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写真家 青柳健二のセルフセラピーへの道


私は大学生の20代に旅を始めましたが、会社に就職することもなく、「写真家」という立場でずっと旅をする人生を歩んできました。

ただ、「写真家」になろうと思って「写真家」になったのではないという自覚は当初からありました。正直に言えば、むしろ旅を続ける方便でもあったのです。ここでいう「写真家」とは、「職業としての」という意味です。

旅をして写真を撮るのが面白かった、だからそれをずっと続けていた、という感じです。両親からは「いつになったら就職するんだ?」と小言をいわれ続けましたが、そのたびに「そのうち」といって逃げていました。

もちろんバブル直前・直後という時代的な背景もありましたが、運良く、旅で撮った写真が雑誌や書籍や新聞や広告で使われて、写真で生計を立てられるようになったということがあり、いつのまにか私は「写真家」になっていました。確定申告でも「写真家」はあっても「旅人」は許されないようです。(「冒険家」はあるかもしれませんが)

だから「写真家」と名乗ってはいます。「写真家」と名乗った方が、混乱がないといった方が当たっているでしょうか。自己紹介の時、「旅人です」とか「放浪者です」とか言っていたら怪しく思われるでしょうし、少なくとも、写真で生計を立てられるようにはなったのは事実なので、「写真家」と名乗るようになりました。

でも、心の深いところでは、「自分は旅人だな」という思いはずっと持ち続けています。「そこがプロ意識が足りない」と非難される点でもありました。ただ、仕事と趣味の境は無くなりつつある今の時代においては、的外れな指摘になったということでしょう。

それでは、なんでそこまで「旅」にこだわるかというと、これは一種の病でもあるのです。「旅が好きだ」という程度のものではなく、もっと切羽詰まったものなのです。むしろ旅は「やらざるをえないもの」、「やらなかったら精神的に死んでしまう」という感覚です。

これはまさに「ワンダーラスト」そのままなのです。「ワンダーラスト」とは、遺伝子が関係する放浪願望症、旅願望症です。(この病については後日詳しく書くつもりです)

だから、私は旅を勧めるつもりはまったくありません。むしろ、旅をしなくても済むならしないことをお勧めしたいくらいです。「ワンダーラスト」とは病なのです。やはり病ではない方が、社会では生きやすいとは思っていますので。

また、旅をすることや、写真を撮ることで、精神的な落ち着きや安寧を覚えるところから、これは一種のセラピーであったことにも気が付きました。

そのきっかけになったのは8年ほど前から放送大学で心理学を学び始め、とくにユング心理学の「表現療法」「芸術療法」「写真療法」というものを知ったことです。

心を安らかに保つために、私には、旅や写真があったのだと気が付かされたのです。旅や写真が精神安定のためのセラピストの役割も果たしてきました。それも知らない間に自分で実践していたということです。だから「セルフセラピー(自己心理療法)」と呼んでもいいのかもしれません。

ジェームズ・ペネベーカー著『オープニングアップ:秘密の告白と心身の健康』という本があります。個人的な情報を打ち明ける「自己開示」やもっと内面を語る「告白」というものが、心身の健康や社会適応にいい影響を及ぼすという研究を扱った本です。

今、世界は新型コロナ禍で、とんでもないことになっています。私も撮影の仕事がなくなり自宅にいることが多くなっています。今まで旅と写真で、かろうじて精神的な安定を得ていたのが、コロナ禍で、先行き不透明となって不安が増しています。旅ができないことは「ワンダーラスト」の病を持った私にとっては、セラピストを失ったようなものです。

だからこのnoteに書くこと自体が、私のセルフセラピーの役には立つのだろうと期待して、新しい表現にチャレンジしてみることにしました。


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