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(4-1)転職の実態【 45歳の自叙伝 2016 】

◆ Information
 【 45歳の自叙伝 】と題しておりますが「 自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅 」が本来のタイトルです。この自叙伝は下記マガジンにまとめています。あわせてお読み頂けましたら幸いです。and profile も…

◆(4-1)転職の実態 登場人物

 … 父自身が治療目的で通っていた「触れずに痛みを取る会」の解散後、当時、父はその会員たちの要請でヒーリングの先生(いわゆる気功師のような)となっていた。一方で、興味本位と山っ気たっぷりに、様々な事業に出資をしていた。これまでの父と私の経緯につきましては「中学校卒業まで①」「中学校卒業まで②」「不思議な力」をお読み頂けましたら幸いです。

藤田さん … 墨田区にあった情報処理会社(大和エンジニアリング)の社長。父をはじめ数人からの出資を受けていた。後に事業が失敗したのか、夜逃げのようなかたちで行方不明となり、出資金を回収できない人たちが多く現れた。

森さん … 父の紹介で藤田さんの会社で働いていた60歳前後の女性。以前から父のヒーリングを受けていたよう。物静かで上品な雰囲気が印象的だった。

藤崎先生 … 会社の税務を引き受けてれた年配の税理士の先生。以降、お世話になり助けて頂くことになる。かっぷくよく、甘いものが好き。

初出社

 前職の退社は正月明けだったが、父に聞けば「少しゆっくりしたら良い」と、すぐに大和エンジニアリングに出社しないで平気なのか疑問を持ったが、とにかく最初の出社は二月頃となった。妻も父同様「ゆっくりすれば良いじゃない」と言ってくれた。それまで拘束時間ばかり長かったので(私自身の能力不足でそうなっていたのだが)、一時的とは言え、この自由時間を得た解放感はどこか嬉しかった。また、新しい仕事への期待は、そのまま自分の成長への期待とイコールに感じて、まだ何も実態が無いのに思いだけは膨らんでいった

 さて、二月に入り、あの墨田区にある会社への初出社の日がやってきた。気持ちを新たにしようと、文房具を新調したりして、何でも一からやってやろうと心は緊張していた。当然、父も一緒に出向いたのだが…

 事務所に着くと、藤田さんは開口一番「えぇ!会社辞めたの?これから大変じゃない。まぁ、頑張ってね…」と何か他人事のようだった。一瞬、その言葉とニュアンスの意味するところが良く分からず、思わず「僕は何をしたら良いのでしょう?」と尋ねてしまった。返事は「あぁ… あそこに机があるから、お父さんと自由に使って良いよ」と、見れば空っぽの中古のスチールデスクがポツンと二台置いてあるだけだった。

 自由に使って良いって… どういうことなんだ?

 藤田さんは「もうすぐISDNがこのビルにも開通するから、それも使っても良いよ」と言い、ビルにある研究中の商材について話をしてくれた。しかし、いっこうに藤田さんから社員の話は出なかった。次第に辺りを見回して、私は大和エンジニアリング社員ではないんだと理解し始めた。一方、父は藤田さんと話をして、内容は分からないが、なにか笑顔で礼を言っていた。

 気が気でない私は、父に尋ねると「会社は 50万出して買ってある。法務局に行って登記を確認してきてくれ」と平然と言うのだった。私はそんなことよりも、今明らかになったこの事態を受け止められないまま、どうして良いのかわからず、そうかと言って、藤田さんや森さんがいる前で騒ぎ立てることも出来ず、ただなんとかして平静を保とうとするのが精一杯だった。

 「大和エンジニアリングへ就職するんじゃなかったのか?一体どうなっているんだ?」と、そう思えば思うほど、胸の奥が急激に冷え固まるのを感じ、先々への不安と恐怖の感覚が一気に全身に広がっていった。今朝までのやる気に満ちた私は完全に崩壊していた。

 父を責めようとも思ったが、父はあまりにも普段と変わらない様子で藤田さんと話を続けていた。その姿は不自然にも頼もしく映るようだったが、私はもう気が遠くなりそうで身体に力が入らなくなっていた。要するに父を信じた私が甘かったのだ

 それから、会社の登記謄本を取りに墨田の法務局に出掛けた。途中、勤める会社が大和エンジニアリングではない驚きと怒り、これから確認する会社が存在するのか…と言う不安、そして、もし存在したとしても、その会社は大丈夫なのか、何をどうしたら良いのか…と様々な想いが駆け巡っていた。妻の「会社なんて立派なビルに入っていたって分からないんだから、本当に大丈夫なの?」という言葉も何度も思い出された。しかし、法務局で確認すると、なんと会社は登記されておらず、その不安も当たってしまうのだった。


◇  ◇  ◇

会社がない

 実に衝撃的だった。ショックで身も凍る思いになった。次の瞬間には家族の顔が浮かび、妻に心から申し訳ないと思った。この先どうして行ったら良いか考えも浮かばず、むしろ考えれば考えるほど気が動転していった。そしてこんなこと、とても妻に言えないと思った。

 それでもどうにか気持ちを落ち着かせて事務所に戻り、登記されていないと父に伝えると、労務士だか、司法書士だか、誰だかが悪いんだ、そいつに文句を言ってやると怒り始めた。私の思いなどはまったくおいてけぼりだった。もう何が起きているのか訳がわからなくなった。私は何でも良いから事態が好転を心の底から願った

 父が確認すると、頼んだ相手の段取りが悪く、買った会社はまだ渋谷にあるようで、何故か私に登記し直すよう指示をしてきた。しかし、サラリーマンで営業しかして来なかった私には、まるっきり分からないことばかりで、不安に押し潰されるような気持ちになった


◇  ◇  ◇

会社の登記

 新たに登記となると、本店の移転先を決めなければ話が進まないのだが、父は本店の登記をどこにするかは言わなかった。こうなった今となってはどこに登記しても良かったが、自宅から距離のある墨田に移す気は起こらなかった。父の家は賃貸マンションだったし、何より事務所を借りる資金もなく、やはり思いつくのは私の自宅であった。

 しかし、自宅に会社を登記するとなると、妻や小さな子供たちの居場所が仕事場になる訳で、どういった負担が家族に及ぶのか。公私の区別がつかなくなる先行き。他人が我が家に出入りするのではないか。そもそも話があまりに違うではないか!…と、自宅への登記は気が進まなかった。

 そうは言っても、会社は移転しなければならなかった。登記先を決めたら、さっさと移転を済ませ、とにかく何か仕事を始めなければならなかった。しばらくして、会社の登記を私の自宅にすべきか父に尋ねると「何かと地元なら便利だろ、そうすれば良い」と言う。裏を返せば、父には登記の場所などどこでも良く、そもそもあまり深く考えてもいなかったのだろう。結果、会社は父が代表取締役となり、本店登記は私の自宅と決まった。後日、父は税理士の藤崎先生を紹介してくれて、ようやく渋谷の法務局に行く段取りとなった。


◇  ◇  ◇

藤崎先生のアドバイス

 渋谷の法務局までは小田急とJRを利用した。日頃、藤崎先生は都内には車で出掛けているらしく、電車での移動はあまり慣れていないようだった。私にとっては慣れ親しんだ小田急線。前の会社仲間に会ったら、どんな顔をすればいいか考えたりしたが、そんなことよりも、この取り返しのつかない状況に、見慣れた車窓は何とも情けなく映った

 法務局までの道すがら、藤崎先生はいろいろと話し掛けてきてくれた。分からないことばかりの私にはとても頼もしく、その心遣いが本当にありがたかった。藤崎先生は「未払いがあると厄介なんだよね」と話し、登記に際しての問題点を幾つか指摘してくれた。そして「法務局に着いたら、ひとまず収納には寄らずに帰ろう」とアドバイスをしてくれた。

 渋谷の法務局で手続きを始めると、案の定、職員が「収納はどうしますか」と尋ねてきた。藤崎先生は「今日は結構です。また寄りますから」とその場をやり過ごしてくれた。そんなやり取りをしながら、自宅への登記には複雑な気持ちのままだったが、ここに到っては、もうやるしかない…と思うより他なかった。

 その後、定款変更と役員の入れ替えをして、ようやく本店移転の届け出を終えた。この間、父は一切実務をせず、結局、役所への申請や銀行での口座開設も全て自分で行なった。ただ実際には、会社が動き出す様をひとつひとつ眺められた訳で、これはこれで貴重な経験となった。




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この記事につきまして

 45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。

 記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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