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そう、沼なんだ。

さて、勢いよく書き始めてみたものの、第1回目の投稿は
あまりにも説明不足だったんじゃないだろうか?
まず、大きな疑問の一つに触れたい。
なぜ筆者は、カマルグ湿地帯に胸を熱くしているんだろう。

この答えは、まず私の育った環境に起因している。
私は38年の人生の内の大半を、千葉県にある我孫子市で過ごした。
そこには、手賀沼という沼があった。
この沼の存在が、私の創作の最初の舞台と言える。

昨今、何かに魅了され、頭がそのことばかりになってしまう程のめり込む事象を、「沼にハマる」、「沼ってる」などと表現するが、私の場合、沼に沼っている。

私は、美術大学に入学し、自らの創作に向き合った時に、自分の中にある想像の源に、沼のそばで育ったことが影響していることに気付いた。

小学生の頃、自然環境をよくする為のポスターに、沼に住む鷺の絵を描いた。鷺の美しい羽が汚染された緑の水で汚れてしまっている絵だ。
手賀沼は私が小学生だった頃、家庭排水による水質汚染がとてもひどく、全国でワースト2だった頃もある。
ヘドロと呼ばれる緑の藻が大量発生していて、夏場になると匂いも凄い。
私は海や美しい湖などの近くに生まれたらよかったのになぁと、ずっと思っていた。いつかは綺麗な海や湖の近くに住むんだと夢見ていた。

しかし、私は美大の油絵科の1年生の頃、初めて自分で1からコンセプトを考える課題があり、そのモチーフに、この手賀沼に住む白鳥とアヒルを選んだ。
それは、紙ナプキンで白鳥とアヒルを折紙で作り、水色の台座に並べたものだった。

その作品は同じ白い鳥なのに、なぜ形が違うだけでこんなに美しさが変わるのか?そして、結局は同じ白い紙なのだと言う2つのメッセージを込めたかった。講評ではあがり症に負け、何を言ってるかわからない状態になったことを覚えている。このように、私の母校の油絵科では、絵を描いていればいいというわけではなく、作品を作り、クラスメートの前で公開処刑状態になるというのが学びのスパイスとなっていた。出会った教授たちも、批評に一歳の手抜き無しで、その真剣な姿勢にも最初は戸惑ったが、私は好きだった。しかし、私はモダンアートのコンセプトありきの作品より、絵画表現でシンプルに「何か」を伝える。「何か」は見る人に委ねる。という方が向いているということも4年間で学んだ。

話を戻して、モチーフを与えられて作品にするのではなく、自分でテーマ、作りたいものを考える時に、私の少ない人生経験の中で浮かんできたのは、やはり小さい頃からいつもそばにあったあの沼が浮かんできたのだった。
小さな頃から汚染はひどくとも、沼のそばの大きな公園や立派な図書館は私の憩いの場だった。

手賀沼には、たくさんの野鳥が住んでいる。
その中でも私が一番好きだったのが白鳥だった。
白鳥が暗い水面を優雅に泳ぐ姿、ゆっくりとしたスピード、美しい白い大きな羽。
まるでこの世のものとは思えない姿だなぁと、毎度魅了されていた。
日曜日の朝は、自転車に乗って、父と一緒に白鳥に古くなったパンをあげに行くのが大好きだった。私の見てきた物の中で、沼の存在は大きかったのだろうと思う。

水質汚染は年々改善され、現在の手賀沼は少しずつ美しくなっていっている。嬉しい限りだ。
しかし私にとって好きな沼のイメージは、大きな大きな不思議な黒い水たまりで、その水面を覗いても底は見えない。遠くの方でボチャンと大きな魚が跳ねたり、死んだ魚が打ち上げられていたり。

制作に悩んでいる頃、夜や明け方の早朝に沼に1人で行くと、ヒトカゲは無く、重たい湿り気のある空気に包まれていて、霞がかっているような。寄りつくのが怖いくらいの雰囲気だ。
そんな中、沼辺のベンチにポツンと座り、私のいるこの世界はいつか変わることがあるのだろうかと悶々としていた。

私にとって沼というのは、特別な場所なのだ。





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