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05/カンボジアのポイペトで驚愕国境越え体験!!

一週間程度の荷物をバックパックに詰めて、陸路で国境越えをし、カンボジアのシェムリアップを目指します。

カオサン通りの旅行会社でもバスの手配は可能だけど、朝カオサンに行くまでに渋滞に巻き込まれる可能性を考慮して、通称東バスターミナルのエカマイから路線バスでタイの国境の町アランヤプラテートまで行くことに。

朝8時頃のバスには乗れるようにエカマイに向かいます。

バンコクの東バスターミナルはBTSのエカマイ駅を降りてすぐ。

チケット売り場でアランヤプラテート行きのバスのチケットを購入し、ほぼ定刻通りに出発です。

東バスターミナルからバスに揺られること4時間半。

直行便ではなく普通の長距離路線バスなので、その都度バス停に寄って乗客の乗り降りがあります。

外国人の乗客は、私たちと欧米人カップルが一組。

今回はあまりにも時間がなくてギリギリになってからの出発だったので、事前によく調べることもできず、バスの中で手にしていたガイドブックをなんとなくパラパラとめくる程度で下車することに。

今は閉店してしまった伊勢丹の中に紀伊国屋書店が入っていたので、書籍や雑誌類も手に入ったけれど、値段が日本の1.5倍でした。

そうなると、ガイドブックを買うのにもちょっと躊躇したり。

屋台で100円ちょっとでご飯が食べられるのに、ガイドブックが2,500円以上するのですから。


アランヤプラテートのバスターミナルでバスを降りて、停まっていたソンテウに乗って国境まで移動します。

距離にして約7キロ。

最初はここも歩ける程度の距離だと思っていた私たち。

欧米人の旅行者がソンテウに乗ったのを見て、私たちも便乗することに。

だって、欧米人のバックパッカーが乗るぐらいですから。

後から距離がわかって、歩かなくてよかったと胸を撫で下ろします。

猛暑のなか、バックパックを背負って7キロ歩くなんてしんどいし。

タイ側の国境に着いて一先ずお昼ご飯を食べていると、何処からともなく物乞いが次から次へとやって来ては手を出してきます。

地雷の犠牲となった腕や足のない人たちや、子供の物乞いが沢山集まってくるのです。

一人にあげてしまったら、きりがないほど寄って来ます。

落ち着いてご飯なんか食べていられません。

最初の頃はあまりにも衝撃的過ぎて、どうしてよいのかさえわかりませんでした。

日本にいたら一生見ることのない光景です。

早々に食事を済ませ、タイの出国手続きをすることに。

そこまでは何の問題もありませんでした。

若干タイ語もわかるし、なんてったって私たち住んでますから。

だけど、ただただ暑い。

その後も何十回となくこの国境を行き来したけれど、いつ行っても猛烈に暑い。

今度はカンボジア側のイミグレーションで入国手続きをする番です。

この時点であまりの違いに愕然とすることに。

この頃のタイは、たとえ田舎であっても最低限のインフラは整っていて、道路も舗装されているし、タイ側のイミグレーションでは一応冷房も効いていたけれど、一歩カンボジア側に足を踏み入れた途端に世界が一変したかのようでした。



まずは、イミグレーションの前にビザを取得します。

本来20ドルなのに、20ドルきっちり用意しいていないとお釣りがないと言われたり、またそれを見越して寄ってきたカンボジア人に破格のレートで両替されたり。

持っていなければ、結局それも致し方なく。

場合によっては、最近25ドルに変更になったと平気で嘘を言われたり。

そこで押し問答しても、自分のビザを後回しにされてなかなか発行してくれなかったりするので、その後のピックアップトラックに乗りそびれてしまうと状況によっては国境に泊まらなくてはならない事態にもなりえるのです。

わかっていながらも、仕方なく払ってしまう人もいる。

これに味をしめ、さらに後から来た人たちにも派生していくという悪循環。

本当に本当に日本では考えられないことが頻発します。

だってこれ、国境の入国管理事務所ですよ。

しかもクメール(カンボジア)語で20ドルって書いてあったりするのに。

この人たちお役人ですよ。

このずっと後になって、高校の時の友達が新婚旅行を兼ねてタイとカンボジアに来てくれたことがあり、その帰りのシェムリアップ空港で支払い義務のない空港利用税を一人30ドルずつ請求されて、まんまと払ったことがありました。

それを聞いた私は、いやいや払う必要なんかないからと掛け合って取り返したのを見て、友達夫婦は唖然としていました。

これだって空港の職員です。

空港で空港職員に言われたら疑いもせずに払ってしまうのが日本人。

そんなのもわかっててやってくるから腹立たしい。

とにかく手を替え品を替え、色々いろいろ言われます。



なんとかビザを取得して、今度はイミグレーションで入国手続きです。

カンボジア側はイミグレーションでさえもすべて手作業で、もちろんエアコンなどなく、柱にくくりつけられた今にも壊れそうな扇風機がカタカタいいながら回っています。

そこに旅行者が列をなして並ぶわけだから、なお暑い。

初めて行くと、屋根と壁しかないようなその建物がまさかイミグレーションとは思わずに通り過ぎてしまいそうなほど。

しかも、タイ側とカンボジア側が交差しているし。

どうせなら、タイ側の出国とカンボジア側の入国が同じ側にあって、カンボジア側の出国とタイ側の入国が同じ側にあればいいのにと行く度に思う。

そうじゃないから、暑さも相まって途中でわけがわからなくなる。

たまに出国手続きをしていないまま、カンボジア側の入国をしちゃたりする旅行者がいたり。

後からわかって、青ざめながら慌てている人たちを何度か見かけたことも。

もたついていると、いいカモと思われて色んな人に回りを取り囲まれます。

しかも道路が舗装されていないから土埃が半端ない。

あっという間に顔はザラザラ、髪の毛バリバリ。

手ぐしでさえも通らなくなる。

そして、子供の物乞いがわんさか寄って来るのです。

日焼けした強面のおじさんや兄ちゃんが、あっちでもこっちでも何か声を張り上げているし。

この頃のポイペトは、それはそれは怖かった。

本当にカルチャーショックでした。

それまでにも数ヶ国旅していたけれど、初めて一人じゃなくてよかったと心底思った瞬間でした。

今は道路も舗装されて子供の物乞いもいなくなり、随分と変わったので大丈夫です。

但し、今でもイミグレは交差しているし、未だに入国管理事務所はクセ者揃いかもしれませんが、、、。



カンボジア側の入国手続きが済むと、あっという間にまた違うカンボジア人たちに取り囲まれます。

その途中でも、ビザは持っているかとか、ビザ用の写真は持っているかとか、なんならビザの取得代行しようかだとか、両替は必要ないかとか、タクシーはいるかとか。

大きな声で捲くし立てられます。

そのパワーたるや凄いです。

そんなのを散々断り続けてやっと入国手続きが済んだと思うと、またまた待ってましたとばかりに違う人たちに囲まれるのです。

ここまで来ると、もう断るのも面倒になってきます。

なんか言ってるんだけど、圧倒されて頭に入ってこない。

ただタイ人よりも、はるかに英語が上手なことだけは確かでした。

もみくちゃにされそうになりながらも、必死に貴重品だけは守りつつ、ひたすら断り続けます。

次から次に手に持っている物を見せながら何か買わないかと言ってくる。

要らないと言っても、違うもの、また違うものと。

断ってもまた違う人、それを断ってもまた違う人。

足元にも、片足のない物乞いや子供たちがお金をくれと寄ってくる。

さらに追い討ちをかけるように、日焼けした兄ちゃんたちがどこまで行くのかと捲くし立てる。

あーー、とにかくこの場をなんとかしないと。


そう思っていた矢先、流暢な英語でシェムリアップまで行くの?と声をかけてきた褐色で笑顔の似合う青年が立っていました。

それまで声をかけて来た人たちほどしつこくなかったのと、怖くなかったのがちょっとホッとして、立ち止まって話を聞くことに。

どちらにしても、シェムリアップまでの足を確保しなければなりません。

シェムリアップまで行きたいというと、それならついて来てと、とあるエージェントに連れて行かれました。

さっきのカンボジア側のイミグレーションよりもはるかにいい建物でした。

扇風機のついた部屋の中で待つことどのくらいだったでしょうか。

どうやら、段々と欧米人の旅行者が集まって来ているようです。

外にプラスチックの椅子を置いて座っていたり、バックパックの上に腰を下ろしていたり。

エージェントの中で待っているのは私たち二人だけ。

因みに、この時点でシェムリアップまで一人60ドルずつ払っていました。

今ではシェムリアップからポイペトまで舗装されたので大型バスも走っているし、タクシーも走っているけれど、この頃は道が悪すぎて乗り合いのピックアップトラックのみでした。

しかも、荷台にも乗るのでそれだけは避けたいと、ピックアップトラックの中の席を希望していたのです。

だから二人で120ドル払って、ピックアップトラックの中を確保したものと思っていました。

後ろの席に二人だけだと思っていました。


ところが、実際は運転手以外に前の座席に3人、後ろに4人。

この前の3人のうちの二人が私たち。

中に合計8人。

うそでしょ。

さらに後ろの席ではカンボジア人の女性が赤ん坊を抱いていたり。

もうカオス。

ここまでくると笑っちゃう。

エアコンなんてないから窓は開いてるけど、人が多いから暑いし、狭いし、腰は痛し。

ここまでの悪条件での長距離移動は、この頃のカンボジアが一番酷かったな。

しかも、前の席に3人も乗せてよく運転できると関心する。

地雷撤去した穴がそこら中に空いていて、それを避けながら蛇行運転するのでスピードも出ないし、舗装されていない赤土の道なので乾季ならば土が舞って前が見えなくなるほどだし、雨季だとどろどろで穴にはまってしまうことだってあるのです。

そうなって抜けなくなったら野宿するしかありません。

跳ねた泥が乗客の私たちにかかることもしょっちゅう。

途中ただの木の破片を渡した橋ともいえないような橋桁を渡り、時には重過ぎるからと一旦トラックから降りて渡りきってからまた乗り込むということを何度となく繰り返し。

よくこんな悪条件で運転できると、その運転技術に関心するばかりです。

関心している場合じゃないんだけど。


そして、荷台にも欧米人旅行者やローカルカンボジア人たちがわんさか。

要は、エージェントでこれだけの人数が集まるのをずっと待っていたわけです。

あかねが途中の休憩の時に、後ろに乗っていた欧米人の一人に聞いたそうです。

いくら払ったのか。

いくらって言ってたかは忘れちゃったけど、とにかく私たちは破格の値段を払わされたということを後から知ることになるのでした。

だから、二人だけエージェントの中の部屋に隔離されていたのです。

出発するまで他の人と話さないように。

やけに私たちだけ待遇がいいな、とは思ったけれど、、、。

この後も、何回となくこの国境を行き来しているけれど、こんな値段払ったのはこの時が最初で最後でした。

因みに、今はバスが走っているので一人10ドル前後。

タクシーでも、1台30ドル程度。

どれほど破格の値段だったかが後になってわかります。

インフラが整っていないとその分高いのはわかるけれど、いくらなんでもボッタクリ過ぎでしょ。

下調べしなさ過ぎたと反省しきり。


最初は、さっきの彼もグルなのかと思っていたけれど、それも違うらしい。

あとになって色々とわかったのでそれを説明すると、エージェントと運転手とがピックアップトラック1台の値段で契約をします。

運転手は英語もしゃべれないから集客をエージェントに任せて運転代金をもらい、エージェントは乗る人たちを集めます。

そして、差額はすべてエージェントに入る。

だから、一旦ポイペトを出てさえしまえばそれまでというわけなのです。

さっきの彼は、欧米人の旅行者に混じって荷台に乗っていたので、最初はエージェントの従業員だとばかり思っていたけれど、そうではなくてシェムリアップのゲストハウスの従業員でした。

彼の本当の仕事は、この観光客を自分のゲストハウスへと誘導すること。

そして泊まってもらって、ドライバーとして遺跡に案内することができて初めて自分の仕事になるのです。

この時点で、この宿のオーナーは、自分のところで乗客を降ろしてもらうためにさっきのエージェントにマージンを払います。

旅行者がそこに泊まるとは限らないので、もし誰も泊まらなかったらお金を払った分だけ損をするということになる。

そして、声をかけて来た彼は、自分が働いているゲストハウスに泊まってもらえれば、その後の観光の際にドライバーとして雇ってもらえる確率が高くなるけれど、そうでなければ1日かけて国境まで行ったことが無駄になるので、なんとかドライバーとしての仕事だけでもゲットできるようにと旅行客に交渉して廻るのです。

この時も、途中の休憩の際に、宿は決まっているのかとか、シェムリアップには何日間いる予定かだとか、アンコール・ワットへは行くかだとかを聞かれました。

英語がしゃべれたので他にも色々と話をしているうちに、とりえあず宿も決まっていないから一旦彼の働いているそのゲストハウスを見てから決めようということになりました。

結局、そのしびれるような状態でピックアップトラックに揺られること6時間以上。

本当によく耐えたと、その頃の自分を褒めてあげたい。



ようやく降ろされた頃には、22時を回っていました。

部屋を見せてもらったけれど、想像していたのとは違ったのが最初の印象でした。

なんとなく薄暗くて、エアコンなしの扇風機と水シャワー。

確か、シングルで6ドル、ツインで8ドルぐらいだったと思います。

2階はドミトリー。

何人かの欧米人がドミトリーに泊まって、他の人たちは方々に散っていきました。

私たちは、二人でツインに泊まることに。

それから宿を探す気力もないのでその日はそこに泊まって、翌日立地なども考慮して考えることにしようと、まずはご飯を食べに行きました。

お腹が空いているのと、やっと解放されたのとで、ゲストハウスからすぐ近くの屋台で食べたカンボジア料理とフルーツシェイクが今でも忘れられないくらいに美味しかった!

そして、ここからその後想像もしていなかったカンボジアでの旅が始まるのでした。


※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。

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