見出し画像

籠城戦とは?城攻めと籠城、どっちが有利?

籠城戦とは?城攻めと籠城、どっちが有利?
敵に囲まれ、城に籠って守る戦いを籠城戦といいます。
○城を舞台にした攻防
籠城戦は長期戦になることが多く、いかに持ちこたえるかが重要でした。攻め手側にとっては、城へ送られる兵糧を断つために支城とつながる道を断つなどの戦略が取られました。
○籠城する側のほうが有利だったけど……
籠城する側が兵力では劣勢であることがほとんどです。しかし劣勢であるからこそ有利な戦術でした。籠城は味方の後詰(援軍)がやってくることが前提の戦術だったからです。細く長く時間稼ぎをして、味方を待てば勝てたのです。

戦国時代、籠城は有利でしたが、秀吉の時代になると状況は変わります。秀吉は兵糧攻めや水攻めなど巧みな戦法を使い、多くの城を落としました。時代とともに戦のスタイルも変わり、籠城も有効な戦術ではなくなっていったのです。
○少数で敗れた岩屋城
天正14(1586)年、高橋紹運は島津の攻撃により、岩屋城で籠城しました。このときももちろん味方からの援軍は送られましたが、5万もの大軍にたった763人では太刀打ちできませんでした。紹運は、主家や、実子のいる立花城を守るため、あえて岩屋城に籠って自分の命を犠牲にして戦ったといわれます。
○まとめ
現人神社は高橋紹運が治めていた地にあります。当宮も戦火を蒙り、社殿や貴重な宝物類が焼失しました。佐伯刑部の子・松千代が生き残って祀官となり、現在まで伝えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?