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(1-1)初めての高野山【 45歳の自叙伝 2016 】

【 45歳の自叙伝 】と題しておりますが「 自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅 」が本来のタイトルです。この自叙伝は下記マガジンにまとめています。あわせてお読み頂けましたら幸いです。and profile も…


初めての高野山

 初めて高野山を訪れたのは湾岸戦争のあった19歳の九月だった。当時バイト先で嫌な事があって一人で十日間ほど紀伊半島を旅していた時だった。

 橋本の駅舎で野宿をし、朝一番の電車で高野山を目指す。まぁ、せっかく近くに寄ったのだから、母が常々口にする高野山と奥の院を見てみよう…と、深い動機もなくほとんどが観光気分だった。

 南海の各駅停車は霧に包まれ、急な勾配とカーブをキュルキュルと車輪を鳴らして上って行った。ケーブルカーで高野山駅に着く頃にはだんだんとその霧も晴れてきていた。

霧の高野山


 バスに乗り換え町に入ると、映る車窓に「お寺が沢山ある静かな町だなぁ…(今にして思えば、恐らく勤行の時間だったのだろう)」と表面だけの高野山を眺めていた。それでも運転手の案内で一の橋で降ろされた時、どこを進めば奥の院へ行けるのかピンと来たが、目の前の風景とその場を包む空気感がそれまでとまったく違うことに気がついた。

高野山 奥の院 参道


 それはおびただしい数の墓の群れ、見上げるほどの杉の大木が続く参道。戦国大名の大きな墓から名も無き小さな墓まで、中には先の大戦の慰霊碑や企業が立てたと思われる墓もあった。予備知識がまったく無かった自分には、この圧倒的な墓の群れと静けさに「この先、どうなっているんだ?」と若干の恐怖感が沸き起こっていた。

高野山 奥の院 参道


 さて、そうかと言って引き返すことも情けなく、結局は一人で知らない道を歩くことに…。ただ、さらに参道を進んでいくと、不思議にもこれほどの墓があるにもかかわらず、先ほどの恐怖感は殆ど消えていった。むしろ心地良いくらいの清々しさを感じるようになってきていた。途中数人の参拝者とすれ違い、簡単な挨拶を交わす。

高野山 奥の院 参道の大杉

 
 中の橋も過ぎ少し歩いて幾つかの建物の前を通ると、仏像が並ぶ小さな川の前に出た。居合わせた人たちは、なにやら呪文のようなものを唱えている。皆、柄杓で仏像にお水をかけていて、自分もご利益目当ての真似をしてみる。すると、左の橋に「写真撮影不可」の立て看板が…そうしてこの先が奥の院なんだと理解した。

高野山 御廟橋


 その橋を渡ると行く先にある階段と大きめの建物を意識させられた。今までよりも静かな場所だった。階段を上って大きめの建物があらわになると、さすがに自分も神妙な面持ちになってくる。建物の中は薄暗く、どこからか読経も聞こえてきていたと思う。やはり信者じゃなくたって合掌せずにはいられない。そして、順路になっている左の扉から外に出ると、何かさらに厚みのある静寂が心身を包んでいった。

 敷地の少し前を流れる小さな川と高野の森…「幽玄」と言えばそうかも知れない。とにかく説明すれば意味を成さなくなるような雰囲気がそこにはあった。19歳の自分でもそれは感じ取れた。

 奥の院を訪れるたびに浴びる清々しさ。普段はしないような瞑想も自然と行ってしまう。弘法大師が入定したとされるその場所も穢れの無い素晴らしい場所だと思う。その後、幾度も訪れた奥の院ではあるが、あの雰囲気は何度行っても、また誰が訪れても、その心を洗い清めてくれると思う。やっぱり高野山とその奥の院は日本人の心の聖地だと思う。

平成十九年二月二十五日 投稿 


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密教への関心( 関連記事 )

 37歳だった平成十九年、生意気にも密教への思いをつらつら綴っておりました。この頃は真言密教に貪るようにのめり込んでいました。当時の文章を読み返すと若い嫌らしさが鼻につきます。今も変わらないのかもしれませんが、でもまぁそれも自分です。あの頃があって今がある。ちょっと文量多めですが、こちらもお読み頂けたら嬉しいです。


(1-1)初めての高野山【 45歳の自叙伝 2016 】
終わり


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続きは以下の記事です。


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この記事につきまして

 45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。

 記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。

タイトル画像「高野山壇上伽藍」は
photoAC n*******************mさん より
拝借しました。心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。

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