のワインを飲んで値段が高い順に並べなさいというお題が出たら、それぞれのワインの違いがわかるでしょうか?

ワインに詳しくなければ、一番高そうなワインと一番安そうなワインの2つくらいはなんとか選べるけれども、正直自信がないし、1位と2位の違いや4位と5位の違いは全くわからないと思います。

幸せの方に話を戻すと、幸せレベルの大きい幸せ5と、幸せレベルの小さい幸せ1の違いは流石に誰でもわかりますが、幸せ1と幸せ2の違いや、幸せ1と幸せ1未満の違いを初めからわかる人はほぼいないと思います。

みんな馬鹿舌です。

あなたが幸せの記録をしていった時、テレビやスマホをだらだら見ることは幸せレベル1以上としてカウントしたでしょうか?
幸せレベル1以上にならなかったのではないでしょうか?

あなたにとっての幸せレベル1は、記録する手間をかけてもいいと思えるくらいには幸せを感じた経験になるのではないでしょうか。記録するのが面倒と感じるような幸せは幸せレベル1未満であり、それはあなたがやめたいと思っていてもやめられないような習慣ではないでしょうか。

例えば、お腹がいっぱいになるまで食べてしまうとか、ついつい間食をしてしまうとか、お酒を飲みすぎてしまうとか、だらだらテレビやスマホを見てしまうとか、ゲームをしてしまうとかが多いと思います。

あなたの幸せの記録にこれらが入っていないということはつまり、幸せに対する馬鹿舌が改善しているということです。あなたは少なくとも幸せレベル1と幸せレベル1未満の味の違いがわかるようになりました。

今までのあなたは幸せに対して馬鹿舌でした。
だから幸せレベル1未満の幸せを手軽にバクバク食べていたのです。

中には身体に悪い幸せもあったと思います。食べ過ぎたりお酒を飲み過ぎたりすることは身体に悪いです。また、だらだらテレビやスマホを見たりゲームをしたりするのは精神力を消費します。行き過ぎると時に大切な人と過ごす時間も失うかもしれません。

これらは別の言い方をすると、Well-beingに悪いという言い方もできます。身体的、精神的、社会的に悪い状態へ向かっているということです。幸せレベル1未満の経験を得るために、幸せな状態Well-beingを犠牲にしています。幸せな状態を犠牲にしている罪悪感とセットだと尚更楽しめないのも仕方ありません。

これらの行為で幸せレベル1以上の経験ができるのであれば、気兼ねなくやれば良いと思います。でも、幸せレベル1にも満たないなら、なぜ自分はそれをするのか考えた方が良いです。これらの習慣は、得るHappinessよりも失うWell-beingの方が大きいはずです。やればやるほど損なのにやってしまう、それは過去の幸せな経験でできた価値観があるせいです。このままだと行動をエスカレートさせるしかHappinessを感じなくなります。犠牲になるのはWell-beingです。感情として弱く、完全に失わないと気がつけないWell-beingが犠牲になります。

自分で自分の幸せを数値化し記録して初めて、幸せレベル1と幸せレベル1未満の違いがわかるようになります。そしてその違いがわかるようになれば、幸せレベル1未満の方は時間を割くべきか自問できるようになります。記録する価値がない=幸せな経験ではないという認識が構築されるからです。

わずかなHappinessを得るためにWell-beingを生贄にする習慣は見直すべきです。

味がわかるから噛みしめたくなる

この幸せの記録を実践すると、人生は辛いことの10倍以上幸せなことが起きていることに気がつきますが、同時に忘れてしまう幸せがたくさんあることにも気がつきます。

私の場合は現時点でエクセルに数百行の幸せが記録されていますが、もし記録していなかったら絶対に忘れてしまっていると思います。記録を始める前の幸せな経験を思い出してできるだけ多く書きなさいと言われたら、100個出すのも相当苦労すると思います。幸せレベル4とか5しか覚えていないからです。

これはわかっていたようでわかっていなかったので、私にとってかなり衝撃でした。今までの人生で経験した小さくとも大切な幸せのほとんどを忘れてしまっていることに気がついたためです。しかも、もう思い出すことはできません。

これはものすごく悲しいことだと思います。記憶力が良ければ覚えていられると思いがちですが、嫌な経験もよく覚えていることになりますので、世の中そううまくはいきません。

過去に記録した幸せを見返していると、当時つけた幸せレベルが高すぎるのではないかと思うことがあります。ある出来事に対して当時は幸せレベル4をつけていましたが、今見ると幸せレベル3くらいではないかと思うことがあります。

ですが、過去の記録を変更することはしないようにしましょう。なぜ過去につけた幸せレベルが高すぎると感じるかというと、今の自分がその幸せに慣れてしまったからです。当時の自分はそのくらい幸せを感じられたということですので評価は正しいです。

このことは重要な気づきを与えてくれました。

今、この瞬間は二度と訪れません。同じ経験で同じ強さの幸せは得られません。例えば、思春期の頃は好きな人と話せただけでものすごく幸せを感じますが、大人になれば落ち着いてきます。また、歳をとっていけばいくほど感受性が減っていき、幸せの感じ方が弱くなっていくのだと思います。同時に、あらゆる幸せに慣れていってしまいます。

今、この瞬間は今しかない。

それに気づいてから、私は幸せを感じる時、今まで以上に特別な気持ちでそれを受け止めるようになりました。幸せレベルが大きければ大きいほどそうです。幸せの味がわかるようになったから、幸せを噛み締めることができるようになったのだと思います。

余談ですが、世界一のお金持ちが感じられる最高の幸せと、あなたが感じるられる最高の幸せは同じ人間なので同じくらいの強さの幸せになるはずです。ですが、同じ強さの幸せを感じるために必要な「経験」は違います。あなたが最高の幸せを感じる出来事と同じことを世界一のお金持ちが経験しても、刺激が弱くて幸せを感じないでしょう。これはつまり、あなたの方が幸せを感じるポテンシャルが高いということを意味します。

幸せを感じるポテンシャルが高いにもかかわらず、もっとお金があればとか能力があればとか自分にないものを得られれば幸せになれると思っていませんか?
そんな幻想に囚われて、人生で一度しか経験できない目の前の幸せを見過ごしていませんか?

一度感じた幸せはもう二度と同じ感じ方はできません。目の前の幸せをしっかり噛み締めないと、あなたが世界一のお金持ちになった時に後悔します。その頃には最高の幸せなんて世界征服でもしない限り経験できなくなっているでしょう。過去に感じることができた小さいながらも多くの幸せを噛み締めずに見過ごしてきたことを後悔するでしょう。

よく、「今を生きなさい」みたいなことを言われます。今まで何を言わんとしているか、いまいちピンときていませんでした。ですが、幸せの味がわかるようになった今、その言葉の重みがようやくわかりました。

「今を生きること」
それは「一度しか経験できない目の前の幸せをしっかり噛み締めて生きること」に他なりません。

VALUEサイクルで説明します

なんだか哲学的な話になってきました。幸せな感情を数値化し記録していくことで、私にどんな変化が起きたのでしょうか?

その変化をVALUEサイクルで説明します。

「幸せの味がわかるようになる」という比喩は、VALUEサイクルの「感情」と「価値観」の間にある「認知」が変わったということを表しています。幸せな感情を数値化して記録し続けると、その強弱に繊細になれますが、それは自分の幸せについての認知力を高めることができたということになります。

「認知」の意味を辞書で調べると「はっきり認めること」と書いてあります。この単語がよく使われる表現として、「子どもを認知する」という表現がありますが、これは自分の子どもであることを「はっきり認める」ということになります。自分の感じている感情の強さをはっきり認めるという意味で、「感情」と「価値観」の間は「認知」となります。

認知力が低いと、大きな幸せや大きな不幸でしか価値観が変わりません。慣れによって感情の大きさが微妙に減っていくことに気がつかず、いつまでも過去の大きな幸せや不幸で身につけた価値観のまま進歩しません。幸せの儚さに気がつけず、「今を生きる」という価値観が育ちません。

結果、生き方が雑になります。

大切な毎日を雑に過ごし、VALUEサイクルがどんなに回っても、価値観が過去から変わりません。VALUEサイクルの流れに影響する要素は変化していきます。歳をとれば体力の衰えで「能力」が変わっていきます。時代の変化とともに「環境」も変わっていきます。間違った「捉え方」が身に付いてしまうこともあるでしょう。そんな中で、認知力が低ければ、とっくに幸せを産まなくなった過去の価値観を改めることができません。

幸せを生むには「価値観」が大切です。「価値観」を育てるため、一度しか経験できない貴重な「感情」が正しく「価値観」にフィードバックされるよう、認知力を高めておきましょう。

人工甘味料を噛みしめていないか

先ほど、幸せの数値化は「自分の尺度で決めること」が重要と言いました。その理由を説明します。

今まで、幸せな経験と幸せな感情を言語化と数値化でシンプル化してきました。私は「幸せは人それぞれ」というカオスをシンプル化する際に、誰のおかげかという言語化によってシンプルにしました。ですが、世の中の頭の良い人たちは「幸せは人それぞれ」をシンプルにする際に数値化を使いました。

総資産額とかいいね!の数とかフォロワー数というのは、「幸せは人それぞれ」を数値化という方向でシンプルにしたものです。これらの数値が上がれば幸せというのは、誰にでもわかりやすく誰にでも当てはめることができるためです。

でも、それは本当にあなたの幸せでしょうか?
これらの「他人が作った、他人のための、他人の評価軸」がわかりやすいからとりあえず飛びついているだけではないですか?
あなたにとってそれらの数値を増加させるのは幸せレベルいくつになるでしょうか?
他人が幸せだと言っているから自分も幸せに感じるに違いないと思っているだけではないでしょうか?
その数値を他人と比べて私の方が多いから幸せとか、少ないから不幸と思っていないでしょうか?

資本主義社会はその人の信用力がお金に変わる社会であり、お金の量で幸せが決まるという幻想を多くの人が持っていました。今の世の中はその幻想がお金ではなくいいね!の数とかフォロワー数に変わりました。それ自体は良いのですが、問題は別のところにあります。他人がどのくらいお給料をもらっているかはあまりわかりませんが、他人のいいね!数やフォロワー数は世界中の誰でも知ることができ、比べることができる点が問題です。

また、いいね!の数とかフォロワー数はお金を稼ぐよりも、より日々の行動に直結しやすくもなりました。例えば、サラリーマンのお給料が上がるのは年に1回なので自分の頑張りとの関係がわかりづらいですが、いいね!数は自分の頑張りとの関係がリアルタイムにわかります。断然「他人が作った、他人のための、他人の評価軸」であるいいね!の数が自分の幸福度に大きく影響することになります。それ自体は構いませんが、他人との比較がしやすくなった点を忘れてはいけません。

人と比べて幸せとか不幸とかを判断してしまう人は、これらの他人が作った評価軸による数値を自分の幸福度にしています。自分で作った評価軸による数値で幸福度を判断していません。

人と比べて感じる幸せは「運」による幸せですが、その幸せは自分の努力や在り方によって生まれた幸せではありません。これは人工甘味料を噛み締めているようなものです。確かに美味しいのでしょうが、栄養になりません。むしろ体に悪い、Well-beingに悪いということです。そのくせもっと欲しくなる。

資本主義社会では高級車に乗ってブランドを身に纏って見せびらかしてくる人でもなければ経済力を比較しないで済みますが、現在は世界中の誰とでもいいね!数やフォロワー数を比較することが可能です。いくらでも不幸を感じることができます。

ですが、あなたはそんな世界から脱却することができる知識をすでに得ています。

幸せな感情は数値化できることをあなたは理解しています。その数値はあなたが決めた基準です。私の幸せ5とあなたの幸せ5は完全一致しません。自分で作った指標は、過去の自分との比較しか存在しません。他人が決めた指標ではなく自分の感覚で決めた指標ですので、人と比べられません。「自分が作った、自分のための、自分の評価軸」をあなたは手に入れています。

現代社会は他人が作った指標で溢れています。その他人が作った指標で他人と自分を比較している限り、あなたが本当に幸せになることはありません。「運」による幸せも慣れてしまう以上、「人と比べることは幸せにつながる」という価値観を持っていると、不幸になる運命が待っています。人工甘味料はほどほどにして、あなたの人生の栄養になる本当の幸せを噛み締めましょう。

人生の目標を決める

幸せな経験を一定の期間記録したら、幸せの5分類と幸せレベルに応じて集計してみましょう。私が幸せの記録をし始めて3ヶ月目くらいの頃、2021年5月の1ヶ月の集計結果を紹介します。なお、3月と4月もあるのですが、最初の頃は馬鹿舌すぎて評価が正確ではないため紹介は控えます(でもエ○ァは確実に幸せ5でした)。

2021年5月の幸せポイント集計結果。5分類のバランスが悪く、幸せレベルも小さいものが多い

幸せリストとしては26行、合計32ポイントです。幸せレベル別でいうと、幸せ1が21行あり21ポイント、幸せ2が4行で8ポイント、幸せ3が1行で3ポイント、幸せ4と幸せ5がない、という内訳です。5分類では「他者」と「夢中」の幸せが多い結果になりました。

「他者」による幸せは、食事や面白い漫画を読んで得た幸せでした。「夢中」による幸せは、この幸福論についての考察を夢中でして得た幸せです。幸せレベルが高いものはなく、最大で幸せ3で漫画を読んで得た幸せでした。しかも一度読んだことのある作品をもう一度読んだ結果です。

「夢中」の幸せが多いのは、この幸福論についての考察を楽しくやっていたからです。ちょうどVALUEサイクルの名前を決めて頭文字がうまくはまりそうだと喜んでいた時期でした。Uで始まる英語を辞書で調べて無理やりこじつけようかとワクワクしていました。

もしそれらの「夢中」の幸せがなかったら「他者」の幸せがほとんどです。また、幸せレベル3以下は私の基準だと1ヶ月くらいで忘れてしまう内容なので、幸せを記録していなかったら忘れてしまい、何もいいことのない1ヶ月だったという自己評価がついたことでしょう。

さて、それではここで重要な問いを投げかけたいと思います。この幸せの記録結果がどうなったら良い1ヶ月だったと思えるでしょうか。もっと飛躍して、どうなったら良い一生だったと思えるでしょうか。

その答えがあなたの数値化された本当の目標になります。


人生には時に拍子抜けするくらいシンプルなことがあります。たった数十個のマス目に入れる数値が、あなたがどう生きたいか、あなたよりも雄弁に語ります。

死ぬ時にこの幸せポイントを各項目で何点くらいにしたいか決めましょう。死ぬ時までにどのくらいの幸せを経験したいですか?

考えるのが難しければ、今から1年間という期間の中でどのくらいの幸せを経験したいか考えてみましょう。それも難しければ1ヶ月、1週間、明日だけ、と期間を短くしていきましょう。別に幸せレベル5の運による幸せに全振りするという目標でもいいんです。

さあ、あなたの幸せな経験の予定を決めましょう。

私の考えたこうなったらいいなと思える1年間の理想的な数値を紹介します。

こうなったらいいなと思える1年間の理想的な集計結果

・幸せレベルの高い幸せを多く経験したい。
・幸せレベルの低い幸せもちゃんと気がついて日々経験したい。
・幸せの5分類をバランスよく経験したい。

年間合計400ポイントですので、12ヶ月で割るとひと月当たり33ポイントとなります。先ほど紹介した2021年5月が32ポイントですので、合計ポイントで達成することは無理がありません。むしろ目標が低いくらいです。ですが、5分類をバランスよく、幸せレベルが高いものも織り交ぜてと考えると結構チャレンジングな目標になります。

特に、協力や貢献の幸せは相手が必要になります。家族友人を大切にして仕事を頑張る必要があります。幸せレベル4や5も現状のままでは自然と経験することはできないでしょう。なんらかの工夫をしないと達成困難です。そうしないと断食して死ぬほどお腹を空かせてからご飯を食べて幸せレベル5を達成するという荒技を使うはめになります。それこそかなりのWell-beingが犠牲になりそうです。幸せレベル1未満に時間を割いている暇はありません。そんなことよりもっと楽しい幸せレベル5という一生の思い出が1年間でこれだけ経験できたら、それはとても幸せだと思います。

一生の理想的な目標のイメージも紹介します。点数として載せるのは寿命がわからないので割合と文章で説明します。

一生のうちに経験する幸せな経験の理想的なバランス

・上記の達成のためにWell-beingを完全に失うことがないように注意する
・幸せレベル1未満のためにWell-beingを使わない
・幸せレベル1以上はWell-beingを使って良い
・死ぬまで諦めずに幸せポイントを1ポイントでも多く経験する
・どこかのタイミングで幸せのために生きるのではなく使命感で生きるようにする

Well-beingと使命感で生きるについては「もっと幸せになる方法」のところで語ります。
月間・週間単位に分解して計画を立てて達成できるように行動しましょう。

まとめ

もし、生まれた時からこの幸せな経験の記録をしていたらどうなるか?と考えたことがあります。まず、この世に産まれた幸せ、その幸せは「他者」である両親からの幸せです。きっとこの幸せは一生涯経験する全ての幸せに匹敵する幸せなのだと思います。計測不能の幸せでしょう。

毎日美味しいご飯を作ってくれて、お風呂で一緒に遊んでくれて、週末は遊園地に連れて行ってくれる。仕事で辛い時も、無理して風邪を引いて辛い時でも、どんな時も子どもの幸せを願ってくれる。反抗期になった子どもからひどいことを言われて傷ついても、ありとあらゆる不幸から子どもを守ろうとしてくれる。

産んで育ててくれた両親という「他者」からもらった幸せはどれくらい大きなものになるでしょうか。

「他者」からもらった幸せは両親だけではありません。人間は他の生命を糧にして生きています。

さらに実感しにくいことですが、過去の人類からもらった幸せも大きいです。現代では幸せに暮らすことのできる我々も、ほとんどの個体が過去の時代においては「弱者」に該当します。性別に関わらず、筋肉隆々で屈強な肉体を持っていない「弱者」は生きられない時代がありました。人類を進歩させてきた過去の偉人たちのおかげで我々のような「弱者」も生きられる世の中になったということです。

現代を生きる我々は余裕がなく、自分より弱い立場の弱者を切り捨てることを考えがちです。でも、自分がこうして生きられるのは過去の偉人たちのおかげだと認識すると、自分も人類の進歩のために行動し少しでも「恩送り」をする必要があることがわかります。

このあたりは「もっと幸せになる方法」で述べたいと思います。

親からもらった幸せ、他の生命からもらった幸せ、過去の人類からもらった幸せ。このように、自分の幸せは「他者」からもらった幸せばかりになると思います。

私たちは両親はじめ「他者」からもらった幸せがあまりにも大きすぎて、幸せは他者から貰うものだと思い込んでいるのかもしれません。過去の大きな幸せな経験でできた価値観はなかなか変わりません。「他者」からもらう幸せに飽きてきたら、そろそろ他の種類の幸せにも目を向ける時がきたということです。

あなたも私も現時点で気がついていない幸せがたくさんあります。

「他者」からもらう幸せはもう十分と思うと、今度は他者のために「貢献」したいと思えてきます。若ければ若いほど他者のために「貢献」して幸せを感じる利他精神は持ちづらいですが、少しでも「貢献」の幸せに興味を持ったら、ぜひやってみてください。人の役に立つ「貢献」の喜びは、今まで経験したことがなければないほど大きな幸せを感じることができます。そのせいで「貢献」することが最も人が幸せになれる方法だと思ってしまう人がいるくらいです。

「貢献」ではなくても「夢中」になれることをしても良いし、「協力」して幸せを感じるのも良いです。ちなみに私は宝くじを買うようになりました。昔は宝くじを買う人を期待値の計算ができない人だと馬鹿にしていたのですが、馬鹿は私でした。「運」による幸せはベットした数で決まります。

幸せの5分類をバランスよく経験できるようになったら、今度は幸せレベルの大きな幸せを感じられるよう意識しましょう。それは幸せレベルの小さな経験に時間を割かないということでもあります。幸せレベル5と幸せレベル1は数字だと5倍の違いがありますが、実際に感じる幸せは5倍以上の開きがあります。幸せ1を5回経験するよりも、幸せ5を1回経験する方が圧倒的に幸せは大きいです。幸せの味がわかるようになれば、幸せレベルの小さい幸せよりも大きい幸せを優先しやすくなります。

幸せをバランスよく経験し、より大きな幸せを感じられるようになったら、次は幸せの「期間」を伸ばしましょう。幸せは強さと期間という話をしましたが、幸せの期間を伸ばす方法があります。それは感謝の気持ちです。過去の幸せを思い出して感謝の気持ちを持つだけで幸せを感じる期間を伸ばせます。

「よく噛んで食べなさい」と言いますが、よく噛むとは強く噛むことではなく、長く噛むことです。感謝とは相手に伝えるだけではなく、幸せを「よく噛んで食べる」ことでもあります。感謝については一大テーマですので「もっと幸せになる方法」で詳しく説明します。

幸せの味がわかるようになり、今を生きられるようになったら、次は未来に目を向けましょう。一生のうちに経験したい幸せを数値にしてみましょう。

目標設定ができないとか、夢が持てないとか、好きなことがわからないということで悩んだことが誰でもある思いますが、それは言語化が難しいのであって、数値化するのならば簡単になります。人生は何があるかわかりません。何年も先のことを夢と称して具体的に言語化しても、その通りになるわけがありません。

数値化して方向だけ決めればいいんです。

それで未来を悩まなくなります。
それで今を一生懸命に生きられます。
それで目の前の幸せに集中できます。
それであなたは幸せになれます。

次回予告とお礼

今まで説明した内容を真面目に実行した場合、恐らく7割の人は幸福度が上がると思います。7割というのは、「自分は今幸せです」と断言できる日本人の割合です。すでに幸せな人はこの方法を行うことでさらに幸せが増えると思います。また、人生に対する見方もパラダイムシフトとはいかないと思いますが、少々変わったのではないでしょうか。

さて、次の記事である「不幸から脱出する方法」は、残り3割の幸せでも不幸でもない人と「自分は不幸だ」と断言できる人のための説明になります。幸せな人はここで満足してしまっても良いのですが、さらに幸せになるためにも、また、これから不幸になった時の備えとしても、記事を見ていってもらえないでしょうか。幸せになるのは簡単ですが、不幸から脱出するのは幸せになることの何倍も難しいです。よって、内容も少し難しくなります。ご了承ください。

この記事は皆様からコメントをいただく目的で配信しています。「スキ」ボタンもありがたいのですが、それは他人が作った数値化の仕組みですので、大変お手数ですが、あなたの言葉で感想などいただけますと幸いです。
もし、この記事が面白かったと「幸せ」を感じていただけたなら、あなたの人生初の幸せの記録として、コメント欄で他者/幸せ○点という形で記録いただけますと幸いです。それは学んだことの実践の場になるとともに記念にもなると思います。

また、コメントで「ありがとう」といただければ、それは私の「貢献」の幸せになります。賞賛いただけるのであれば、それは私の「協力」の幸せになります。それらの幸せを得るために、この記事を配信しています。

この幸福論を考える過程は「夢中」の幸せがたくさんありました。また、「他者」から得た幸せ、「協力」の幸せもたくさんありました。最後に、それらの幸せをもたらしてくれた方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

最後までご覧いただきまして、本当にありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。


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