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06/プノンペンを経てたどり着いたのは知らない島だった

あまりにも疲れたので、やっとの思いでシャワーを浴びるとすぐに横になりました。

すると、あかねがカメラがないと言い出します。

ベットの上に一旦荷物を全部出して確認してみるも、やはり見当たりません。

しかも、いくらか中身の位置が変わっているとのこと。

車内に荷物を置くスペースなんてなかったので、全員の荷物が荷台に積んでありました。

どうやら荷台に乗っていた欧米人の旅行者に取られたっぽい。

荷物のすぐそばに、ずっと同じ欧米人が座っていたのを彼女は何度か見かけていたそうです。

荷台に乗っている旅行者は、自分の荷物は自分のそばに置いてあるだろうから、それ以外の荷物をごそごそしていたとしても、他の人からしたらそれがその本人の物かどうかなんてわからないのです。

ゲストハウスの彼は手ぶらだったし。

その頃のカンボジア人は何も持ち合わせていませんでした。

よれよれでぼろぼろになったお札をパンツのポケットか、シャツの胸ポケットに直接入れているだけでした。

カンボジア人の男の人は、ほとんどが襟の付いたシャツの裾を出して着て、足元は素足にサンダルでした。

昔おじいちゃんが履いていたような茶色いやつです。


その頃は、カンボジアでデニムを履いている人さえ見たことがありませんでした。

しかも、おしゃれとして着ている迷彩服を、なんでわざわざ着ているのか理解しがたかっただろう。

ポル・ポト政権時の大虐殺があってからまだ間もないのだから。

迷彩服を普段着として着ているなんて、考えられないのです。

彼らにとっては、リアルな戦闘服でしかなかったのですから。

両親や兄弟とは生き別れ、自分の誕生日もわからないなんてことも普通でした。

とりあえず、カメラはもう手遅れなのでどうしようもない。

バックパックに入れっぱなしにしたのが悪いと反省し、残念だし悔しいけれどあきらめて寝ることにしました。



翌朝、外でなんとなくざわざわしたり、笑い声が聞こえてきたので着替えて外に出ると、そこにはゲストハウスの従業員が何人もいました。

オーナーは中国系カンボジア人のお父さんで、三人兄弟のうちの長男と三男の二人。

レセプション担当が1人と、あとはドライバー兼従業員が数人。

正直どこまでがスタッフで、どこからが友達なのかよくわかりません。

それに、掃除をしたり食事を作る女の子のスタッフが3人。

女性は表には出てこないのが普通でした。

お客さんの相手をするのも男性、表に立つ仕事は全部男性、女性は裏方の仕事をするのみです。

肌を露出することもありません。

だから皆んな長袖か、もしくは半袖のシャツかTシャツに長ズボンを履いています。

ノースリーブなんて考えられないのです。

膝丈のスカートを履いている人なんていないのです。

そんなことしたら、結婚すらできなくなるのですから。

だから、普段着は皆んなパジャマ。

夕方水浴びをした後に、パジャマに着替えるのでしょう。

その後外に出る時もそのままパジャマ姿です。

今ではパジャマで出歩いている人もほとんど見かけなくなりました。

これも、この頃の風物詩の一つだったな。

この当時のカンボジアでは、男女で一緒にいるのも結婚している人たちだけでした。

まさしく戦後の日本のような感じです。

むかし、お年寄りに聞いたことがありました。

私たちの若い頃は、男の人と立ち話するのさえもはばかれたと。


とりあえず、お腹が空いたので遅い朝ごはんをゲストハウスで食べることに。

食べてるそばから昨日の彼が寄って来て、今日はアンコール・ワットに行くかと聞いてきます。

ちょっと疲れたので、その日は町を散策することにして翌日から行くことにしました。

次の日からアンコール遺跡郡を3日間かけて巡ることになるのですが、こんなに広い範囲に点在しているとは思ってもいなかったし、初めてアンコール・ワットを見た時は、それはそれは圧巻でした。

こんなにも大きな遺跡だったのかと。

よくこんなものが、ジャングルに埋もれていたと驚くばかりです。

1860年にフランスの探検家アンリ・ムーオに発見されるまで、400年以上も放置されたまま密林の中で眠っていたのですから。

本当かどうかは定かじゃないけれど、フラフラと飛んでいた一匹の蝶を追いかけてジャングルを掻き分け奥へ奥へと入っていったらアンコール・ワットが見つかったと聞きました。

凄いことです。

永いこと発見されずにいたのも凄いし、発見した方もこれまた凄い。

とはいえ、たとえ世界遺産と言えども道はどこも舗装されていないので、バイクの後ろに乗って観光するのが主流です。

今ではトゥクトゥクやタクシーもあるし、道路も舗装されたのであの頃の遺跡観光とは比べものにならないほど楽になりました。

125ccのバイクをドライバーが運転し、その後ろに乗って遺跡群を廻ります。

ポイペト(カンボジアの国境の町)から同行していた彼があかねの担当、オーナーの長男が私の担当です。

でこぼこ道なので1日中乗っているとおしりは痛くなるし、直射日光で日焼けはするし、土埃まみれになるし。

暑さにやられて午後になってくると段々と集中力もなくなり、どの遺跡がどの遺跡だかもわからなくなってきます。

なにせ一つ一つの遺跡が大きい。

アユタヤとは比べものにならない。

しかも、ドライバーはバイクを止めて待っている場所が決められている所もあるので、そこまで歩いて戻らなければならないからヘトヘトになる。

入場チケットの3日間券を買ったので、頑張って廻ってみるも毎日フラフラになってゲストハウスに帰って来ることに。

チケットには3種類あって、1日券、3日券、それに1週間券があります。

1日券が20ドルで3日券が40ドル、1週間券が60ドルでした。

数年前に値段が変わり、1日券が37ドル、3日券が62ドル、7日券が72ドルになりました。

長くなるほどお得になるのです。

今はデジタルの普及で、購入時に写真を撮ってチケットに顔写真が入るのですが、当時はそれもなかったので日数が残っていると他の旅行客に譲ることもできました。

そういうことを無くすためにも写真入りになったのでしょう。

今ではオンラインで予約も可能とのことです。



代表的な遺跡をほぼ廻って、そろそろ遺跡にも飽きてきたので、首都のプノンペンに移動することにしました。

プノンペンまでの距離300キロ以上。

またまたあのピックアップトラックに乗るしかありません。

選択の余地がないので、あきらめてゲストハウスで予約をしてもらいます。

ただこの時は、中も中で窮屈だし、蒸し暑いし、身動きもとれなくて辛かったので、意を決して荷台に乗ることに。

これが意外と快適でした。

いや、快適ではないか、、、。

日焼けを防ぐために、カンボジアでクロマーと呼ばれる布を頭からかぶってあごの下で結びます。

そして、土埃が舞うような時には、その布を上に引っ張りあげて口や鼻を覆います。

顔や首や腕だけでなく、足の甲にも忘れずに日焼け止めを塗ってサングラスをかけて準備完了。

ほとんど誰だかわからない状態です。

ピックアップの荷台に直接座るとおしりが痛くなるので、貴重品やカメラなどの精密機器や堅いものは小さなバックに入れて手放さないようにして、バックパックの上に腰かけます。

時たま足を伸ばしたり、向きを変えたりしながらやり過ごします。

途中で雨が降って来ることも想定して、レインウエアをすぐに出せるようにしておきます。

日本のように、ポツリポツリと降り始めてから徐々に強くなって来るなんてことはないからです。

スコールといわれる一瞬にしてビショビショになるくらいの勢いの雨がいきなり降って来ます。

降り出してから探していたら、あっという間に自分も荷物も濡れてしまうのです。

ただ経験してみてわかったけれど、濡れてもすぐに乾きます。

風にさらされているのと、その後また陽が照るのであんまり気にするほどでもないかな。

いや、気になるか、、、。

ここまでくると、もうどうでもよくなってくる。

というか、気にしていたらやっていられない。

ここは、紛れもない発展途上も途上のカンボジアなのだから。

乾季だと4ヶ月以上も雨が降らないので、木々の葉っぱという葉っぱに、赤土が積もっています。

家の屋根にも、ありとあらゆる建物にも、赤土が積もっていて景色全体が赤茶色をしているのです。

今では幹線道路が舗装されたので、これらも二度と見られない光景となりました。

私にとっては、この景色こそがカンボジアの最大の魅力でもあり、大好きでした。

鶏が家の周りに放し飼いになって飛び回っていたり、カモの集団が道を渡っているのがなんともいえず可愛かったり、牛使いの少年が水牛を率いてのんびりと歩いていたり。

雨上がりには、見渡す限りの地平線に大きな虹が架かったり。

夕方になると、空一面を赤く染めながら沈む夕陽がそれはそれは綺麗でした。

生きていることを実感する一瞬ひとときでもありました。

今でも、その数々の光景は忘れられない私の宝物です。


そんな光景を楽しみながら、300キロを10時間以上かけて移動します。

やっとの思いでプノンペンに着いて早々、相変わらずワーワー言ってくる客引きたちを掻き分けながら、地球の歩き方で目星をつけていたゲストハウスに一直線。

なんとか部屋を確保して、その日は疲れたのでゲストハウスでご飯を食べて外には出ませんでした。

翌日、セントラルマーケットやキリングフィールド(ポル・ポト政権下の大量虐殺が行なわれた刑場跡)を一通り廻ったら、他にやることがなくなりました。

シェムリアップと違って、プノンペンはフランスの植民地時代の面影が色濃く残っていたけれど、とにかく治安が悪いので落ち着きません。

貴重品も持って歩いた方がいいのか、それとも宿に置いておいた方がまだマシなのかも悩むほどでした。

ひったくられるので絶対に道路側に荷物を持ったら駄目だとか、移動はバイタク(バイクタクシー)にして、危険だから歩くのは極力避けるようにだとか、夜遅くは出歩かないようにだとか、シェムリアップのゲストハウスの皆んなに色々と気をつけるように言われていたのです。

だからか、プノンペンの思い出がほとんど無いに等しい。

この時ではなくてずっと後になってからですが、プノンペンで何人組みかの欧米人の旅行者がトゥクトゥクに乗っている姿を、そのうちの一人が携帯で記念撮影していたら、構えていた携帯をそのまま横からひったくられて持っていかれた話も聞いたことがありました。

プノンペンでもトゥクトゥクが走るようになってからのことですが、シェムリアップと違って後ろのお客さんが乗る席の両脇にネットが張ってあったりもします。

それだけ、トゥクトゥクに乗っていても気を抜いていると、横から持って行かれることが日常茶飯事なのです。

また、一人だと食事をしている時から目をつけられていて、ホテルに戻る途中の人通りの少ない道で声をかけられ、ゲイの振りしてあちこち触りながらその隙に携帯や財布をすられたり。

これも、どこにしまったかまでをきちんと見ていての犯行だったりするのです。

漫画みたいな世界だけれど、本当の話です。

この頃は、夜のクラブで銃による発砲事件が頻繁にあったりもしました。

これでは落ち着いて観光もしていられないので、翌日にはカンボジアで唯一のビーチリゾートと言われていたシアヌークビルを目指すことにしました。

治安の悪いプノンペンを離れて、ビーチで少しのんびりしたかったからです。



この日は朝からあまり天気が良くありませんでした。

ゲストハウスをチェックアウトし、近くで朝ごはんと兼用のお昼ごはんを食べてから、またまたピックアップトラックでシアヌークビルへ向けて移動します。

のはずでした。

着いたから降りろと言われて降りたら、すぐそこに小さな船が停まっていました。

船といっても、デートで乗るようなボートをもう少し大きくして、エンジンを載せただけの小型の船です。

雨が強くなり始めていたせいか、乗るのか、乗らないのかと迫られたので、つい乗ると言ってしまいました。

ガイドブックで、シアヌークビルから船に乗って近くのロン島(Koh Rong)に行けるのを知っていたからでした。

シアヌークビルは陸続きだから、沖合いの島の方がもっと綺麗だろうと思ってのことです。

段々と雨も強くなってきてカッパを着ていたので視界も悪いまま、捲くし立てられるようにしてこの船に乗り込みました。

確か、ロン島へは1時間もかからないはず。

が、どれくらい乗っていただろうか?

あれっ?もうとっくに着いてもいい頃なのに。

だんだん不安になってくる。

まだ着かない。

地球の歩き方には、確か40分程度のようなことが書いてあった気がする。

でも雨が降っているので、ガイドブックを取り出して確認することができません。

そんなことしたら、あっという間にぼろぼろになって、その後の情報がなくて困ることになるのが目に見えているからです。

聞きたいけど聞けない。

英語なんて全く通じないし、私たちはクメール(カンボジア)語なんて全くわからないし。


2時間半以上乗っていたでしょうか?

やっとエンジンの音が小さくなると同時に島が見えてきました。

よかった、とりあえず無事着いて。

陸に上がると、何人かのカンボジア人が船付き場にたまっていました。

その中の一人に片言の英語で、ゲストハウスあるよと言われます。

ずっと濡れていたから身体も冷えたし、とにかくゆっくりしたかったので、そのお兄ちゃんの案内するゲストハウスに付いて行くことにしました。

バイクに3人乗りして向かったものの、さっきの雨で途中の道路が冠水しています。

こんなところで転ばれても困るので、仕方なく裾を巻くってゆっくりと泥水の中を歩くことに。

くるぶしから15cmくらはあっただろうか。

とにかく滑って転ばないように慎重に歩きます。

今になると、カンボジアなんて雨季はどこもこんなものなのですが、この頃の私にとっては信じられないほどの体験でした。

雨水というより赤茶色の泥水で、足元がどうなっているのかも見えませんでした。

プノンペンとはまた違った緊張感でした。

ゲストハウスに着くと、玄関先も酷いことになっていました。

でも、もうこれ以上歩くのも嫌なので、あきらめてその宿に泊まることに。

6畳くらいの部屋にシングルベッドが2つと、トイレとシャワーを浴びる用のプラスチックが置いてあるだけ。

飲食店などで見かける蓋付きの青い大きなゴミ箱をさらに大きくしたような、水貯め用のプラスチックと手持ち部分が付いた桶があるだけでした。

その桶で水をすくってシャワーとして水浴びをします。

とにかく、その日はそこに落ち着きました。

後のことはまた明日考えよう。

時間だけはあるのだから。

そして、その時になってわかったことは、そこはロン島(Koh Rong)ではなく、もう一つのタイとの国境にほど近いコン島(Koh Kong)だったのです。


※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。

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