青柳健二

写真家 。認定心理士資格を取得して、セルフセラピーを実践中です。著書は『メコン河』「メ…

青柳健二

写真家 。認定心理士資格を取得して、セルフセラピーを実践中です。著書は『メコン河』「メコンを流れる』『日本の棚田百選』『アジアの棚田 日本の棚田』『棚田を歩けば』『全国の犬像をめぐる』『犬像をたずね歩く』『オオカミは大神』『妻と犬連れ日本一周車中泊の旅』など。

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写真家 青柳健二のセルフセラピーへの道

私は大学生の20代に旅を始めましたが、会社に就職することもなく、「写真家」という立場でずっと旅をする人生を歩んできました。 ただ、「写真家」になろうと思って「写真家」になったのではないという自覚は当初からありました。正直に言えば、むしろ旅を続ける方便でもあったのです。ここでいう「写真家」とは、「職業としての」という意味です。 旅をして写真を撮るのが面白かった、だからそれをずっと続けていた、という感じです。両親からは「いつになったら就職するんだ?」と小言をいわれ続けましたが

    • お犬(狼)さま信仰の新しい意味

      全国の犬像の写真を撮り始めて以来、犬と狼を行ったり来たりしていますが、オオカミとイヌを新しい物語で語れないものか、「お犬さま信仰」の新しい意味はなんなのか、考え中です。昨日ブログで語った「プチ神隠し」との関係はあくまでも俺の個人的な狼信仰ですが、今日は、もっと一般的な狼信仰の話です。 先日の、NHK「ダーウィンが来た!」を見て、日本においてはニホンオオカミとイヌとの境目が想像以上に無いというか、あいまいというか、これまで漠然と感じていたことの理由がわかったような気がします。

      • 狼信仰とプチ神隠し

        狼像や狼信仰に興味が出てからほぼ10数年。何がそんなに俺を引き付けるのだろうと考えてきました。でも、なかなかその本質にたどり着くのは容易ではありません。理屈をつけて理解しようとすればするほど、本質から遠ざかってしまうようなもどかしさを感じます。 ただ、あることを思い出しました。そしてその体験の感覚が、狼像の前に立ったときの感覚と似ているというか、通じるものがあることに気がついたのです。 その体験というのは、子供のころの体験です。放課後、笹船を作って、小川に流して友人と競漕

        • 狼の産見舞い

          ここ10年ほど、犬像の旅や狼像の旅の中で、犬や狼が子安信仰と結びついているということを知りました。 具体的には、『犬像をたずね歩く』(2018年・青弓社)で、「第25話:子安信仰の犬」として、日本全国の子安犬、撫で犬、守護犬、叶い戌、安産犬、母犬像など、子安信仰の犬像を16体ほど紹介しています。 子安信仰には、犬が登場するのですが、どうして犬なのか?というところは今一わかりません。 俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして信仰の対象になり、戌の日に

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          新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

          写真は、去年(2020年)、第1回目の緊急事態宣言下、4月19日の池袋駅前の様子です。    ☆ 3回目の緊急事態宣言が東京都などに出ていますが、去年の1回目と比べても、みんなの緊張感はなく、人出もそれほど減っていません。 1回目は緊張感がありました。また、一体感のようなものもありました。志村けんさんが亡くなったということも原因かと思われます。 とにかく、得体のしれないウイルスに対して、みんな一丸となって身構えている感じでした。そしてアマビエが流行りだしたのもそのころ

          新型コロナと「病気を分け持つ」という日本人のメンタリティ

          映画『神の子』舞台あいさつの芦田愛菜

          つい先日、映画『神の子』の舞台あいさつのとき「信じるとは?」ということについて持論を展開した芦田愛菜に賞賛の声があがりました。 その持ち上げ方になんだか俺はもやもやを感じて、この違和感はなんだろう?とずっと考えていました。 16歳の子がこんなに持論を持っていてすごいという賞賛なんでしょうか。「16歳」だからなのかな。たぶんそう。この異常な大人の持ち上げ方を見ると。 でも、50歳になっても、60歳になっても、こんなに深く考えている(哲学している)大人はむしろ少ないと言わざ

          映画『神の子』舞台あいさつの芦田愛菜

          「思い出」は、「物語」

          『中国辺境民族の旅』など、今年になってから昔の日記や原稿を読み返しましたが、人の記憶は当てにならないなぁとつくづく思います。記憶のいい加減さについては、心理学でも勉強したので、今さら驚きもないのですが、けっこう自分の都合のいいように変わっているのを感じます。 つまり、思い出というのは、けっしてその人の「客観的史実」ではなくて、どちらかというと「物語」に近いのではないでしょうか。すでに何度か書いていますが、「物語」が人の心には必要なのだということでもあるのでしょう。 昔、ア

          「思い出」は、「物語」

          山の神から考える

          最近、「山の神」に関する本を読んでいて、あらためて「山の神」について忘れないように書いておきます。 自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」「やまのかみ」と呼ぶ人がいます。俺は使ったことはありませんが、「かみさん」「やまのかみ」は本当の「山の神」から来ているようです。 春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、何度か原稿で書いたことがあります。狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会いますが、運が良

          山の神から考える

          新型コロナの虫送り

          10年ほど前に、埼玉県皆野町の「虫送り」を撮影したことがあります。今年は行われるでしょうか。 虫送りは、3本の「オンベイ(御幣)」を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。 オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。 害虫には、いろんなものが含まれるようです。農作物の害虫はもちろん、疫病神なども、すべて災いを招

          新型コロナの虫送り

          「思い出」は「物語」

          『中国辺境民族の旅』を書くために、昔の日記や原稿を読み返しましたが、人の記憶は当てにならないなぁとつくづく思います。記憶のいい加減さについては、心理学でも勉強したので、今さら驚きもないのですが、けっこう自分の都合のいいように変わっているのを感じます。 つまり、思い出というのは、けっしてその人の「客観的史実」ではなくて、どちらかというと「物語」に近い感じがします。すでに何度か書いていますが、「物語」が人の心には必要なのだということでもあるのでしょう。 昔、アメリカ映画で『ビ

          「思い出」は「物語」

          「コロナ収束祈願」の狼(お犬さま)像をあげて、ちょうど百日目

          今日でtwitterに「コロナ収束祈願」の狼(お犬さま)像をあげて、ちょうど百日目になります。 当初は、「終息祈願」としていましたが、新型コロナの性質を考えると、当分「終息」はなく、せいぜい「収束」ならあるかもしれないと思って、それからは「収束祈願」としてきたのですが、どうでしょうか。まだ「収束」とは言えない状況ですよね。 それにしても、毎日毎日ルーティンとして狼像をあげてきたわけですが、新型コロナが話題になったのは年末なので、もう半年は経っています。あっという間でした。

          「コロナ収束祈願」の狼(お犬さま)像をあげて、ちょうど百日目

          ネットの匿名と隠れ家理論

          「ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で」(毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200525/k00/00m/010/214000c)というニュースがありました。 最近は、ますますネットでの誹謗中傷が問題になっています。木村花さんはそのことが原因で自ら死を選んでしまったらしい。痛ましい話です。 おそらく、誹謗中傷した人は、現実社会では、ごく普通の善良な市民だと思いますよ。もしかしたら、本人は「善意」や「

          ネットの匿名と隠れ家理論

          狼像で、コロナ収束祈願

          新型コロナウイルスの感染が日本でも深刻になりつつあった2カ月前から、私は「コロナ収束祈願」として、毎日1体づず、日本全国の狼(お犬さま)像の写真をtwitterにあげ続けています。今日で62日目になります。 どうして狼像なのか、という理由は少し説明が必要かもしれません。そもそも狼信仰の神社が全国にはたくさんあること自体、知る人ぞ知るで、一般的にはあまり知られていないのかもしれません。かく言う私も、10年ほど前に狼信仰について聞くまで、そんな信仰があることを知りませんでした。

          狼像で、コロナ収束祈願

          コロナ禍で旅に出られない今こそ

          最初に触れたように、コロナ禍で旅に出かけられない今だからこそ(特にワンダーラストな人々にとっては)、自分のことを語る(書く)ことが、精神的な安定を得るための、ひつつの方法であると思います。 心理学研究によっても、語ることが精神衛生上、社会適応上、いい結果をもたらすことは知られています。 5月6日までだった緊急事態宣言は延長されました(首都圏)。当然ながら宣言が解除されないと、撮影の依頼はほとんどないし、撮影旅行にも出かけられません。 いつもなら、今ころは棚田が美しいとき

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          放浪願望の「病」ワンダーラスト

          前回の続きです。 酒乱の先輩の元から夜逃げした私ですが、結局、一晩川崎駅前の映画館で過ごした後、地元である山形へいったん帰ることにしました。精神的ショックが大きく、これは仕切り直しをしなければと思ったからでした。 実家に舞い戻った私の話を聞いて両親は、「だから言ったべ? そんなに世の中は甘くないんだ」と言いました。手痛い船出となってしまいましたが、私は凝りもせず、今度は情報誌で見つけた埼玉県の自動車部品工場のバイトへ行ったのです。 この仕事は夜勤だったので、最初は昼夜逆

          放浪願望の「病」ワンダーラスト

          大学を卒業して始めたバイトで事件

          先日は、noteを始めた動機を書きましたが、最初に自己紹介させていただきます。 生まれは1958年、山形県河北町です。自分がどのようにしてワンダーラストの病に陥ってしまったかの理由は、幼少期から大学生までを振り返ってみると、いろいろとターニングポイントはあるのですが、それはおいおい書いていくことにします。 大学は工学部機械工学科でした。4年の時(5月)にヨーロッパ旅行に出てしまい、帰ってきたのは翌年になって、結果、1年留年しました。この8カ月にわたるヨーロッパ旅行は、旅す

          大学を卒業して始めたバイトで事件